白鵬翔

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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ハクホウ
分類
: 角界
: 横綱
: ハクホウ科
学名
Mönkhbatyn Davaajargal

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白鵬 翔(はくほう しょう 1985年3月11日 - )は、モンゴル出身の大相撲力士。本名は和田 翔(わだ しょう)。旧名はムンフバティーン・ダワージャルガル。第シックスナイン代横綱。別名「お相撲さん」、相撲スポイラー(存在自体が本場所のネタバレ)。得意技は上手投げ(巨漢力士などには特にこのような決まり手が目立つ)。普段は至って同じようなパターンで白星を重ねる。特技は立ち合いの変化、中出しヌルヌルエルボーダメ押しかち上げ猫だまし、懸賞金奪い取り、優勝決定後もほぼ無表情のままキープ、審判のXXXXXとモンゴル右翼のなかでは実しやかに噂されている。ちなみに白鵬は日本人と結婚したため、朝青龍明徳の下僕やモンゴル右翼からは一方的に天敵と見なされている、身長192cm、体重155kg、血液型はA型、家電占いは家庭用ゲーム機。趣味はア〜ン♥♥通いと花札賭博。

彼の強さを快く思わない者もいる模様。

来歴[編集]

父は50年連続50度の優勝をしたモンゴル相撲の大横綱。片手間のレスリング重量級で五輪金メダルを取るなど、明らかにモンゴル人離れした生粋の化物である。モンゴルの国民的英雄であり、日本で言うところの範馬勇次郎に相当する。2000年10月、旭鷲山の人身売買により来日、宮城野部屋に買い取られる。四股名は色白であるという単純な理由で命名された…とされているが、後述するように空気を読めず場所を白けさせることが多いためではないか、あるいは自身の趣味に由来するのではないかとも言われている。なお九重部屋千代白鵬なる力士が存在したが、これは当然白鵬にあやかって名付けたものである。逆だと主張する不届き者もいるが、天下の横綱がたかが平幕力士、しかも大麻・賭博・八百長の三冠王の四股名をパクるなど絶対に有り得ない。とんだ言いがかりである。むしろおそれ多くも大横綱の四股名をパクるからそういうことになるのである。

市民には悪の横綱朝青龍明徳もとい嘲青龍に対抗する善玉力士として扱われているが、モンゴル右翼には以下に示すような要注意力士であると噂されている。

  • 2004年5月場所 新入幕。千秋楽の北勝力戦、北勝力が勝てば優勝という一番で旭鷲山並みに空気を読まず立ち合い変化。北勝力は決定戦で朝青龍に破れ優勝を逃す。優勝決定後には朝青龍と抱擁を交わすなど、この時点ではマネーで交渉の余地があった。
  • 2006年5月場所 雅山との優勝決定戦で、取組直前に風呂で大量の汗をかき、秋山成勲顔負けのヌルヌルで雅山の突きを滑らせ勝利。初優勝を勝ち取る。この戦法はヌルヌルの本元、旭鷲山に伝授されたもの。
  • 2006年7月場所 師匠の現金攻勢で朝青龍を買収。
  • 2007年3月場所 千秋楽、朝青龍が得意の立ち合い変化。しかし決定戦では逆に変化で朝青龍を土俵に這わせ優勝。変化の何たるかを見せ付ける。この2番は「青白変化合戦」と称される。
  • 2007年11月場所 14日目に優勝を争っていた千代大海の肘を破壊、千秋楽を休場させ戦わずして優勝を決める。
  • 2008年5月場所 千秋楽結びの消化試合で朝青龍のダメ押しに反旗を翻す。双方厳重注意を受ける。
  • 2008年7月場所 3日目琴欧洲の綱とりが絶望、朝青龍も6日目から職場放棄という状況の中横綱として場所を盛り上げなければならないにもかかわらず、空気を読めずに初日から連勝を続け12日目にしてほぼ優勝を決めてしまい、大いに客を白けさせる。
  • 2010年7月、相撲界の賭博問題で花札賭博をしていたことを告白するが、頻度が軽いとして大した問題として取り上げられなかった。アルェー?


なお朝青龍がクビになって以降は一般市民にも実態が知られつつあるようだ。

目の上のたんこぶである朝青龍が消えてからはやりたい放題で色々と大記録を作ったりもしたのだが、あまりの強さにネタにすらならないためかアンサイクロペディアンも飽きてしまい本文に至っては項目作成以来ほぼ放置であった。 どっかの大関のくせに15年間優勝すらできなかった力士は散々いじられてるというのに

結婚[編集]

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写真家で朝青龍の元後援会長である和田友良の娘に中出しし、2007年2月にできちゃった結婚。和田の息子となり、本名も「和田翔」に改名。この名前をウィキペディアに書くと削除されるので要注意。

なお和田は写真家としての活動に没頭するあまり後援会長としての活動が疎かとなり、2006年6月に朝青龍後援会を解散していた。この裏切り同然の行為に朝青龍は激怒。以後白鵬との関係は急速に悪化することとなる。

審判XXXXX[編集]

結婚後は義父の豊富な資金力を活かし、審判をXXXXXしているのではないかと噂されている。まずは新横綱の2007年7月場所。魁皇戦で土俵際の突き落としに破れる・・・と思いきや行司の軍配は白鵬に上がった。当然物言いがつき、だれもが「あー、差し違えしちゃった、切腹だよ(行司の最高位である立行司は差し違えをした場合切腹しなければならない)」と行司の身を案じたが、放駒審判部長の口から出た言葉は「…両者の体が落ちるのが同時と見て取り直しといたします」。魁皇はこの相撲で負傷したため取り直しでは勝負にならず。まさかの展開に場内は唖然。解説者、アナウンサーも誤審と明言した。

そして2008年11月場所では4日目の若の里戦、土俵際両者がもつれて倒れ込み、またも白鵬に軍配。当然物言い…と思いきやなんと物言いすらつかずそのまま終了。後に確認したところ白鵬が早く倒れておりまたしても誤審が明らかとなった。さらに7日目の豪栄道戦では土俵から足を踏み出したにもかかわらず出ていないと判定された。同様のケースで朝青龍は土俵を割ったと判定されている。この件に関して三保ヶ関審判長は「白鵬の足はドラえもんのように常に地面から3mm浮いており、土俵の外に足の裏がつくことはない」などと福田孝行ばりの苦しい弁明に終始した。なおこの場所白鵬は13勝2敗、決定戦で安馬を下し優勝しているが、本来ならば安馬の優勝であることは言うまでもない。

このように、特定力士に有利な誤審が短期間に3度も発生するとは考え難いため、XXXXXがなされているとの見方が妥当であるといえよう。

エピソード[編集]

  • 力士にありがちな睡眠時無呼吸症候群患者である。
  • 亀田三兄弟と親交の深い朝青龍に対抗し、内藤大助から奥儀を授かる。2008年6月に行われた好きな現役力士アンケートで1位を獲得(25.7%)。ただし回答者の45.7%に当然だが亀田信者は含まれていない。
  • みのもんたは友人、秋山成勲は友人の友人である。旭鷲山は師匠。
  • 最近では夜の土俵でもヌルヌルぶりを発揮し、「ダイアモンドな毎日」を送っている模様。
  • 2010年名古屋場所は、力士達がXXXXXでお小遣いを増やしたり減らしている事が、明るみにでて開催も危ぶまれたけど、何人かを尻尾きりすることで、開催したんだ。XXXXXも花札やってたんだけど、なんか大人の事情でお咎め無し!でも、優勝しても天皇賜杯はもらえないって決まったら、この人は自分のことを棚にあげて「なんでくれんの~?」って駄々をこねちゃった。でもあげません!

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 滝季山影一『原色白鵬図鑑』,(2011),滝季山影一国際騒動局

外部リンク[編集]

この項目「白鵬翔」は、ちゃんこ不足のようでごわす。
さあ、そこの新弟子も力士の要たるちゃんこを作ってみるでごわす。強く当たったらあとは流れで行くでごわす。ごっちゃんです! (Portal:スタブ)