前回のブログを書いてからすでに半月が過ぎようとしている。
つまりおんちゃんの通夜からそれだけ経ったということだ。
おんちゃんのお通夜の日は前日までの寒さが一転して暖かい一日となった。
お通夜の日の喪主一家は忙しいのだと思っていたの思っていたが、
お通夜の始まる2時間前に斎場に行けば良いということで、
それまでは家族でぼんやりと過ごしていた。
おんちゃんの祭壇にお供えする御飯だけは、家で炊いて持って行くことになっていたので
御飯だけ炊いておいた。
斎場に着くと、祭壇はすでに出来上がっていて
おんちゃんが入っている棺がその前に置かれていた。
私たちが着いて間もなく、義兄(姉の夫)が運転する車で
叔母たちが斎場に到着した。
みなで、おんちゃんに会い話しかけていた。
叔母が持ってきたキューバのお守りの人形を棺に入れた。
そうこうしているうちに、お通夜に人が来始めたので私は受付の机についた。
友人が手伝いに来てくれたのでだいぶ楽をさせてもらった。
私たち 家族はおんちゃんの友人、知人がどれくらいいるのか把握していなかったので、
もしかしたら親戚と友人数人だけになっちゃうかもね、それはそれでいいかねぇ、などと
話していたのだが、通夜が始まると案外と人が来てくれた。
地域でのお友達、10年以上前に退職した職場の人、同じアパートの人、大家さん。
おんちゃんはアパートの回りでちゃんとコミュニティの一員として活躍していたのだ。
私は受付が落ちついてから、気持ちの方が落ちつかず
親族席に座っていることが出来ずにほとんどの時間を受付で過ごした。
親族がお焼香をしているからと葬儀屋さんに急かされてお焼香をした。
通夜が終わって、親戚達でもう一度おんちゃんの棺のまわりに集まっていた。
私は受付をしてくれた友人をおんちゃんに紹介した。
「おんちゃん、おんちゃんのお通夜と葬式の受付をしてくれるMちゃんだよ」
友人は、「はじめまして」と棺のおんちゃんに向かって挨拶してくれた。(なんていいやつだ)
そうこうしているうちに精進落としの席にいたお客さんたちが戻ってきた。
みんなおんちゃんに会いたいというのだ。
みなおんちゃんに話しかけたり、おんちゃんに「ありがとね」と言ってくれたり、
額を撫でてくれたりした。
おんちゃんのお友達は、喪主の私の母におんちゃんのことを話してくれた。
叔母たちもそれを聞いていた。私も姉も駆けつけた従兄弟も。
おんちゃんは、みんなに愛されていたんだ。
それが私たち家族の気持ちを楽にさせてくれた。
おんちゃんは1人じゃなかった、孤独じゃなかった。
同居しようという私の母の誘いを断り、アパートに1人住まいを続けたおんちゃん。
母は、弟にこんなにお友達がいてくださったと言って泣いていた。
翌日の葬儀は、朝早かったのにお通夜に来てくださった方達が集まってくれた。
仙台から、親戚も来てくれた。
おんちゃんの棺に花を入れる時、叔母達が
「おにいちゃん、花を入れるけど照れないでね」と言いながらいれていた 。
お友達も「Kさん、照れ屋だから〜」と言っていた。
花を入れ終わると、棺の蓋を閉めなければならないのだが
別れがつらくてなかなか閉められなかった。
私も別れたくなくて、おんちゃんに頬擦りをした。
おんちゃんは、昨日から冷蔵庫から出ていたのに
やっぱり冷たいままだった。それでもおんちゃんはおんちゃんで、愛おしかった。
こういうときに葬儀屋さんという第三者がいるのは、ありがたい。
そろそろお時間ですので・・・。
この言葉がなかったら、みな別れがたくて、いつまでも蓋が閉められないでいただろう。
お友達はおんちゃんの骨も一緒に拾ってくださった。
受付をしてくれたMちゃんも拾ってくれた。
Mちゃんは、初めて会ったのが棺の中にいるおんちゃんで、
次ぎに会ったのは、骨になったおんちゃんである。
葬儀が終わり、骨になったおんちゃんは私の両親の家にやってきた。
叔母達も帰るまでには時間があるというので、狭い我が家は人でぎっしりになった。
みなでお茶を飲み、おんちゃんの写真を見たり、こどものころの話をしていた。
お葬式の後だけど、なぜか笑っていた。
葬式っていうのは、案外とこんなものなのかもしれない。
悲しいけれど、みんないつかは死ぬのだ。
悲しいけれど、残された人は生きて行かなきゃならない。
それが分かっているから、笑うんだろう。
夕方にはみな帰り、うちにはおんちゃんの骨と両親と私の4人になった。
おんちゃんには、トマトやキュウリを供えた。
まるでお盆だねと母は笑っていた。
夜、私はおんちゃんと同じ部屋で眠った。
おんちゃんにおやすみを言い、おはようを言った。
午前中に仕事のためにアパートに戻った。
それからは、ずっと稽古と本番を何回か繰り返して半月が過ぎてしまった。
母は葬儀の後、数日は気が抜けてしまったようだが、
だいぶ持ち直してきたようだ。(そうみせているだけかな?)
おんちゃんの残していった預金は、
最期の入院費と葬式代とアパート代やらいろんな支払をすると丁度なくなるくらいだった。
預金はすでに凍結されているので、いろんな支払はうちの父が立替ていう形で済ませた。
相続権は、おんちゃんの姉妹である母達と、すでに死んだ叔父の息子(私の従兄弟)にある。
遺言書など当然ないので、普通に相続して、葬儀代を折半することになった。
(それが一番面倒くさくないみたい)
おんちゃんはも自分の葬儀代など、さいごの支払はちゃんと自分でやっていったことになる。
さすが、おんちゃんである。
私もおんちゃんを見習って葬儀代ぐらいは貯金しておこうと思う。
でも、おんちゃんにはお墓がない。
私が宝くじを当てるまでは、うちにいてもらうしかないみたいだ。
というわけで、今の現場が終わったら私はまた実家に行くのだが、
そこにはおんちゃんがいるのだ。
子どもの時は一緒に住んでいたので、死んじゃってもあまり変わっていないような気もするのである。
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