尾上部屋

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尾上部屋(おのえべや)は、日本相撲協会所属で出羽海一門のSUMOU部屋。

沿革[編集]

2004年(平成16年)5月場所限りで引退した三保ヶ関部屋(元大関増位山)所属の小結濱ノ嶋は、年寄尾上を襲名して後進の指導に当たっていたが、お笑いの素質を持ったRIKISHIを育てたいと思うようになり、お笑いSUMOUを専門的に研究、実践するための組織・尾上部屋を2006年(平成18年)8月1日に創設した。独立時、お笑いの素質があると見込んだ人物は全員三保ヶ関部屋から移籍させる予定であったが、出羽海一門のネタ要員・柳川神のみは一門の総意で、尾上部屋への移籍が認められなかったため引き抜きを断念している。

所属しているお笑い相撲の芸人は常に10人に満たないが、少人数である利点を生かして密度のある稽古が行われているため、所属しているRIKISHIの半分が同時に関取を勤めた時期もある。そのせいか、付け人やちゃんこ番が足りないということで、一門からは弟子が少ないいい笑いものの部屋にされている。芸人として最も不名誉な笑われ方である。

部屋は史上初の大田区に創設。しかし部屋が建設されたのは部屋創設から4年も経過した2010年6月12日の出来事であった。

師匠[編集]

17代:尾上圭志(おのえ けいし、小結・濱ノ嶋、熊本)
尾上部屋を1人で支える実力派の師匠。現役時代は部屋の方針でお笑いを我慢していたが、その反動で現在部屋ではお笑いを推奨している。自身も弟子を大量に失い、そのショックで飲酒運転を行うなど、できの悪い弟子達のために自らお笑いを実践している。

お笑いRIKISHI[編集]

現役の幕内経験力士[編集]

幕内[編集]

大関[編集]

把瑠都凱斗(エストニア)
2010年7月場所から大関互助会の副会長を務めていた。大真面目な組織の大真面目な役職に就いてはいるが、入会前からチヨスの空気投げを食らうなどお笑いを数多く実践し、その度が過ぎたため求心力はゼロとなっている。土俵のほうでも相手力士を一本釣りし、シャケという笑える四股名を与えてあげるなどかなりのお笑い能力がある。大関昇進以前からトークはユーモアあふれるものであり、陥落後はエストニア語版アンサイクロペディアの管理者となるよう求められている。

前頭[編集]

山本山龍太(前9、埼玉)
角界初となるネーミングライツを採用し、山本山製品をこよなく愛する人物。土俵の上での活動も、笑福亭鶴瓶よりも過激な行為である、犬HKでの尻露出に成功した。持ち前の体格とその経歴を生かし、引退した現在はアメリカでスカトロビデオに多数出演中。
里山浩作(前12、鹿児島
奄美からやって来た素質あふれるRIKISHI。色黒で堀の深い顔立ちから把瑠都には「絶対日本人じゃないと思った」と言われるほど。その容姿を利用し、真面目な相撲を取っているように見せかけてユーモア溢れる相撲を展開、ファンを虜にする。
境澤賢一(前15、埼玉)
自身が十両昇進見送りとなった原因を作った相手を2度も負傷させるなど、怒り芸が得意。スピード出世していたが、お笑いを使用とした際に負傷し、暫くお笑いを封印せざるを得なくなった。半年後にようやくお笑いを再開していたが、尾上部屋のほかの力士と比べると明らかに質が落ちており、稽古不足がささやかれていた。案の定八百長が発覚。他の力士も巻き込む事態に引退を余儀なくされたが、この引退劇も周囲を笑いの渦に巻き込む作戦であったと言われる。
天鎧鵬貴由輝(前8、熊本)
下の名前が1発変換不能という生まれながらの笑いのセンスを持つ。部屋の関取3人が引退しお笑い要員が少なくなってしまったため自分が正面に出るべきだと3人の教えを受け継いで優秀なお笑い要員として満を持して十両に昇進している。もともと、引退した3人からも一目置かれる存在であったほどの技術を持ち合わせており、把瑠都をも凌ぐ人気を得るのもそう遠くないと見ている。

十両[編集]

白乃波寿洋(十4、熊本)
部屋で最も出来が悪かったと後に語られることになる。化粧回しも凡庸なデザインのものしか持ち合わせておらず、相撲も自然なお笑いが出来ず、笑いのことを考えてすもうが疎かになったり、相撲のことを考えすぎてお笑いのことが疎かになったりと親方を困らせる力士であった。最後は遂に見切られてしまい、境澤の不祥事の際、一緒に首を切られることとなった。

関連項目[編集]

この項目「尾上部屋」は、ちゃんこ不足のようでごわす。
さあ、そこの新弟子も力士の要たるちゃんこを作ってみるでごわす。強く当たったらあとは流れで行くでごわす。ごっちゃんです! (Portal:スタブ)