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不定形爆発 Ver.2.0

アニメとか漫画とか、まあ色々。与太話ブログ。プラモの話と写真はTwitterに移転しました。

とりとめもないけれど、それでも時間は過ぎていくから。という話

『ゆゆ式』の単行本を読み、『ゆゆ式』のアニメを見、『ゆゆ式』のブルーレイディスクを買い、思考の基底に「『ゆゆ式』は面白い」という言葉が浸潤しつつも、『ゆゆ式』についてなんら記事を書いていなかったので、何か書きたいと思って記すところであります。あと、見ていて鬱陶しいと思いますので、以下ゆゆ式に言及する部分では『』を省略します。


思い返せば、初めてゆゆ式に触れたのは、高校生の時分であったと記憶しております。
確か、その頃は『けいおん!』『けいおん!!』が全盛期であって、「萌えアニメとかきっしょ」とのたまっていたクラスの友人が嬉々として原作本やCDを買っていたのが珍妙でもあり、翻って、コンテンツの勢いを感じていたのは記憶に鮮明なところです。そういう周囲の熱に押された格好で、普段は単行本ばかり買い漁って、雑誌にはとんと手を出していなかった自分も、まんがタイムきららを購入することにしました。
ゆゆ式を初めて読んだのはその時です。まあ「明確に」思い出せるのがその時というだけであって、いつだかきららキャラットを買った時なんかに出張掲載されていたような気もするので、曖昧です。

そこで読んだ時にも、同時に掲載されていた他の4コマ漫画とは違って、どこかしら面白いな、と思う部分はあり、惹かれました。しかし、芳文社のコミックスは1冊800円台のバケモノであり、当時高校生でバイトもしていなかった自分が手を出すには、なかなか踏ん切りもつかず、そのうち面白かった4コマ漫画の思い出は雑多な記憶の澱に沈んでいきました。

改めてゆゆ式のことを思い返す契機になったのは、ちょうどアニメ化が発表されたころです。
「そういえばこんな漫画あったな」という感覚で、記憶の海から面白いという感情が引き出されてきたこともあり、またバイトを始めてお金もあったので、思い切って既刊全巻を購入してみることにしました。
ところが意外と本屋に置いてありません。代わりにどこの本屋も『キルミーベイベー』が全巻揃っていたりして、これは何かの陰謀かと疑わしくもなりました。
何軒か回ってようやく手に入れたので、さっそく取り掛かりましたが、なるほどこれを推す人々がいるというのもうなずけましたし、これはきららの筆頭であると感じました。

まず、不自然さがないと感じました。
きららに掲載されていた他の4コマに比べて、たとえば極端な美少女も極端なお金持ちも極端な巨乳も出てこない。縁はいいとこのお嬢さんではあるけれど、お金の力で何かを解決するということもないですし(このあたりは、けいおん!で紬が「もう一声~」とやっていたのと対照的だな、と)、ゆずこもボケはしますけど、それは狙ってやっているボケであって、よくいるテンプレートなボケキャラや天然ボケというのではないです。クラスによくいるノリのいいお調子者という塩梅。唯もツッコミで暴力は行使しますが、やりすぎたと感じたら(やりすぎたと感じる描写が、自分の中ではすでに画期的でした)きちんと反省もします。
総じて、極端さがない、いたって普通、現実に敷衍してもどこにもおかしさが見当たらない……。それまで読んでいたギャグ漫画・コメディ漫画、あるいは日常系というものの中でも、この極端さのなさは新鮮に映りました。いわゆる「ベタ」を切って捨てるわけではありませんが、フィクションの決まりごとの軛からはだいぶ離れて、現実に寄り添っている感覚がありました。ともすれば、きらら系列の4コマというよりは、『コボちゃん』に近い部類かもしれないですね。

とはいえ、コボちゃんかと言われるとそうでもない。
きらら系列でもなければコボちゃんでもないのは、やはりゆゆ式が、会話が主体の4コマ漫画であるからでしょう。
その会話も、非常にとりとめがないですね。中学生・高校生が話すような、何か人生の転機になるような会話でもなければ人の心を大げさに揺すぶってくるわけでもないおしゃべり。時には語感だけで話をつなぎ、時には季節の話題を出し……。場合によっては4つのコマに収まらない文脈(朝昼夜、前日譚等の時間的系列がページ単位で展開する)で会話が展開されていきます。
とりわけゆゆ式に特徴的なのは、やはり主人公3人の世界を見させられているという感覚で、そもそも読者に文脈が提示されていないことさえあります。どの巻かぱっと思い出せませんが、「一時期流行ってたシャウト系?」などのくだりは、そもそも読者に示されていない情報です。でも、3人の中でなら通じる。
あの日あいつがやってたアレがネタになっておしゃべりが弾む……というのは、誰しも経験があると思います。そういう誰にでもあったしゃべりの経験を踏まえているので、かなりスッと心に入ってきます。「自分もこういうバカみたいな話してたな」「語感だけで話したこともあったな」と。そういう意味では、ゆゆ式はかぎりなく過去の再演であるとも言えるでしょう。特に、ゆゆ式は「絵でオチがつく」ことが少ないので(漫画なのに!)、会話でオチるその感覚は、自分の身体感覚・経験に照らすことのできるものだと思います。一方で、裏を返せば、それは個々人の会話の記憶に依拠するということでもあるので、ここでゆゆ式を面白いと感じるか否かが分かれるのでしょう。

そしてゆゆ式の世界では、時間が流れます。
1学期が2学期になり、1年生が2年生になり。こういう時間の流れがある4コマ漫画は珍しいわけではありませんが、前段でお話ししたように、かなり「自然な世界」で時が流れていきますし、まして過去の再演を見ている感覚の自分からすれば、それはノスタルジィに他なりません。いつまでも続いてほしいけれど、そういうわけにもいかないのですよね。
キャラクタもかなり等身大でありますので、唯の言うゆずこ評や縁評(「頭いいし」「物怖じしないし」)あるいは時の流れへの嘆息(「もう2年生の3学期か…」)等が余計に普通な感覚を、時間の流れを、過去を意識させてくれます。
キャラクタで言えば、ゆずこ・唯・縁の3人組だけの世界が、相川・岡部・長谷川の3人の世界と連結していくのも、見ていて世界の広がりが感じられますし(クラスメイトのモブが「え、あの3人ってそういう関係なの!?」とかやってたころよりは明らかに広がってますよね)、グループの違いが会話の質の違いにも表れるように感じられました。

そんなこんなでゆゆ式に惚れ込み、ブルーレイディスク全巻買ってなお、北米版を買うかどうか検討している今があるわけです。
もしゆゆ式を読んでいないという人がいるのであれば、自分は全力で推します。後悔はさせないつもりです。


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(2009/03/26)
三上 小又

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ゆゆ式を信じろ。






  1. 2014/10/17(金) 19:47:45|
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