2006年

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本項では、2006年について説明する。

  • 皇紀2666年
  • 戦後61年
  • 仏暦2549年
  • 民国95年

2006年の総括[編集]

北朝鮮の核実験で、国際社会が緊迫した一年となった。7発もミサイルが打ち上げられ、いじめによる自殺が多発し、履修不足問題が起こり、ホリエモン、村上世彰など時代の寵児が逮捕され、フセイン元大統領が処刑されるなど、印象的な出来事が多くある。

スポーツ関連では、ハンカチ王子の他、ワールドカップWBCトリノオリンピックなど、多くの大きなスポーツイベントが行われた。

2006年は、他の年と比較しても、社会にとって大切で重い課題を内包した出来事や、核実験などの平和を不安定化させる問題が、とても多かった。

そして、前年度では世界から失笑を買われていたアニメ業界が回復に成功。牙-KIBA-や久々のデジモン、なによりかいけつゾロリが3年目で一期のキャラクターを出させるなど、誰もが目を疑う展開であった。しかし、そんな中で宮崎吾郎が監督したゲド戦記は、唯一、賛否両論に陥ってしまった。

出来事[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

  • 21日 WBC、日本優勝。

4月[編集]

  • 8日 四半世紀ぶりに怪獣が出現。
  • 23日 かいけつゾロリにおいて、待望のミャン王女が再登場する回が放映。未だ、前年度のワーストアニメ連発の悲しさを引き摺っていた年であった中のこの話の放映は、2004年の栄光を蘇らせ、大成を取り立てた。人々はアニメに誇りを持ち、自信を取り戻していった。
  • 28日 ジャガー横田が、ホワイトハウス大統領執務室でブッシュ大統領と面会。拉致問題の解決のためアメリカ合衆国政府の支援を求めてブッシュを殴り倒し、SPに射殺された。

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

  • 5日 北朝鮮がミサイルを7発打ち上げるが、どいつもこいつも途中でダルくなったため、仮病をつかって帰宅。
  • 23日 スイスジュネーヴで、WTO加盟主要6ヶ国・地域の閣僚脱衣麻雀大会開催。

8月[編集]

  • 1日 アメリカ合衆国内での7月の月間新車販売台数で、トヨタ自動車がフォードを抜いた。
  • 11日 英でテロ未遂。
  • 23日 ハマスタで世界の松下が絶叫。何のための前進守備だ!
  • 24日 国際天文学連合により、冥王星が惑星から除外。米の天文学者がそろってスネる。

9月[編集]

  • 10日 アメリカ航空宇宙局のスペースシャトル、アトランティス号(ペットボトルロケット)の打ち上げが成功。
  • 20日 日本の総理が安倍晋三へ変貌。

10月[編集]

ありゃりゃ、とうとう(核)実験やっちゃった

11月[編集]

  • 11月1111日 の日。韓国では犬がよく売れたという。

12月[編集]

  • 30日 イラクのフセイン元大統領が処刑される。
  • 31日 ローマ法王が世界の実権を掌握。

2006年の概略[編集]

日本の2006年を一文字で表せば、もちろん「Sekinin.jpg」だろう。この年に日本の権力者となった安倍晋三を筆頭に、政治家や有名企業はこぞってエクストリーム・謝罪に参加し、誰に責任を押し付けるかを巡って駆け引きに明け暮れていた。またこの年に相次いだ大なり小なり様々ないじめエクストリーム・いじめの仕返しの低年齢化に拍車をかけたが、加害者や責任者はのらりくらりで被害者や遺族からの批判をかわし続けた。その一方で野球フィギュアスケートなどの普通のスポーツの競技者は、敗北すれば自己責任、運悪ければ検閲により削除という問答無用の圧力に屈さず華々しく活躍していた。

ちなみに、2006年の東アジアを一文字で表せば「核」である。1年中、核兵器や核実験のニュースが流れていたためだ。こわかったー。

出来事の概略
  • 1月1日 - 2006年誕生。
  • 3月31日 - 2006年の4分の1が経過する。
  • 4月30日 - 2006年の3分の1が経過する。
  • 6月30日 - 2006年の半分が経過する。
  • 8月31日 - 2006年の3分の2が経過する。
  • 9月30日 - 2006年の4分の3が経過する。
  • 12月31日 - 2006年死去。享年1歳。
国際年

2006年は「国際『2006年』年」である。これは国連が制定したもので、2006年について国際的な関心を喚起するとともに、2006年の重要性を再認識することを目標にしている。ちなみに2005年は「国際『2005年』年」であった。

関連商品・企画

2006年を記念して日本各地で2006円の商品が売られた。しかしこれを買うのに3000円や5000円を出す人が多く、お釣りの硬貨切れを起こす店舗が続出した。そのためこの企画を早々に打ち切った企業が多い。アメリカの各都市では2006ドルフェアが開かれた。しかし2006ドルの商品を躊躇せずに買うことができるのは一握りの富裕層のみで、庶民には浸透しなかった。

中国の各百貨店では、2006個同じ商品を買ったらおまけにもう1個タダでもらえる、というキャンペーンを展開した。しかし、同じ商品を2006個も買う人はごくごく稀な上に、タダになるのは1個だけというセコさから、ほとんど企画倒れであった。

ロシアでは、2006年中に2006回来店した顧客に様々なサービスを提供するというキャンペーンを展開中である。しかしそのためには1日平均6回程度店を訪れる必要があり、顧客が鬱陶しがられる事態が発生している。そのような状況にもめげず、クラスノヤルスクのパブロフさんは10月1日地点で近所のスーパーに1528回訪れた。年内の2006回来店達成が期待されていたが、結果は不明。

関連項目[編集]

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