略
略(りゃく)とは、あえて言葉の一部を濁すことで、肝心な部分を読み手の想像力に託すことにより自らの逃げ道を残すコミニュケーション手法の一つ。文章の最後に「以下略」や「(ry」と記述することで用いられる場合が多い。
概要[編集]
他者とのコミニュケーションというものは本当に難しい。人間は他の動物と違い、言語によって他者とコミニュケーションを図ることができるが、言語というものは恐ろしいもので、場合によっては刃物や鈍器などよりも簡単に人一人の命を奪うことさえもできるものである。例えば、今この記事を読んでいる貴方(貴女)はまずこう思ったであろう。
「コミニュケーション? コミュニケーションの間違いじゃね?」と。
しかし、それを思ったまま言葉あるいは文章にして筆者に突きつければ、恐らく筆者はひどく傷つくであろう。表現によっては、筆者に「頚骨と麻縄の強度についての人体実験」や「重力と人間の体重による加速度実験」を行わせる結果に繋がりかねない。
そういったことを忌避するため、人間は「略」を使って表現をぼかすのである。試しに上記で例に挙げた「コミニュケーション」という言葉の間違いを指摘する際の文章を略してみる。
「コミニュケーションってもしかしてコミ(以下略」
どうだろうか。いくらか柔らかい表現になったと感じるのではないだろうか。このように略した部分を読み手に想像させることによって、ミスを指摘する刺々しい内容のメッセージも「私は貴方を責めているわけではない。この間違いを貴方に気付いてほしいだけ」という奥ゆかしいメッセージへと相成るのである。また、用法をアレンジすることでさらにフランクな表現にすることも可能である。
「ちょwww コミニュケーションじゃなくてコミュ(ry」
どうだろうか。なんとなくこの文章の書き手に対してフレンドリーな感情が芽生えてきたのではないだろうか。目を閉じれば友達に間違いを指摘されて「ヘヘッ」などと笑いあいながら間違いを訂正する姿が瞼の裏に浮かんでくるのではないだろうか。
このように、略することによるコミュニケーション手法というのは人間の生活には欠かすことのできない手法なのである。
例外[編集]
この世の中の全ての物事には例外というものが存在する。表現を柔らかくするはずの「略」によって、一部の人々が不愉快な思いをすることもあり得るのである。
例[編集]
- 「フリー百科事典のwiki(略)って面白いですよねー。」
- Wikipediaをwikiと略すと一部の頭の固い連中が狂ったように騒ぎ出すのでお勧めできない。
- 「それはもしかしてギャグで(ry」
- 正しい用法に見えるが、何故か略さない時よりもキツい言い回しに感じる。
- 「どう見ても○○です。本当に(ry」
- 本当に何なんだよ! 最後までハッキリ言えよ!!
- 「あ(ry」
- わかんねえよ!!
- 「誰も(ry」
- 一部の人間しかわからねえよ!
関連項目[編集]
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