原子力事故の賠償についてADRのあり方
原子力損害賠償法によると、被害者は東電に損害賠償を請求でき、両者の交渉がもつれた場合には同審査会が和解を仲介する。審査会は法律や放射線防護などの専門家9人が委員に任命され、賠償指針を策定している。福島第1原発事故は被害者数が膨大なため、文科省は審査会の態勢強化が必要と判断した。文科省は「数千件の仲介申請に対応できるだけの態勢を整えたい」と言う。
上記記事部分で触れられている原賠法の規定は以下。
第十八条 文部科学省に、原子力損害の賠償に関して紛争が生じた場合における和解の仲介及び当該紛争の当事者による自主的な解決に資する一般的な指針の策定に係る事務を行わせるため、政令の定めるところにより、原子力損害賠償紛争審査会(以下この条において「審査会」という。)を置くことができる。 2 審査会は、次に掲げる事務を処理する。 一 原子力損害の賠償に関する紛争について和解の仲介を行うこと。 二 原子力損害の賠償に関する紛争について原子力損害の範囲の判定の指針その他の当該紛争の当事者による自主的な解決に資する一般的な指針を定めること。 三 前二号に掲げる事務を行うため必要な原子力損害の調査及び評価を行うこと。 3 前二項に定めるもののほか、審査会の組織及び運営並びに和解の仲介の申立及びその処理の手続に関し必要な事項は、政令で定める。
損害額でも被害者数でも大規模な損害賠償請求が予想される原子力事故については、当然必要となる規定だ。本当はこれが現実のものになることは想定したくないところだろうが。
ADRという観点からいうと、大量紛争を裁判所で処理するとなると、そのコストが耐え難く、また裁判手続それ自体の重さから事件処理が進まないので、その負担過重を解消するために裁判外での紛争解決手続を用意するという目的だ。
本来ADRには、裁判所における法的解決では得られないような、柔軟な解決が実現できるというメリットがある。それこそが存在理由ということも言える。端的な例が、裁判では謝罪を命じることなどできないのに、和解や調停ならそれを合意に定めることができる。将来に向かって再発防止に必要な措置を定めるということも、裁判ではできないがADRならできる。
さらに、なによりも個別的な事情をきめ細かく汲み取った解決ができるのはADRで、どうしても法的な基準に基づいて一律に、悉無律的(All or Nothing)な判断になりがちな裁判では得られないような個別の配慮を盛り込めるし、手続的にも配慮できるという利点もありうる。より配分的正義に近づけるとでもいうべきか。
今回の原子力事故に対するADRも、本来ADRが担うことの出来る機能を期待したいところがある。因果関係の判断についても裁判で認められる高度の蓋然性を必ずしも要求しないで、救済の必要性を重視するとか。曖昧にならざるを得ない避難対象地域の境界線上も、個々の事情に即した解決が望まれるところで、裁判では一律基準による判断になって切り捨てられる部分を救うことが期待されるとか。さらには長いスパンでの健康被害チェックを解決策に組み込むとか。
しかし、上記の通り、裁判の負担過重を避けるための効率一辺倒なADRだとすれば、このようなADRが本来持つ柔軟かつ衡平な解決という可能性が期待できないことになる。
そのあたり、協力が求められている日弁連はどのような認識なのだろうか?
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