2021/09/08
2001年9月の日記から
はじめに
アメリカの独立系メディア、Democracy Now!で、20年前の911同時多発テロから、どのようにしてアメリカが、アフガニスタン戦争に突入していったのかが、当時のニュース映像とともに紹介されていました。
↓
■Spencer Ackerman: Today’s Crisis in Kabul Is Direct Result of Decades of U.S. War & Destabilization Democracy Now! SEPTEMBER 06, 2021
https://www.democracynow.org/2021/9/6/spencer_ackerman_afghanistan_war
日本語字幕がないので、簡単に紹介すると、アメリカ時間の2001年10月7日アフガニスタン攻撃の前に、当時のアフガニスタン政府であったタリバンは、アメリカが911テロの首謀者とする「ビン・ラディンを引き渡すこともできる」と申し出たけれども、アメリカのブッシュ政権は「交渉しない」と拒絶し攻撃を開始。また、2001年12月には、タリバン側からの、「最高指導者のオマル師のカンダハールでの尊厳ある暮らしと引き替えに降伏の準備がある」との申し出も、ブッシュ政権は「交渉しない」と拒絶し、戦争を継続したことが触れられています。
その20年後、世界が目の当たりにしたのは、米軍撤退とともに、ふたたびアフガニスタンを掌握したタリバン。この20年間の戦争で失われたアフガニスタンの人々の命、暮らし・・・、そして若き米兵たちの命が失われ、精神を蝕まれ・・・。
その上、アメリカは、訓練済みのアフガン軍の兵士と共に、最新鋭の兵器をタリバンにプレゼントしたことになり、得をしたのは、タリバンと、戦争で大儲けした軍需産業と、そこからの献金をもらっている政治家か?という様相です。
そして現在、アメリカでは共和党を中心に、「アフガンがテロの温床になる」「アフガンからの退避者の中にテロリストがいる」と大騒ぎの模様。アメリカ国内もまた20年前を再現するのでしょうか?
20年前の既視感に、とてつもない徒労感と不安にさいなまれる現在です。
どうしてこのようなことになったのか?ブログもなかった当時、一般市民の考えたこと、感じたことが活字になる機会も少なかったので、つたないながらも私の当時の日記を、このブログにおいて掲載し、どこかの国の「公式見解」ではなく、私というひとりの市民の目を通して見た、この20年間の「対テロ戦争」の始まりを綴りたいと思います。2ヶ月ほど、ぼつぼつと書き足していこうと思いますので、しばらくおつきあいいただけたら、ありがたく思います。
2001年9月11日の日記
信じられない事が起こった。いつものように「ニュース・ステーション」を見ていたら、ニューヨークのワールド・トレード・センターに旅客機が突っ込んだ。ツインタワーが火の海というか、黒煙に包まれてしまった。それもボストンでハイジャックされた旅客機が2機も突っ込んだ。
それに目を疑うほど驚いていたら、今度はワシントンD.C.のペンタゴンから火の手が上がって、それもハイジャックされた飛行機が突っ込んだって・・・。国防総省だよ!それがこんなに簡単に攻撃されるなんて・・・。そうこうしていたら、なんとワールド・トレード・センターのふたつのビルが倒壊してしまったの。ビルを倒壊させる時にダイナマイトをしかけるけど、あれと同じような感じで倒壊してしまったの。
(中略~どれほどの人が犠牲になったのかを心配する記述の後、当時の憶測の情報が続く~)
今でも、*10機ほどが行方不明になっているらしい。まだテロが行われる可能性があるよ。いや、しかし、恐ろしい。アメリカのモーニングショーの時間を狙って計画されたらしくって。それも、まだ誰も犯行声明をだしていない。これからどうなるのか、わからないよ、世界は。
でも、**テロが行われるっていう情報は、アメリカは持ってたんだよね。4,5日前、CNNを見てたら、日本や韓国のアメリカ人にテロの危険があるからって、警告がされてたし。その時は、「ヘェ?」としか思わなかったけど、こういうことだったのか?って、今日思ったわ。日本も危ないよ・・・。アメリカの軍事基地関係もだけど、その他の施設も気をつけないと。いや、アメリカはもう戦時下だよ。
これからどうなるのか考えると恐ろしい。なんか今日は文章がうまくまとめられないわ。だって、信じられないよ・・・。
2021年から振り返っての注:
*その後ハイジャックされたのは4機で、最後のひとつは、ホワイトハウスを狙ったとも言われているけれども、ピッツバーグ郊外に墜落したと判明。
** アメリカを狙ったテロは、1998年の アメリカ大使館爆破事件や、2000年の 米艦コール襲撃事件など、2001年以前から度々問題になっていた。
2001年9月13日の日記
ニューヨーク、ワシントンでの同時多発テロから3日目の朝をアメリカは迎えたけど、さっきようやく飛行機がアメリカの空を飛べるようになった。アメリカは飛行機なしには機能しない国だから、早く飛ばさないとね。でも、またハイジャックされたら怖いから、かなりチェックを厳しくするみたいだけど。
犯人は、一応アラブ系テロ組織ということになりそう。アメリカがMost Wantedにしているラディン氏との関与があるのかどうかはかなり重視されてるね。ラディン氏はアフガニスタンのタリバン政権に保護されているみたいなんだけど、その身柄の引き渡しなどの条件をタリバンがのまなかったら、アメリカはアフガニスタンを攻撃するのも辞さない勢い。
まあ、今、世界中は今回のテロに憤りを持っているから、アメリカに同情しているけど、もしも対応を誤って、たとえば、多くの国にまたがっているラディンのアジトを全部ミサイル攻撃するとか、アメリカ国内のイスラム教徒を迫害したりとかしたら、国際社会もどっちに向くかわからないよね。
とにかく、これからアメリカがどのような報復をするのかが問題だね。
2001年9月15日の日記
アメリカの同時多発テロの捜査はあまり変わっていないけど、アメリカはラディン攻撃に向けて着々と準備を進めているみたい。でも、たかがテロリスト相手に総力戦っていうのは、ちょっと、トラックであぜ道を通るみたいなものじゃないかな・・・すなわち非常に効率が悪くて、はた迷惑じゃないかなと思うのよね。まあ、アメリカって、100倍ぐらいに仕返ししないと気が済まないところがあるからなぁ。(中略~アメリカのこれまでの戦争をざっと振り返る)今回のテロは許せないけど、これ以上テロをおこさせないためにも、総力戦という手段はやめた方がいいよ。
2021年から振り返って:まだ、この頃はラディン氏、ビンラディン氏と名称も統一されていなかったことがわかります。また、本来はCIAや国際社会との協力でテロリスト逮捕という手段があるのに・・・総力戦?戦争?と私も理解に苦しんでいたことが、当時の日記から改めて感じられます。
2001年9月17日の日記
先週のテロから、明日でちょうど1週間。「戦争だ!」ということで、日増しにきな臭くなってきてるんだけど、そんな折りL(アメリカ人の友人)からメールが来てた。いつも前向きで動じない彼女も、やはり今回のことはかなりショックだったみたいで、fear for the future(将来への恐れ)を感じるって。私も同感。
ブッシュ大統領は、「これは十字軍だ!」とか言って、キリスト教とイスラム教の側面を強調するようなことを言ってるけど、これは、一般市民をテロから守る運動にしないといけないんだよ。宗教戦争なんかにしては、絶対にいけないはず。(中略~ブッシュ氏への不満が続く)
ニューヨーク株式市場が、さっき1週間ぶりに開いたけど、下げまくってる。
2021年から振り返って:宗教戦争に発展しそうな気配と世界経済の混乱に、とても不安を感じていたことが読み取れる日記でした。
2001年9月20日の日記
これまでの快進撃で当然と言えば、当然だけど、シアトル・マリナーズの地区優勝が今日決まった。イチローは2塁打を放った。おめでとう!11日のNYとかのテロのせいで、1週間試合が中断されたりして、大騒ぎはできない優勝だけど、イチローだけが今の私の楽しみだよ。
世の中は暗い。なんか、戦争に巻き込まれそうな感じになってきて、NY市民は毒ガス用マスクを買い込んでいるらしい。テロだと何がおきるかわからないものね。地下鉄でサリンをまかれたりとか・・・。日本もアメリカを支援するって言い回っているけど、日本も標的になりかねないよ・・・。
2001年9月21日の日記
今日は、「テロ事件」以来初めてのブッシュ大統領の議会演説があるっていうから最初から最後まで観てたけど、いやあきれる内容だった。アメリカ国民はほとんどはあの演説は良かったと思っているのもあきれるけど。初めての本土攻撃に怒りが収まらないんだろうけど、普遍性は感じられない内容だったね。タリバン政権自体に戦線布告しているとしかとれない部分では、「ひげが十分に長くないという理由で投獄される」とか「テレビも観られない」とか、つまらない理由。
一番驚いたのは、「世界は我々の味方か、テロリストの仲間か、どちらかにつかねばならない」って。どちらにもつきたくない国もあるでしょう?だいたいアメリカが今までやってきたことって、相当ひどいこともあったし、テロにも反対だけど、アメリカにも反対っていう国は多いと思うよ。特にイスラム諸国は。そんな国々を「テロ支援国家だ!」って言いかねない、ひどさ。(中略~ブッシュ氏への不満が続く)
この演説の中で、タリバンへの6つか7つの要求を突きつけて、無条件で従え、交渉の余地はないって言ってるけど、いつものアメリカのパターンよね。相手ができないような最後通牒を付きつけて、相手が拒否するとそれを口実に攻撃を開始するって。予想通りタリバンは、「ラディン氏が犯人である証拠を見せろ」って声明を出して、アメリカは待ってましたとばかりに軍事作戦を進めだしたよ。その作戦名は、Infinite Justice「無限の正義」。そんなものはこの世に存在しないよ。無限に正義の前には、アフガニスタンの一般市民を何万人も殺してもいいの?許せないよ。
2001年9月24日の日記
今日、日本人を対象にした世論調査で、とても興味深い結果があった。「アメリカを支援すると、テロ攻撃を日本が受けるという不安を感じますか?」という問いに、なんと90%の人が感じていると答えていた。政治家よりも国民の方がよっぽど危機感が高いんじゃないの?という感じ。
9月11日を「世界が変わった日」と呼ぶ人も多いけど、たしかに変わった。なんだか初めて感じる戦争だ。だってこの戦争の戦場は、どこでもありうるわけで。アメリカがまた攻撃を受けるかもしれないし、日本かもしれない。基地かもしれないし、地下鉄かもしれない。病原菌をまかれるかもしれないし、アタッシュケース型核爆弾かもしれない。こんな恐ろしいことってないよ。
2001年9月26日の日記
今日は、Y先生(大学院でお世話になった情報学者)からお便りがあって、やはり話題は「アメリカの新しい戦争」についての懸念だった。私もほんとうに不安。
今回、わざわざ小泉首相がワシントンまで行って、ブッシュ大統領に何を渡したかっていうと「白紙委任状」でしょう。アメリカがどんな軍事行動をとろうとも、日本は後方支援するって、それはおかしいよね?条件をつけるべきだよ。そうやって簡単に国民の生命にかかわる問題を、アメリカに任せてしまうなんて・・・。
2021年から振りかえっての注:
後方支援について、下記の当時の防衛事務次官が書かれた記事でも紹介されています。
「海上自衛隊艦艇は速やかにインド洋へ派遣されました。この活動は、史上初めて自衛隊が「戦争支援」を行うものでした。」詳細↓
■アメリカ同時多発テロで自衛隊初の「戦争支援」 小泉官邸で見た混乱と決断
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021071300002.html?page=2
『花と爆弾~もう、戦争の暴力はやめようよ』 小橋かおる著 p.30の挿絵「黄の薔薇」 |
2021/09/02
9月2日に思うこと
1945年9月2日、東京湾に停泊していたアメリカ海軍の戦艦ミズーリ上で、日本の降伏文書調印式が行われ、マッカーサー元帥の米軍を中心とした連合国による日本占領が正式に始まった日です。76年前のこの日を生きていた日本人は、どのような不安を感じていたのか、私は今、追体験しているような気がしています。
どうして?って、不思議に思いますよね?
理由は、この21年間、ずっとアフガニスタンの子どもたちのため、女性のためにと、支援を続けてきたからだと思います。
先月、2021年8月15日、20年前までアフガニスタンを支配していたタリバンが、復権しました。そのとき初めて気がついたことは、支配者が変わるということの恐ろしさというか、「善」と思われていたことが「悪」へ変わってしまうという怖さです。
私が良かれと思ってしてきた、日本のNGOを通しての女子教育の推進を筆頭に、日本という外国を通しての支援を受けたアフガンの人々、現地のスタッフが、タリバンの支配下では、命を脅かされかねないという事態となってしまった・・・。
これまで1945年8月15日の玉音放送を聞いて、皇居前で泣き崩れ、途方にくれる日本人の映像を何度も観てきましたが、その後のなりゆきを知っている私には、彼らがなぜ泣いているのかどうもピンときていませんでした。
しかし、今年の8月15日には、彼らの気持ちがわかったように思いました。私は米軍によるアフガニスタン攻撃には最初から反対していましたし、米軍の傀儡のようなアフガン政権を良いと思ったことはありませんでしたが、それでもその社会の枠組みが壊されてしまったら、その社会の中で、私が支援してきたことが全否定されるどころか、それによって人の命を危うくしてしまいかねない状況となってしまう。それが、1日で起きてしまったのです。76年前の日本人も、戦争は嫌だと思いながらも、日本のためによかれと思ってやってきたことが、全否定される敗戦を目の当たりにして、不安におののいていたのだと、今ならわかります。
そして、日本から支援してきただけの日本人の私とは、比べものにならないほどの不安と恐怖の中にいる現在のアフガニスタンの人々・・・。
1945年8月30日。マッカーサー米元帥が、日本統治のために厚木空港に降り立ちました。そして、2021年8月30日、アフガニスタンに20年間駐留していた米軍が撤退していき、タリバンがアフガニスタンを完全に掌握しました。
アメリカにとっても、76年前の勝利と、現在の敗北の対比が鮮明となった8月15日と8月30日となりましたが、私にとっても、自身が一員となっている社会の支配者が変わるとはどういうことか、それがどれほど不安で恐ろしいことかを、思い知らされる8月15日からの日々です。
76年前の9月の日本はどのようなものだったのでしょう?私が子どものころに見せられたテレビの画面では、8月15日の玉音放送の後は、必ずと言っていいほど、ビッグバンド・ジャズの演奏で、楽しそうに踊る米兵と日本女性の映像でした。そこにあったはずの厳しい情報統制やBC級戦犯の処刑、レイプなどの被害にあう女性たちの苦悩を、私が知るのは、ずっと後のこととなります。
これからのアフガニスタンがどうなるのか。これまでアフガニスタンの人々のために支援を続けてきた日本や欧米のNGOや国連機関、国際社会は、タリバンとの交渉も辞さずに、なんとかしてこれからも関わり保ち、支援を続けていかなければならないと思います。
私も微力ながらも支援させてもらってきた、アフガニスタンの女学生たち、生計を立てる手段として絵を習っていた子どもたち、病院のスタッフや水路建設に携わっていた男性たちのことを片時も忘れず、これからもできることをしていく覚悟です。
私に何ができるかは、まったくわかりません。しかし、90年代のタリバン登場前から、2019年に凶弾に倒れても、ずっとアフガニスタンの人々が自立して生活が営めるようにと医療活動、水路建設を継続させてきた中村哲医師、そして中村医師と共に作業してきた現地のアフガニスタンの人々を思えば、どんなに支配者や社会が変わっても、変わらない、変えてはいけない大切なことがあるはずです。
これからも、私にできることを探します。
中村哲医師がアフガニスタンの人々と 砂漠に築いた水路 ペシャワール会 |