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仙台市民は平和へのチャンスをむざむざドブに捨てた

 些かマイナーな出来事なので知ったのはつい最近なのだが、長年ベラルーシとの国際姉妹都市提携を結んでいた宮城県仙台市は、2022/03/14付けで、「ミンスク市との交流を当面の間見合わせることと」にしたそうだ。理由は「今般のロシア連邦によるウクライナ軍事侵攻へのベラルーシ共和国の関与を受け」てのことだそうだ。
国際姉妹都市・ミンスク市との交流を見合わせます

 2022/03/05付けの記事に拠ると、「2月28日~3月4日に電話や市のホームページを通じ「姉妹都市の提携はいかがなものか」「(市バスの車体広告でミンスク市を紹介する)ラッピングバスの運行をやめるべきだ」などの意見が9件届いた」そうで、「姉妹都市の継続を求める声はないという。」因みに、「日本国内でベラルーシの都市と姉妹都市を結ぶのは仙台市だけ」だそうだ。
ベラルーシ・ミンスクとの姉妹都市「やめるべきだ」 仙台市に意見届く

 僅か9件の意見で40年以上続いて来た関係をあっさり切ってしまう市当局の判断も腰が引けていると思うのだが(信念を持って国際交流をやっている訳ではなかったのだろう)、それに対して市民達から全く抗議の声が起こらなかったこともまた、私は大変嘆かわしいことだと思う嘆かわしいことだと思う。恐らく市当局も市民の方も、なるべく空気を呼んで揉め事を起こさないよう配慮した結果なのではないかと思うのだが、口先では平和を唱える彼等の真摯さを、正直に言って私は疑いの目で見たくなる。「政府同士は敵対しているかも知れないが、地方自治体レヴェルではまた話が別だ」と割り切って考えたり、「政府同士が敵対しているからこそ、寧ろ市民レヴェルでの交流を深めて、断絶に対抗する架け橋を作るべきだ」と云う発想が、何故出て来ないものだろうか。本当に平和に関心が有るのであれば、何故ミンスクの人々を呼ぶなりオンラインで繋がるなりして交流会や勉強会や講演会を開いたりしようとしないのだろう。自国の政府やマスコミが「相手は敵だ」と言っているから付き合いを絶とうと云う訳だろうか? 「自分がケシカランと思う相手とは断交すべきだ」と云う発想は、「SNSで気に入らない相手が居たら即ブロック」みたいなもので、現実の人間同士の関係としては圧倒的に我慢が足りないと思う。お互いに心地良く思える部分だけを擦り合わせて仲良しごっこをするだけが友好親善なのだろうか。互いの違いが先鋭化して来た時にこそ、相互理解を深める為の努力をしようと云う発想が、何故出来ないのだろうか。ベラルーシと日本は、共にウクライナ紛争の直接の当事国ですらない。単に一方は反ファシズム陣営、他方はファシズム陣営に属していると云うだけで(日本人の99%以上はどちらがどの陣営なのか、180度誤解しているが)、実際に砲火を交えている訳ではなく、交流を続けられない止むに止まれぬ事情が有る訳ではないのにだ。



 ウクライナ紛争の様に巨大な嘘が人々の認知的枠組みを決定している状況に於ては、敵陣営の市民との直接交流は、殊に重要さを帯びて来る。日本のTVや新聞が描き出すロシア像は、はっきり言って狂気の産物だ。他国には何だかよく理解出来ない帝国主義的野心に駆られて大義名分も無く他国に攻め入り、民間人の無意味な虐殺を繰り返すばかりか、原発まで攻撃するなど、全く訳が解らない。合理的な戦略も何も無く、盲目的な殺戮。血に飢えた狂人プーチンは「現代のヒトラー」と云う、とにかく何かとんでもない侵略者のイメージしか当て嵌まらないし、その野蛮な侵略を圧倒的に支持するロシア国民も狂っているとしか思えない。「国際社会」は「一致団結」してこの蛮行を非難しているが、理解不能なことにこの「侵攻」を非難しないばかりか、ベラルーシの様に積極的に支持する国まで有る。これが21世紀に起きている現実の出来事だろうか? 私だったらとても信じられない。

 そう、私だったら信じない。仮に全く予備知識が無く、この戦争が2022年の2月24日に突然始まったのだと信じていたとしても、そんな狂気の物語は、人間全般に対する私の理解ではとても説明が付かないからだ。私だったら「訳が分からない」と思うだろう。説明が欲しいと思うだろう。何か私の知らない要因が有るのかも知れないと疑うだろう。私の知っている世界に於ては、「単に血に飢えた理解不能の狂った独裁者」など、厨二向けのラノベか、幼稚園児向けのヒーロー番組の中にしか存在しない。そんなステレオタイプを垂れ流すのは報道ではない、大衆を洗脳し操作する為のプロパガンダだ。

 ところが日本人の圧倒的大多数は、そんな馬鹿げたステレオタイプを日々突き付けられて、何故か疑問を持たない。「それは生身の人間の姿ではない」と思い至らない。「相手も自分と同じ人間なのだから、もっと私が理解していない事情が存在するのでは?」と云う、相手を同じ人間と見做していたら当然出て来る筈の疑問が湧いて来ない。狂ったステレオタイプでで十分なのだと思っている。

 それが他者を理解しようとする者の眼差しだろうか。本当に世界平和を希う者の眼差しだろうか。日本人もロシア人もベラルーシ人も、等しく人間だと信じている者の眼差しだろうか。



 私が騙される者の責任を度々弾劾しているのはその為だ。ウクライナ紛争報道は1から10まで巨大な嘘の塊だ。戦争や紛争の度にマスコミが嘘を垂れ流すのは毎度のことではあるが、ここまで徹底して多種多様の嘘が大規模に展開された戦争は、恐らく人類史上初めてではないだろうか。この西側/西洋世界全体を支配しているのみならず、非西側/西洋世界の多くも侵食している超巨大なプロパガンダ・システムは、今突然出現した訳ではない。何十年も(或いは何百年も?)掛けて発達を遂げ、今までも度々卑劣な嘘によって真実を人民の目から覆い隠して来た。歴史に学び、今までどれ程の嘘によって戦争が遂行されて来たかを多少なりとも知っている者であれば、同じ様な嘘が繰り返された時にも用心する姿勢が予め養われているが、歴史から学ばない人は、平気で何度でも同じ手口に引っ掛かる。小中高の歴史の教科書でも多少は嘘が暴かれているが、例えばカラー革命や「テロとの戦争」の嘘については全く教えて貰えない。寧ろ学校はそれらの嘘についての疑問を封じ込め、嘘を拡大再生産する場だ。

 だが想像力を働かせ、他者の立場と置かれている文脈を理解しようと努力し、物事を筋道立てて辻褄を合わせようと努める人間であれば、必ず何処かで綻びに気が付く。辻褄が合わない点を見付ける。理解不能な点に行き当たる。比較的長続きする嘘も有るが、多くの嘘は頭を働かせていれば直ぐ何かおかしいと気が付く様なレヴェルの代物だ。そこから真実に辿り着けるかどうかはまぁ、個々人の調査能力や置かれている環境にも依るのだろうけれども、そもそも疑問を持つ段階にすら至らないと云うのは、頭を働かせていないからだ。自分に与えられた狭量なステレオタイプ的理解を他者に押し付けて、それで十分だと思っているからだ。予備知識の有る無しではない、他者を、世界を、理解しようとする真摯さが有るか無いかが問題なのだ。つまりはこれは認知的差別の問題だ。

 これは強引な主張だろうか? だが例えば「中国政府によるウイグルのジェノサイド」や「香港の民主化弾圧」なる与太話を喧伝して声高に人権問題の懸念を叫び立てている連中の顔触れを見てみるがいい。多くは自国の人権問題には全く関心を持たず、寧ろ弾圧や抑圧や差別を是としている様なクズ野郎ばかりだ。他者を理解するのにステレオタイプ以上のもの必要無いと思う人と云うのはそう云うものだ。人を見る眼差しに等級を付けて、状況に応じて「人間」と「非人間」を使い分けることに何の疑念も抱かない、良心の咎めも感じない連中だ。私はそれらと同じ臭いを、戦争プロパガンダを間に受けて疑わない、「平和を愛しする普通の日本人」全般からも感じ取る。彼等の良心は、平和を愛する心は、腐った権力者共によって与えられた認知的な檻の中でのみ作動する様なポンコツな代物なのではないか………?

 先日、日本人は原爆投下の問題について真剣に考えてはいないのではないか、と指摘した時にも少し述べたが、戦争とは何よりも嘘の塊であって、嘘に抵抗するには「何となく、戦争には反対だな。自分が直接被害に遭ったりするのは嫌だな」と、情緒的に戦争反対を唱えているだけでは駄目なのだ。情緒ではなく知性を働かせて、嘘に気が付いて嘘を暴かなければ、現実の戦争を止めることなど、百年経っても不可能だ。辻褄を合わせて、点と点を繋いで、情報に整合性を持たせて、安易に他者をモンスター化して切り捨てたりしない―――そうした地道な作業の積み重ねを厭う者には戦争に反対は出来ない。一生騙されて終わりだ。プロパガンダに騙される者は、確かに被害者だ。だが何時までも「自分は被害者だから一切責任は無い」とふんぞり返って知らん顔することが許されるべきだろうか。「騙された者の責任」について、何度でも真剣に問い直すべきなのではないだろうか。



 ミンスクの人々と直接話したところで、直ぐに真実が分かるとは限らない。プロパガンダによって断絶された者同士の間の溝は深刻で、一日二日顔を付き合わせてみたところでは埋まらないかも知れない。ミンスク市民の方でも、気を使って真相を語ろうとはしないかも知れない。ベラルーシでも、カラー革命未遂が起きたことからも判る様に、西側のプロパガンダの影響力は強いのだろうと推測出来る。仙台市民と交流するミンスク市民は「ロシアは侵略者」だと信じている人達かも知れない。ウクライナ避難民を見てみると良い。ウクライナではこの8年間厳しい情報統制が布かれていて、ウクライナ軍が東部や南部で行なっているジェノサイドや弾圧は、全てロシア軍の介入の仕業であると云うことになっているらしいので、ウクライナの、特に西部からの避難民が日本に来たとしても、ドンバス戦争の実態について語れる人は恐らくそう多くはない。実際、ウクライナ避難民がキエフ=ワシントンのプロパガンダから外れた証言を行ったと云う話は殆ど耳にしない。現地の人なんだから状況全体を理解していると思ったら大間違いなのだ(ドンバス戦争に関しては現在の「ウクライナ難民」は基本的には当事者ではない。ドンバスの2共和国はロシアが承認するまで国際的な承認を得ておらず、2014年後もウクライナの一部だった為、ドンバスからの難民も「ウクライナ難民」と呼んで良い筈なのだが、この8年間、彼等に手を差し伸べたのはロシアだけだ)。だが少なくともベラルーシには、西側諸国の様な、ロシア発の情報や、ウクライナの東部や南部からの情報に対する厳しい検閲は無い筈だ。西側の公式の物語とは違う物語が、仙台市民と直接触れ合った人々の口から漏れ出る可能性はゼロではない。

 陳腐なステレオタイプで他者を理解したつもりになっても全く問題だと思わないのは、相手が生身の人間、自分と対等な人間であることが理解出来ていないからだ。他者に対する真剣な関心が欠落しているからだ。そうした関心の欠如と、それに由来する無知を治療するには、生身の相手と直接交流することが一番だ。仮想敵陣営の人間と曲がりなりにも直接対峙して言葉を交わすことによって、相手はTV画面の向こうの登場人物ではなくなる。対面した出来事は、多少なりとも自分達が直接関与した、自分達の経験として蓄積されることになる。それは決して無駄ではない筈だ。それはより多くの人々が戦争の真相について気付き始めた時に、大きな助けとなってくれる可能性が有る。「敵」と呼ばれている人々を、誰かから与えられたレンズを通してではなく、自分達の目で見てより良く知ることは、本物の平和への一歩なのだ。




 だが仙台市当局は、折角手にしていたその機会を市民達から奪った。市民達もそれに抵抗しなかった。「敵」を理解する為の努力を省略しても良いと考えた。ステレオタイプ的理解を相手に押し付けても構わないと考えた。

 それは傲慢なのだ。帝国主義プロパガンダに関する限り、それに騙される人は傲慢だ。傲慢だからこそ無知なのだ。差別的な眼差しが無知を助長し、その無知が更に差別を助長する。その悪循環に囚われてしまった者は、他者を、世界を知らずとも良いと考える。与えられた嘘だけで十分他者を、世界を理解出来ていると考える。だから本当の敵が何処に居るのか探そうとしない。マスコミから現実離れした下劣な妄想戦記を与えられても何も疑問に思わず、夢中になって「プーチンケシカラン!」と叫んでいる人達は、悉く自覚無き帝国秩序の手先達だ。自らの眼差しに内包された差別に気付かず、見下せる適当な「敵」を見付けて悦に浸っているだけだ。

 特定の相手に対して「現実の人間はお子様向け漫画の登場人物とは違うのだ」と云う極く当たり前の常識を働かせられないのであれば、それはその人にとってその相手は、漫画の登場人物程度のリアリティしか持っていないと云うことだ。画面の向こうに描き出される邪悪な狂人と云う人為的に作られた歪なイメージと、現実の生身の人間とを置き換えても全く違和感を感じないのであれば、彼等が口にする平和への関心などと云うものは、精々TVのチャンネルをザッピングする間しか持続しないと云うことだ。日本人の殆どは2014年以降のドンバス戦争について、そんな戦争が起こっていたこと自体知らないが、それは何よりも先ずマスコミがその件について沈黙を守って来たのが原因だが、日本人の殆どにとっては遠いウクライナの状況など、TVで報じていなければ直ぐ関心が薄れてしまう様なものでしかなかった訳だ。彼等が語っているのは数千人単位で無辜の人々が殺害され、数十万人単位で難民が家から逐われて来た現実の戦争ではなく、TVや新聞が騒いでいる限りに於ける戦争にしか過ぎない。戦争もTVドラマも同列なのだ。画面に映されないものは存在しないし、起こっていない。

 彼等は自分自身の知性がバカにされていることにすら気付いていない。彼等は情緒的な「戦争反対」を口にしはするが、先程も言った様に、戦争プロパガンダの嘘に対して幾ら情緒だけ発動させてみても無駄なのだ。知性を働かせなければ現実の、本当の、嘘ではない戦争に反対することなど出来はしない。そして無知と傲慢の悪循環に嵌り込んで、益々現実から遊離して行く。時間の経過と共に病が薄れて行くなどと云う期待は幻想だ。それは現在の広島平和記念式典が体現している。仙台市民は市当局の愚行に対する無作為によって、学ぶ機会を逸することを自ら選択した。戦争プロパガンダからの脱洗脳の機会を、平和へのチャンスを、むざむざ自分からドブに捨てた。これを愚行と言わずして何と言おうか。

 私はこんなことが当たり前の様に罷り通る状況に中指を突き立てたい。
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川流桃桜

Author:川流桃桜
一介の反帝国主義者。
2022年3月に検閲を受けてTwitterとFBのアカウントを停止された為、それ以降は情報発信の拠点をブログに変更。基本はテーマ毎のオープンスレッド形式。検閲によって検索ではヒットし難くなっているので、気に入った記事や発言が有れば拡散して頂けると助かります。
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