必殺フルボッコ部屋

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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一部の報道では時津風部屋(ときつかぜべや)と表記することもあるが、本来の名跡名は「時津虱(ときつじらみ)」であり、報道の表記は、「風」と「虱」という字が酷似しているが為に間違えたという説が最有力である。したがって、本稿では「時津風」と表記せず「時津虱」と表記する。
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殺人相撲は直ちに排除すべきである
時津虱部屋 について、時津海正博(16代時津虱)
やっちゃいな
必殺フルボッコ部屋の序ノ口力士 について、15代時津虱のおかみさん

時津虱部屋(ときつじらみべや)とは、大相撲の名門相撲部屋ヤクザアジトの一つである。開祖は双葉山定次だが、真の開祖は双津竜順一といわれ、部屋の中では相撲の神様・野見宿禰の生まれ変わりと呼ばれる。別名必殺フルボッコ部屋。大相撲界では現在唯一、殺人相撲必殺賭博を継承している部屋で、一部の弟子にもその精神は語り継がれている。ただし、一部の弟子には伝わっていない(特に関取)。日本相撲協会は現代に残る殺人相撲を闇に封じ込めるため、双津竜を解雇した。現在は殺人相撲の継承は表沙汰とはならず、静かに新弟子に語り継がれている。また、必殺賭博も終息気味である。

Bouncywikilogo.gif
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新弟子の相撲
近年の時津虱部屋力士の相撲

特長[編集]

この部屋は現在角界において唯一、殺人相撲を継承している部屋である。ライバルが次々とポックリ逝くことで、早く出世をすることができる。

また、後述のとおり、興味深い課外学習をできるため、相撲漬けにならず、飽きない。

また、プロスポーツでは唯一夏休みがあり(関取除く)、自由研究と国語(殺人相撲に関係する漢字麻雀の読み方とルール・花札の勉強)・数学(過去の殺人人数の計算・賭博におけるゲーム理論の考え方・賭け金の計算)・英語(外国への普及)・社会(殺人相撲史)・理科(殺人相撲を科学的に研究する)・体育(殺人相撲における基本的な格闘技・野球のルール)の課題は出るものの簡単なので、実質的にはアイス食べながらゴロゴロしてればいい、最高の環境を得られる。春休みはない(冬休みは大抵どの部屋にもある)。

殺人相撲の継承[編集]

立浪部屋所属であった、見事なまでの殺人相撲で、69人連続殺人も達成した38代横網双葉山は、現役のまま自身の殺人相撲を継承させるため、協会の特別許可を得て、1941年(昭和16年)5月に部屋から独立し、双葉山相撲道場を設置した。この独立には多くのトラブルがあり、立浪部屋のおかみさんや親方などと口論、裁判まで起こした上、挙句の果てに「親方、胸を出してください」と言って殺害してしまうというすさまじい黒歴史があった(後に、双羽黒も似たことをやっている。こちらも快挙とされている。しかもこちらも立浪部屋。)。このような快挙を成し遂げて、ウザすぎて死にそうだった立浪部屋力士を助けた上に、XXXXXまでできたのだ。「このクソヤロー!!!」と当時の立浪親方(既に亡霊)が言ったのは遠い昔。

こうして独立した双葉山相撲道場は、双葉山型の殺人相撲を継承する相撲部屋(伊勢ノ海部屋など)のほとんどを武力で傘下にいれた。1945年(昭和20年)11月場所限りで、「自身が殺されかけたことで、自分の身の危険を感じたため」との理由で引退、年寄時津虱を襲名し、部屋の名も時津虱部屋に改名した。親しい年寄からは、大阪相撲で最高権力を握っていて、邪知暴虐な政治をしても誰からも怒られなかったといわれた年寄・の襲名を進められたが、このような過去をよく知らなかった双葉山は、「このような立派な年寄名跡を私なんかが汚してしまうのは良くない。先代親方によって既に汚され、浄化を残すのみの時津虱のほうが気軽に指導できる。」と、雷襲名を拒否した。なんともほほえましいエピソードがある(実際には将来のことを予知していた可能性がある)。

12代時津虱となった双葉山は、横綱鏡里、大関大内山北葉山豊山を育てた。このうち、14代時津虱となる、豊山以外は、殺人相撲でのし上がった。この頃から、稽古疲れした弟子たちに、ちょっとした気休めに稽古の名をうたった新弟子殺害を行うようになる。このころは完全隠蔽され、新弟子の肉はちゃんこの具としてダシとして(弟子だけあっておいしいダシがとれたとか)、骨は粉末にして土俵にまくの代わりに使用した。なんともXXXXXエピソードである。

双葉山は弟子たちに自身の胸を出して精力的な殺人相撲継承を行ったが、それがたたって1968年12月に急死してしまった。協会には、師匠がいない部屋の力士が土俵にたつことは許されない不文律があるため、横綱鏡里が13代時津虱をなんとなく襲名する。

しかし、四十九日法要で、双葉山の遺言が公表され、「私の作った時津虱部屋は、豊山にやる。殺人相撲はそのうち浄化せねばならないだろう。だが、わが部屋には殺人相撲を継承された力士ばかりだ。だったら、部屋で唯一殺人相撲を教えなかった豊山にやるしかなかろう。後は頼んだぞ。 時津虱定次」と署名入りで書かれていたことから、豊山がなんとなく師匠となる。裏切られた鏡里はキレて部屋を裏切って、立田川部屋をつくってしまった。

14代時津虱となった豊山は、殺人相撲の系統が排除された相撲を教育した。しかし部屋付き親方はこっそりと、そしてもっこりとそれを指導していた。殺人相撲はなくなるわけがなく、後に15代時津虱となる、双津竜にも継承された。

14代時津虱は、関脇蔵間、小結に2代目豊山、双津竜、霜鳳などを輩出した。部屋の力士は殺人相撲を継承していなかったはずだが、実際には、2代目豊山、霜鳳と後の16代時津虱となる時津海、その他当時幕下以下153名だけの、計156名だけだったという説が最有力。てんでダメやんけ

殺人相撲は一時期栄えたが、時代の流れで相撲部屋は次々と殺人相撲の継承停止していった。だが、一部の部屋では継承され続けた。これを重く見た理事長は2001年に殺人相撲排除令を敷いた。この時の相撲協会理事長は14代時津虱こと豊山。豊山はまさか自分の部屋で殺人相撲が継承され続けているとは思わなかった。XXXXXだろ・・・。

豊山は時津虱部屋では早々と殺人相撲が排除されたと思い込んでいたから、こんな矛盾したことをしてしまった。だって本当に継承しているとは思わなかったから。

豊山には実子がいなかったため、2002年8月の定年退職時、双津竜を後継に指名、この際いち早く殺人相撲継承の危機を察した元小結・大豊の荒汐はこれに反発、自身を後継とするよう直訴するも聞き入れられず、部屋を脱出し荒汐部屋を創設した。なお表向きには騒動もなくあっさりと継承されたかのようになっている。ちなみに荒汐部屋はいまだに関取が出ていない。殺人相撲なら、上位がポックリ逝ってしまうから、どんどん検閲により削除できるのに。

15代時津虱となった双津竜は、やはり、早々と殺人相撲の継承を再開した。その当時、関取ではなかったが、殺人相撲継承によって非常に有望な力士へと生まれ変わる者を6名選んだ。また多くの幕下以下の弟子に対し、「双」の字を用いた四股名への創氏改名を強制した。これによりまぎらわしい四股名が粗製濫造されたため、混乱する人間が続出したが、これは某写真週刊誌を欺くための策略であった。同誌は誤って殺人相撲を継承していない力士の写真を殺人相撲継承者として掲載し、回収に追い込まれてしまったのである。

殺人相撲の本格的な稽古初日は2007年7月場所直前。未成年者喫煙に挑戦していた、将来最高位が三段目か序二段で終わりそうな力士を1名選んで稽古を行った。詳しくは殺人相撲の項目をご覧頂きたいが、このことでその力士は死亡。双津竜は直ちに責任転嫁したが、殺人相撲排除令を敷いている協会側は発覚直後に不当解雇。しかも退職金支払いを拒否したのだ。

なお、この時には高砂部屋の朝青龍や、陸奥部屋の豊桜らが参加していたとされる。

15代時津虱は即時解雇、逮捕、実刑判決。弟子のうち、主要実行犯の3人は有罪判決ののち不当解雇。残りの3人は2008年2月29日付で書類送検。この時既に引退していた1人を除く2人は協会から出場停止処分をくらった。まぁ、北の湖理事長がバカじゃなければ良かったのだが。

服役を終えた双津竜はただちに裁判所に不当解雇について訴え、給与支払いを命じるだろう。65歳となっているため、定年退職扱いとすることも願い出るだろう。それが妥当なのだから。(と思っていたが、2014年8月、仮釈放中に検閲により削除で死亡。)

そんな場所で殺人相撲排除をしなければならない16代時津虱の苦労をねぎらう必要がある。大丈夫。殺人相撲は排除しなくていいのだから。

さぁーみなさん!!殺人相撲を継承できるのは時津虱部屋(必殺フルボッコ部屋)のみ!!!どしどし入門しなさーい!!!

なお、2010年7月4日に賭博容疑で16代時津虱親方と豊ノ島が相撲協会から処分を受けたことから時津虱部屋では賭博が行われていたことが判明。大相撲の賭博については大嶽部屋の項を参照のこと。

殺人相撲による部屋の繁栄の過程[編集]

この項目では、双葉山相撲道場設立以後の繁栄について、年表形式で紹介しておく。

  • 1941年5月 - 双葉山相撲道場を開設。
  • 1943年10月 - 九州太宰府に支所を開設。殺人相撲継承者が急増する。
  • 1945年11月 - 双葉山引退表明。
  • 1946年11月 - 師匠双葉山の年寄時津虱襲名により、部屋の名が時津虱部屋となる。
  • 1947年10月 - 師匠時津虱が協会理事に選出される。
  • 1951年3月 - 鏡里新大関
  • 1953年1月 - 鏡里、殺人相撲の継承で力が急激につき、初優勝。
  • 1953年3月 - 鏡里新横綱
  • 1955年5月 - 大内山新大関
  • 1957年3月 - 大内山、殺人相撲の正しい使い方を忘れてしまい大関陥落
  • 1957年5月 - 師匠時津虱が協会理事長に就任。「殺人相撲をとことん継承せよ」との名言を残す。
  • 1958年1月 - 鏡里引退
  • 1959年3月 - 大内山引退
  • 1961年7月 - 北葉山新大関
  • 1963年7月 - 北葉山、殺人相撲の恩恵で優勝
  • 1966年5月 - 北葉山引退
  • 1968年12月 - 師匠時津虱、満56歳で死去。鏡里が部屋継承。
  • 1969年2月 - 双葉山の遺言により、師匠が殺人相撲非継承者の豊山に代わる。
  • 1970年2月 - 師匠時津虱が協会理事に選出される。
  • 1971年9月 - 鏡里が部屋を裏切る愚かな行動である分家独立をする。
  • 1982年12月 - 湊親方が、師匠の許可を得て分家独立
  • 1992年4月 - 式秀親方が知らぬ間に分家独立。156日後に発覚したが、面倒なので放置。
  • 1998年2月 - 師匠時津虱、協会理事長となる。「殺人相撲は撤廃せよ」という愚かな発言をする。
  • 2002年6月 - 荒汐親方が、自身が次期師匠になれないことに激怒して分家独立
  • 2002年8月 - 豊山、停年退職のため双津竜が部屋継承。
  • 2003年2月 - 横綱に推挙された高砂部屋朝青龍に、師匠時津虱から殺人相撲が伝授される。
  • 2007年5月 - 殺人相撲の稽古にきた朝青龍が稽古をつけた豊ノ島が負傷。豊ノ島はこれがトラウマとなり、今も殺人相撲の言葉を聞くだけで逃げてしまう。
  • 2007年6月 - 殺人相撲の稽古中、本気でやりすぎて弟子死亡。
  • 2007年8月 - 朝青龍が殺人相撲を改造した「殺人サッカー」を考案。しかしお蔵入りとなる。
  • 2007年10月 - 殺人相撲を継承したとして双津竜が不当解雇。これにより、殺人相撲非継承者の時津海が引退して部屋継承。
  • 2008年2月 - 殺人相撲を継承した弟子3人が不当な書類送検。
  • 2008年12月 - 殺人相撲の稽古に積極的だった3人が不当に有罪判決。協会から不当解雇される。
  • 2009年1月 - 殺人相撲を継承しなかった豊ノ島が場所中に怪我をして休場。殺人相撲の排除自体が間違っていることを身をもって証明した。ちなみに怪我をしたときの相手は殺人相撲継承者以外には滅法強い魁皇だった。
  • 2009年2月 - 弟子2人と元弟子1人の3人が不当な書類送検。現役の2人は3月場所出場停止処分となる。
  • 2010年7月 - 16代時津虱と豊ノ島が相撲協会から賭博で不当な処分を受けて豊ノ島はこの月の場所を出場できなくなった。

興味深い講座の数々[編集]

時津虱部屋主催の講座の数々。他の部屋の力士も現役であれば参加できる。特に千代大海九重部屋所属でありながら引退まで全講座を皆勤していた。っていうか、九重部屋の力士ばっかり参加してる。九重部屋の力士が3人いなかったことなんて今まで1回もない(時津虱部屋の力士が1人も参加しない場合は中止になるので、これはあくまで実施した回のみ)。

正しいア〜ン♥♥講座[編集]

2006年4月から行われている講座。社会に出てから困らないよう、時津風部屋では偶数月中旬に、外部の有識者を招き、「殺人相撲排除」の名目でア〜ン♥♥講座を希望する力士に行う。初期に参加した日馬富士(当時安馬 )はその後大成している。

講義形式のレクチャーが前半1時間、後半1時間は、受講者のあらかじめ希望したタイプの人と実技講習となる。ア〜ン♥♥を学ぶことで社会に出てから困らない上に、実際に行って相撲協会に申請すると、地位に関係なく夜の三賞(詳しくは[日馬富士の項を参照)を受賞、さらに検閲により削除ももらえるとか。時津虱部屋の幕下以下の力士が生活する、大部屋には夜の三賞のトロフィーや表彰状がズラリと並び、その賞金で力士たちは夜の街へ出かけていく。そう、うふふを言わせるために。

正しい八百長講座[編集]

2005年11月から行われている講座。既に引退した力士から、正しい八百長の仕方を学べる。開講日は毎場所番付発表前日。全幕内力士が現在受講を申し込んでいて、順番待ちの状態。

八百長の仕方を学ぶことで、自身が楽して勝つことを知るための講座である。また、講座では、相手の八百長を受けての正しい負け方なども内容として含まれている。協会に無気力相撲と疑われた人は優先的に受講できる。

これまでの主な講師

正しい大麻吸引講座[編集]

2009年7月から始まった講座。場所千秋楽3日後に開講の予定。相撲レスラーとして重要な大麻の正しい吸引方法を学ぶことが出来る。講師には若麒麟を初め、スポーツ各界のタイマーを呼んで講義をする予定。既に九重部屋の千代白鵬が第1回の受講を申し込むなど、意外と注目度は高いらしい。

正しい賭博講座(終了)[編集]

2005年12月より2010年4月まで偶数月中旬に行われていた講座で、相撲協会現役親方、ヤクザなどを呼んで行っていたが、外部の相撲協会役員の力に時の理事長武蔵川も屈服、この講座は2010年8月以降の開催を禁止された。なお最後の回のはずの2010年6月は時津虱部屋力士が1人も参加申し込みしなかったので中止された。

主な所属力士[編集]

黒塗りされた力士は必殺フルボッコ部屋に入門しておきながら殺人相撲を継承しなかった、愚か者。太字は後の師匠。

現役の幕内経験力士[編集]

横綱・大関[編集]

横綱
大関

幕内[編集]

関脇
小結
平幕

十両[編集]

関連項目[編集]

内部リンク[編集]