稀勢の里寛

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稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか、Kisenosato Yutaka、本名および旧四股名:萩原 寛おぎわらはぎわら ひろしゆたか)1986年7月3日 - )は、茨城県牛久市出身(出生地は兵庫県芦屋市) 、田子ノ浦部屋所属の元KY大相撲力士荒磯襲名を経て、現二所ノ関KY親方として霞ヶ浦西岸に弟子養成所を構えている。
元永世小結資格者(2009年3月に喪失)。元終身名誉横綱候補資格者(2017年1月に喪失)。動物で喩えると小動物。

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来歴[編集]

兵庫県芦屋市生まれ。2歳時に龍ケ崎市へ転入。中学2年生時に牛久市へ転入。因みに牛久市はポケットモンスターのシオンタウンのモデルであり墓地の町でもあるため、後の不幸な土俵人生を暗示していたのではと一部で言われる。中学卒業後に鳴戸部屋に入門。このように牛久市に在住したのはわずか1年余りであるが、芦屋、龍ケ崎市民の空気を読まずに牛久市を出身地とした。中学時代は自称・技巧派投手として活躍したが、常総学院のスカウトに対しては「自分はでかいだけ。野球は、うまくない」という理由で断った。

その後は順調に番付を上げ17歳で新十両に昇進。しかし十両では終盤に失速して二桁勝利を逃して勢いがなくなったため、ようやく名前が定着してきたところだというのに空気を読まずに新入幕と同時に「『』に『』いが出るように」との思いを込めて「稀勢の里」に改名。この四股名に対し「ダサい」、「センスがない」、「「牛久山」にすべき」、「俺はこんな四股名は認めん!萩原と呼び続けるぞ!」、「KYと言うよりXeじゃねえか」、「くぁwせdrftgyふじこlp」「hydeの身長は156cm」、「牛久は桂川流域の都市であって、かりそめにも牛久出身を名乗るならなぜ3代目桂川を襲名しないのか。」などと様々な意見も寄せられたが、現在は概ね収束している模様。

その後は四股名のとおり、1年から1年半に1回のペースで11勝以上を挙げたり、2~3場所に1回のペースで横綱を破るなど、稀に勢いを発揮している。

近年の停滞により各種の年少記録更新は無理と思われていたが、2009年1月、22歳6ヶ月というおそらく前例のないであろう異例の速さで年寄株「荒磯」を取得し、世間の同級生が就職難に苦しむ中、彼らの空気を読まずに早くも老後の安定を確保した。さらに2009年11月場所では、最年少での小結在位10場所到達というあまりに中途半端な偉大な記録を更新した。

そして2010年1月場所では、苦手としていた把瑠都に勝つ→結果的に大関昇進を阻止→関脇の枠が埋まる→小結へ

という絵に描いたような流れで小結11場所到達を確実にした。あと15年以内に小結に8場所在位すれば最年少小結最多在位到達となり、これに向けて大きな期待がかかっている。というかもはやこれくらいしか期待することがない…

永世小結~そしてKY[編集]

永世小結資格は昭和以降に小結に連続5場所、もしくは通算7場所在位し、関脇以上の経験がない力士に与えられるが、小結で勝ち越した場合多くが関脇に昇進してしまうため、獲得は非常に困難とされている。資格を持つのは10場所在位した富士錦(朝青龍の師匠の師匠)のみ。高見山(マケボノの師匠)、出羽錦なども資格を得たが関脇昇進により喪失している。

2006年7月、新小結から3場所連続勝ち越しを決めたが両関脇が勝ち越しを続けたため小結をキープ。2007年1月場所千秋楽の安馬戦に勝てば関脇に昇進してしまうところであったが負け越し。これが永世小結への道の始まりである。

2007年9月場所で小結に復帰するも1場所で陥落。翌2008年1月場所は前頭筆頭で11日目まで8勝3敗、さらに関脇安美錦が負け越し濃厚、琴奨菊も途中休場と、関脇昇進は間違いなし、やはり永世小結は無理と思われていたが、琴奨菊がまさかの再出場で勝ち越し(痛みに耐えてよく頑張った!感動した!)、これにより3月場所の番付はまたしても小結となり永世小結にリーチをかける。

そしてその3月場所、安馬は11日目までに7敗、琴奨菊も横綱戦を控え6敗、一方の稀勢の里は7勝4敗と、どう考えても永世小結は絶望的であったがそこから安馬が3連勝、琴奨菊も朝青龍にまさかの勝利で両者7勝7敗に。千秋楽、安馬は同じモンゴル出身の旭天鵬にXXXXXで勝利。全ては琴奨菊との直接対決に委ねられたが結果は琴奨菊の勝利。これにより史上2人目の永世小結資格を得た。その後も関脇昇進の危機を紙一重で乗り越え、2009年1月場所時点で小結在位を9場所に伸ばし、富士錦の記録更新に期待がかかっていた。ここまでは珍しく空気が読めていたのである。

しかし2009年1月場所で空気を読まずに勝ち越してしまい、さらに同じ小結の豊ノ島、そして関脇の安美錦が休場により番付を下げることがほぼ確実であるため、3月場所はとうとう関脇に昇進してしまった。仮に千秋楽負けていれば奇跡の「負け越して小結残留→タイ記録達成」が濃厚であった。やはり「KY」な力士であるといえよう。しかし、3月場所では5勝10敗に終わり、三役陥落が決定。少しは引き際を理解しているようだ。

そろそろ稀に勢いを発揮する時期であろうと思われていた5月場所ではなんと勢い余って13勝もしてしまい、関脇復帰が確実に。今度は兄弟子同様永世関脇でも目指すつもりなのであろうか?ちなみに永世関脇は過去に多数おり永世小結ほどの希少価値は無い。

…が以降も小結在位場所数を伸ばし続けており、永世小結の座こそ逃したものの、あまりの小結在位率の高さに「平成の大小結」の称号授与が検討されたこともある。

しかし、2012年1月場所はついに大関に昇進し、「平成の大小結」の称号授与などという声も聞かれなくなり、同時に永世関脇の資格も喪失となってしまった。

大関昇進 稀勢の里と改メズルの里[編集]

先代鳴門(元横綱・隆の里)の夭逝を境に、露骨に汚立会いが増える。ガチンコ力士であるのとそれ故当時の放駒理事長(元大関・魁傑)の寵愛を受けていたのをいいことに、手を付かない中腰の立ち合いが常態化した。特に汚立合いが目立ったのは2012年7月場所である。8日目のわからお戦で1回、12日目の把瑠都戦で3回(3回目も行事が根負けして成立を認めたにすぎない)13日目の琴奨菊戦2回(2回目は行事が手つき不十分を看過)、14日目の白鵬戦で2回、合計8回(ちゃんと調べてねぇけど微妙なの入れれば12回ぐれーだろ)突っかけたため、あまりの酷さに場所後にKSP(稀勢の里スペシャル)という技が知れ渡ってしまった。これに対して、北の湖だけは「相撲において、中腰立ち合いが合理的。いっそ、もう全力士が手つきをしなくていい。」と好評価し、ルールまで本気で改正するつもりであった。

才能・取り口[編集]

稀勢の里の相撲を見たファンの反応

相撲協会公式サイトによれば得意手は突き・押しであったが知らぬ間に左四つ・寄り・突きに差し替えられている。このように押してみたり四つに組んでみたり何が得意技なのかはっきりしない。

負ける時は土俵上をうろうろして自滅することが主なので、「レミングス」と揶揄されたことがある。

かつては仕切りの際に激しくを動かすことで知られていたが、好色を疑われたため、この動きを楽しみにしていたファンの空気を読まずに止めた。だが、ここ数年幕内優勝争いの大事な取組に限って相変わらず「ここ一番での勝負弱さ」は全く克服されておらず、悔しさの余り風呂場に入った後や支度部屋などで、「アーッ!」と今迄何回も周囲のマスコミ陣や力士達への気遣いも一切見せずに、平然と大きな奇声を発している。稀勢の里の学習能力が全然無い証拠でも有る。

相手の調子によって勝敗が左右される力士である。横綱大関に勝っても実はケガにより絶不調で負けるほうが難しい状態であったり、相手の立ち合いの致命的なミス、極度の緊張、土俵際での油断による勝利が大勢を占める。また横綱を破った翌日平幕中位に敗れることもしばしば。このため彼のファンは取り組みを見る際常に緊張を途切れさせることはない。

モンゴル人が幅を利かす現在の角界において、それらに対抗する数少ない日本人の期待の星である…が、あまりに学習能力がないため実はかなりのXXXXXなのではないかと陰口を叩かれている。

だが2013年9月場所終了後に驚愕の事実が明らかになった。引退間際の力士(A)に荒磯を貸すことを匂わせることで空気を読んで星をばらまき、Aがばらまいた星を他の力士(B、C,D…)がこれまた空気を読んで自主的に返すよう仕向けるのだ。Aが引退した時はしらを切ればよい。そうすれば協会に残れず角界関係者に接触しづらい身分になるからだ。これがタダで星をばらまかせる究極のシステムだ!稀勢の里の最大の得意技がこれだ。

エピソード[編集]

  • かつては部屋の兄弟子・若の里を目標と公言していたが、前述のKYぶりや千代大海を大の苦手としている点など、非常に共通点が多かった。唯一の違いは若の里は12勝以上の経験はない代わり、最高位が関脇だった…がその唯一の違いもなくなってしまった。それどころか今のキセは既に横綱昇進を果たしており、若の里は2015年9月場所前幕下陥落を機に現役引退を表明した。
  • やたらとよその相撲部屋に出歩いている他の若手のような馴れ合いを防ぐため、親方の方針により自分の部屋に引きこもって若の里とのプレイを繰り返していた。前述した若の里との類似性はこれに由来する。…しかし、初優勝と久しく途絶えている日本人横綱を目指すため、次第に出稽古を積極的に行うようになっていき、ついには初優勝と横綱昇進を果たした。
  • 2006年9月から数年間、相撲界の空気を読まずに女の子向けのキャラクターであるハローキティの化粧廻しを使用していたことで知られている。これは「大相撲キティ」グッズの業者の社長が稀勢の里と同じ茨城県出身であるというだけの理由で空気を読まずに贈られたものである。しかし流石に相撲に馴染まなかったためか、大関になる前あたりから使用しなくなった。そのあとは横綱に昇進するも、新横綱場所で日馬富士戦で敗れた際に左肩付近を負傷。「この状態を断ち切るためには左腕を切断するしかない」と言われ、やむなく左腕を失うかつ引退する決断をした。なお警察官に意地悪された。
  • 引退時の会見では「一片の悔いもない」と述べて威勢よく現役生活を終えたはずだったが、こともあろうに自分が土俵入りで締め込みに使っていた北斗の拳ラオウの名台詞「我が人生に一片の悔いなし」と酷似してしまい、公式の場で漫画キャラのセリフを使う空気を読めない引退会見になってしまった。
  • ファンは横綱の戦績について、「下には下がいる」と過去のもっと弱い横綱をネット上から引っ張り出して擁護しているが、勝率5割はどの時代でも横綱として空気を読まない成績である。5割で許されるのは大関までだ。
  • 引退後は荒磯親方として大相撲中継の解説に登場。現役時のイメージ通りに何を言っているのか分からない厳粛な口調で解説すると思いきや、空気を読まずに軽快な語り口が話題になっている。

この項目「稀勢の里寛」は、ちゃんこ不足のようでごわす。
さあ、そこの新弟子も力士の要たるちゃんこを作ってみるでごわす。強く当たったらあとは流れで行くでごわす。ごっちゃんです! (Portal:スタブ)