琴光喜啓司

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琴光喜 啓司(ことみつき けいじ、1976年4月11日 - )は、愛知人民共和国岡崎市出身の元相撲レスラーで現在はギャンブラー。所属はドSだけ部屋であり、例に漏れず琴光喜もドSである。最高位は東大関、本名は田宮 啓司(たみゃあ - )で、1996年4月10日大日本帝国への帰化を承認されるまでの本名はHitai Semasugi Dattebayo(ヒタイ・セマスギ・ダッテバヨ)である。愛知人民共和国先住民の子孫のため、顔は日本人離れしている。ちなみにウィキペディアの琴光喜のページに「趣味:野球賭博」と書くと2分で消されるでござる。ニンニン

来歴[編集]

入門まで[編集]

愛知人民共和国で一番の自動車メーカー、トヨタ自動車相撲部監督、Kitanoumi Daisuku Dattebayo(キタノウミ・ダイスキ・ダッテバヨ)の次男として生まれ、Hitai Semasugi Dattebayo(ヒタイ・セマスギ・ダッテバヨ)と命名される。家柄から小学生より相撲を始め、高校は強豪の鳥取城北高等学校へ相撲留学、2年生で高校横綱となり、日本大学へ進学。在学中に大日本帝国へ帰化した。大学時代のチームメイトには相撲ロボットがいる。日大在学中に27個のタイトルを八百長で獲得し、鳴り物入りで大相撲に入門する。

幕下附出[編集]

1999年3月場所、佐渡ヶ嶽部屋に入門し、「琴田宮(ことたみや)」の四股名をもらう。佐渡ヶ嶽部屋にはドSしか入門できない決まりがあるが、琴田宮もその例にもれずにドSである。同級生の高見盛は東関部屋に入門した。

ちょうど入門した場所、誕生日がたった18日違いである九重部屋千代大海が新大関として迎えた場所であり、琴田宮はこれに発奮。12日目の相撲ロボット(四股名はまだ加藤)戦も含めて5勝2敗。負け越し知らずで勝ち続け(7割は八検閲により削除)、2000年1月場所では新十両、四股名を「琴光喜(ことみつき)」に改める。この四股名から、あだ名は「ミッキー」となる。以後、ミッキー兄さん。プロビデンス(神の摂理。8勝7敗のマジカルスコアはかり記録するから)など様々な名で親しまれる。

喜劇の新入幕[編集]

2000年5月場所、新入幕となるが、場所前の怪我が原因で全休、十両陥落となる。

悲劇の再入幕[編集]

2000年11月場所再入幕。初日から9連勝し、西前頭9枚目の地位ながら1横綱武蔵丸)3大関出島雅山武双山)を撃破する。実は場所前に武蔵川部屋に「3500万円渡すので、検閲により削除」と申し込みに行っていたという。

2001年1月場所はいきなり関脇の地位となった。

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2001年9月場所、大関から出島が陥落し、4大関となった上に、大関の雅山、魁皇、千代大海が休場、さらに横綱貴乃花まで休場する混戦模様であった。この場所、八百長をして13勝2敗をあげた。ただ、金をもらったくせに武双山と時津海は勝ってしまう珍事であった(場所後琴光喜が武蔵川部屋と時津風部屋検閲により削除を行った)。

神の摂理[編集]

2006年には秋場所まで5場所連続で8勝7敗という素晴らしい記録を達成。マジカルスコア、ザ・プロビデンス(神の摂理)、ハチナナなどと盛り上がり、九州場所で記録を達成したら地球が滅びるのではないかと心配されたが、最後は9勝6敗。ミッキー兄さんが地球を救った。

  • 内訳
初場所 8勝7敗 1
春場所 8勝7敗 2
夏場所 8勝7敗 3
名古屋場所 8勝7敗 4
秋場所 8勝7敗 5
九州場所 9勝6敗 世界は救われた

これを神といわずして何と呼ぶ。

残念な大関互助会加入[編集]

部屋の先輩の長谷川琴錦と同様に万年関脇で終わる予定だったのに、2007年9月場所で大関昇進をしてしまう。大関互助会加入となったが、そんなものは無視。全く互助なんてしない。

しかし、互助できなかった事を反省し、2008年と2009年は新年の抱負を「大関互助」としたが、両年とも前半は互助したが後半は2桁勝利ばかりになっている。今後もそんな感じだろう。本当に33歳なのだろうか。不気味な存在である。

だが、そんな琴光喜にも転機がやってきた。大関互助会副会長昇進である。6年以上の長い期間にわたって副会長を務めていた千代大海が大関互助会を休会することになり、副会長職を明け渡すことになったからだ。千代大海から琴光喜への副会長継承の儀式は史上初めて公の場(土俵上)で行われる。

  • 2009年11月場所11日目にその儀式は行われる。千代大海―琴光喜の取り組みを組み、その土俵上にて不戦勝の勝ち名乗りを受けることで継承をすることになる。ただし継承は12月21日付け。ただ、実際のところは11日目に割を組まれた大関であれば誰でも良かったのではないかとの見方もある。

野球賭博で人生転落♪[編集]

こうして大関互助会副会長となり、会長になる日も見えてきたと思われた矢先、2010年5月場所中に趣味の野球賭博が発覚した。大半は大嶽親方(元関脇貴闘力)からの依頼であったが共謀者であるとの理由によって、地元開催の7月場所前に財団法人日本相撲協会を大嶽親方と共に解雇処分されてしまった。共犯者の時津風親方(元前頭3・時津海)、阿武松親方(元関脇・益荒雄)は降格処分であった。この影響で19代大関互助会副会長の座だけでなく大関互助会自体を除名処分とされ永久追放されてしまった。なお後継となる20代副会長の座には最後に白星を提供した把瑠都を任命してほしいとの遺言に基づき魁皇会長が把瑠都を指名した。

エピソード[編集]

  • 2001年12月1日、私設応援団MITSUKI BOYSのリーダーであり、今上天皇の孫にあたる愛子内親王が誕生。琴光喜は生まれながらにして愛子さまのお墨付きである。したがって、対戦相手は常に「琴光喜に勝つ、ということは皇族全体を敵に回すことになる」と心構えしなければならない。特に朝青龍
  • 大日本帝国への帰化前の名前が「Hitai Semasugi Dattebayo(ヒタイ・セマスギ・ダッテバヨ)」であるように、額が狭い。その影響で同期の高見盛より大銀杏を結うまでの期間が長かった。近人種に普天王(パンダ県出身)。
  • 最近の一番の趣味はキャバクラ野球賭博通い。特に、婚約発表直後から回数が急増している。夫婦仲が悪い証である。あのにやけた顔をしながら嫁を(以下省略
  • 入門時の師匠(元横綱・琴櫻)は、2007年7月25日の大関昇進伝達式を最後に公の場には現れず、同年8月14日に死去。一部のメディアでは「琴光喜の大関昇進が嬉しすぎてショック死した」という見方もある。
  • 今年の目標を聞かれると、相撲の取材なのに相撲とは全く関係ない「真鯛が釣りたい」と笑顔で語った。
  • さすが兄さん。
  • 僕が聞いた夢の中での噂は尊敬する人が玉置浩二さんだそうです。笑いながら、、、おっと、誰か来たようです。

関連項目[編集]

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さあ、そこの新弟子も力士の要たるちゃんこを作ってみるでごわす。強く当たったらあとは流れで行くでごわす。ごっちゃんです! (Portal:スタブ)