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2012年12月13日 (木)

地震に思うこと

またしばらく更新出来ませんでした。

月日が滝のように流れ落ちていくような感じがする。
Img_0903テレビを見る最近の父。
数日前の夕方、父のいる病院にいるときに久しぶりに大きな地震がきた。
三陸沖で震度5。父のいる病院の辺りは4。
父がいるのは病棟の5階。
元々低地のために地盤が緩いのか、5階だからからかはわからないが、
とても大きくゆっくり長く揺れた。
病室の引き戸が勝手に開いたり閉まったりした。
私は車椅子に座っていた父の頭に覆いかぶさるようにしていた。
父は揺れに怯えていたと思う。
大きく目を見開いて私をじっと見ていた。
「だいじょうぶだよ、何かあったらEKKAがお父さんを背負って逃げるからね」
父はまばたきで「うんうん」と返事をした。
お隣のベッドのTさんは面会に来ていた奥さんの手を握って話さなかった。
(お隣の方も事故で脳を損傷して、意識はあるけど言葉がでない。でも手は動くから羨ましい)
お向かいの脳梗塞で身体が麻痺して寝たきりのKさんには
誰も付いていなかったから、私とTさんの奥さんが「Kさ〜ん、大丈夫だからね、すぐ収まるから〜」と 声を何回も掛けた。
大丈夫なんて、まったく根拠はなかったけれど、
それ以外、どう言ったらいいのかわからなかった。
Kさんの不安そうな顔が見えたので、とにかく一人じゃないよって
伝えたかっただけなんだと思う。
なんでこんな事を書き始めたかというと
先ほどNHKの番組をみたからだ。
3.11の時の双葉町の病院に入院していた寝たきりのお年寄りが
観光バスで、点滴、酸素などいろんな物を外して避難所に向かい、
それも手違いで医師、看護婦を乗せないまま出発して
13時間走り続けるうち、数名が車内で衰弱して亡くなっていったこと。
避難所は体育館で凍えるような状況で
ここでも数名亡くなっていったという。
さらに、その後受け入れてくれた病院でも数名が亡くなって
全部で25名(不確かです)が命を落としたという。
番組の最後の方で、政府は自治体に動けない患者の避難策を講じるように
指示をだしたという。
この番組は確か再放送だったはず。その後、避難策はどうなったんだろう?
数日前の地震に戻るが、揺れが収まった後で
看護助手さんとTさんの奥さんと地震の話をしていたのだが、
助手さんが「この前、ここも避難訓練したのよ〜」と言った。
Tさんの奥さんが「ここの病棟の人は、みんな一人では動けない人だけど、
避難はどうするの?」と助手さんに聞いた。
助手さんは「あぁぁぁ、どうするんだろう?ここは人手も少ないし・・・」
この前の避難訓練とやらは、動ける人たちだけのことしか
考えていない訓練だったらしい(ノ><)ゝ ヒィィ
もしかしたら、病院としては考えたくない事なのかもしれない。
看護師さんは、「発電機があるから少しは持つけど
長い間は無理だわ、去年の輪番停電ぐらいなら大丈夫だけど・・・」
半日も持たないってことか!!
痰の吸引すら出来なくなる!!! 
父は聞こえているので、ぞっとしていたようだ。
父には「私が病院にいないときでも、なんかあったら車でぶっ飛ばしてくるから大丈夫だよ。力持ちだから5階分だって階段を下りるからね!!」
父はまばたきで「うんうん」と答えた。
でも、面会時間が午後8時で終わり帰ろうとすると
父は必死な顔をして、口を動かしていた。
父は前よりも口は動くようになってきたけれど
口の形で言葉がわかる程度には自由に動かせない状態だ。
でもその時はハッキリ口の動きが読めた。
「か、え、る、か、え、る」
私と一緒に家に帰るというのだ。
私も出来るならそのまま連れて帰りたいと思った。
(いや、いつも思ってるけど)
それから父を安心させるため、沢山話をした。
私が仏壇で毎日お父さんのお父さん、お母さん、お父さんの大好きな富郎伯父さん(父のすぐ上の兄)、あの世にいる父の姉たち、そして父が世話をした母の弟のおんちゃん、みんなにお父さんのことを守ってくださいってお願いしているよと。
お父さんはみんなに見守られているから一人じゃないんだよと。
そして、私が車でぶっ飛ばして駆けつけるからねと。
父はまぶたでずっと「うん、うん」と聞いてくれた。(パチリ、パチリとしてくれたってこと)
そんなこんなで納得してくれて、病院を出たのは
面会時間を45分超過してからだった。
当直の看護師が尊大な態度で威張って
常にけんか腰の人じゃなくて助かった(>ω<;)ふぅ・・・
この病院だと、動けない患者は放置されそうだと確信してしまった。
何かあったら本当に私が父を背負うしかなさそうだ。
体力つけなきゃ〜
Img_0904                   最近見たのは姉にDVDに落としてもらったNHKの中華文明と元寇。
相変わらず歴史好き。
こんな父だけど、看護師長さんに言わせると
「酒井さんは植物人間」だそうだ。
まばたきで会話をしていると訴えても
「ご家族はそう思いたいのよね〜」と言う。
この人は、どこまで患者を看ていないのだろう?
この病院の各階の看護師長になるには
看護師としては最低でも、経費節減に長けている事が重要らしい。
病院では「感染予防の為、タオルの持ち込みは禁止。
病院が(業者が)きちんと洗濯したタオルを使えといい
一ヶ月9,000円くらい徴収している。
最初は各患者のロッカーにタオルが常に入っていたけれど
経費削減に一層励んでいるらしく
患者のところにはタオルは置いていなくなった。
使うのはお風呂に入れるときぐらいらしい。
仕方がないので、我が家は持ち込み禁止のタオルを
たくさん持ち込んでいる。
びっくりするのは熱が出たときに氷枕を包むタオルも
持ち込んだタオルが使われていたのだ!!
タオル代、返せよ!!
他にも、シーツ交換の周期が長くなった。
そして汚れても交換しないのだ。
父の足をマッサージするために布団をめくると
シーツにウンチがちょっぴり付いて固まっていたのだ。
ここでは何を騒いでも、何もしてくれないことはわかっているので
エタノール入りのウェットテッシュで必死に落としました。
でも、カレーの汁が飛んだ跡みたいなシミは残っちゃいました。
このシーツは結局一週間使ってた。(シミ発見から4日後に交換)
パジャマもレンタルしているけれど
痰がこびりついてガビガビになっても替えてくれない。
気管切開のカニューレの交換の時に、血が付いても替えない。
パジャマレンタル代、返せよ!
でも、本当はそんなことよりも
衛生管理をちゃんとしてほしい!!
この病院で最初に入った病棟では、
痰の吸引のチューブの管理が看護師によってやり方が違った。
日赤ではチューブは一回毎に廃棄していたが
ここでは1日は使い回すのだ。
使い回すなら、せめてきちんと消毒してほしいものだ(当たり前だが)
チューブは使用後、水を吸い上げて中をきれいに流す。
外側を消毒し(ここではエタノールを浸したガーゼで拭く)
最後に保存用の液に入れる。
そしてチューブは2本。気管用と口、鼻用。
ところが人によっては水を吸わせないでチューブの中身に痰がついたまま
保存液に入れる人、外側を拭かないで保存液に入れる人(これだと保存液の中で菌の培養をしているのでは????)
外側を拭かない人に「どうして拭かないのですか?」と聞くと
「汚れたら拭きます」ときっぱり言い切った。
気管に入れた時点で、痰は付いているのだが、
彼女は"見た目の汚れ"="チューブが汚れたら"と言うことらしい。
これでは父が殺されると思い、看護師長に訴えた!!
このことに関しては、注意し改善すると約束してくれた。
でも、五月蠅いと思われたのか、数日後には
違う病棟に移されたのだった。
結果的には移った病棟の方が病室も広いし
看護師のレベルが高い人が数人いるので、こちらとしては良かった。
どうしてこんな病院に入院しているのか?
埼玉県は医療過疎県なんです!!
そして、父は急性期を過ぎ、事故後6ヶ月以上経っているから
リハビリ病院には受け入れて貰えず、
病院に取って儲けが少ないから数が少ない療養病棟しか
受け入れて貰えないのだ。
(この制度を作ったのはコイズミ君)
そして、患者を自宅で看ろと、入院して6ヶ月たつと
さらに点数が減るので、転院を即されるのだ。
そして、患者は自宅で看られるほど軽度ではない場合
違う療養病棟のある病院に転院するのだ。
そしてまたしばらくすると転院・・・
何年かすると同じ病院に戻ってくるらしい。
気管切開している患者は特に面倒がられて
いるので、受け入れ病院は見つけにくい。
父は、次に行く病院は決まっていないのだが
そこに空が出ないと転院も出来ない。
本当は、出来ることなら家に帰したい。
でも、家の構造を根本的に治さないと帰すこともできない。
重い医療用ベッドを置くために床の補強。
狭い廊下は車椅子が通れない。古い家の構造なので
いろいろ不適当なところが多い。
家の敷地自体が道路から1.5mほど高いので
一度家に入ったら(担架で)、車椅子では外には出られない。
あああ、なんだか八方塞がり感が溢れている我が家。
我が家の唯一の救いはこの方。
R0012925
うちの長男、道之介(みーちゃん)
総領息子なので、じーちゃんの留守を守ってます。
Img_1012
ぼくがこのいえをまもります!!(ビビリだけど)
私はほんとにこの子に救われている。
うちの子になってくれてほんとにありがと。
ずっとずっと一緒にいようね。

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