★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

NHKドラマ 結婚のカタチ

2004å¹´11月26æ—¥ | â˜…夫婦別姓
NHKドラマ「結婚のカタチ」を1週ほど見逃したけれど、とりあえず全部観ました。

感想は…、「はぁ?」って感じでした。

浮気した夫とその愛人に対して、いくらどちらも好きな人だからと、あんなにさわやかに関係修復は出来ないと思いました。人間の気持ちはそんなに簡単に割り切れるものではないと思います。その辺りに現実味がないと感じました。ドロドロした割にはさわやか過ぎです。

それから、有里と大介がどうして事実婚をしていきたいのかの理由と本人たちにとっての必要性がまったくない気がしました。有里が「大介が戻ってきたら、籍を入れてもいいと思ってるんだ。」などと言うし。
「ええ~~!?結局、これは法律婚がいいんだよと押し付けるドラマか?国民を洗脳しようとする政府からの情報操作か?」と思いきや(笑)、最後に「私たちはいまも事実婚を続けている。」と終わっていたので、ちょっとホッとしました。

しかし、有里はどう考えても自分の姓が変わることは嫌ではなさそうだし、それなら事実婚にしている意味は何もないと思うのですが。姓がどうこうではなく結婚制度に縛られるのが嫌ってことなんでしょうか。けれど、「籍を入れていもいい。」と言っているのでそれほど法律を嫌っている様子はないし。よくわかりません。

このドラマの作者が言いたいことは、「結婚がどんなカタチであるにせよ、お互いの信頼関係や分かり合おうとする心、大切に思う心が大切なんだよ。」ということなんでしょうが、事実婚の動機がハッキリしていないので、結局はその言いたいことが強く伝わってきません。

このドラマがイマイチな出来なのは、作者の知識が足りなかったせいのように感じました。事実婚をしている人たちってたぶん夫婦別姓にするための人が半分以上なのではないでしょうか?一度きちんとアンケートを取ってみたいですね。

私が同じ事実婚をテーマで描くのなら、もっとちゃんとしたものを描きたいと思いました。

ドラえもんの声が変わる…

2004å¹´11月22æ—¥ | â˜…人生いろいろ
ドラえもんの声、交代へ…大山のぶ代ら来春降板 (サンケイスポーツ) - goo ニュース

ドラえもんの声優陣が高齢化を理由に来春一斉に降板し、若手と交代するというニュースを見て、とうとうその時が来たかと感じました。

 ドラえもん: 大山のぶ代(68歳)
 野比のび太: 小原乃梨子(69歳)
 源しずか: 野村道子(66歳)
 剛田 剛(ジャイアン): たてかべ和也(70歳)
 骨川スネ夫: 肝付兼太(69歳)

みなさん、もうそんな年齢になられていたんですね…。
25年間、本当にありがとうと感謝の気持ちでいっぱいです。

私がこのTVアニメドラえもんに出会ったのはちょうどアニメが始まった25年前です。当時私は小学1年生。私は魅力に取り付かれ、すぐドラえもんに夢中になりました。図工の時間には必ずドラえもんを描いていました。そして、テレビ朝日で、当時は平日の月~土夕方6時50分から10分間と日曜日の朝9時半から30分間のドラえもんを欠かさず観ていました。途中で、今の金曜夜7時からの時間に変わっても中学生のころまで観ていました。
映画も「のび太の恐竜」「のび太の宇宙開拓史」「のび太の魔界大冒険」「のび太の海底鬼岩城」「のび太の鉄人兵団」「のび太の宇宙小戦争」くらいまで夢中で観ました。私の住んでいた街には映画館がなかったので、テレビでですが。スペシャルの「大晦日だよ、ドラえもん」なども、もちろん欠かさずに。30過ぎた今でも私は変わらずドラえもんの大ファンです。

小学生当時、私はかなり孤独でした。生まれた埼玉県から茨城県へ引っ越し、言葉が違うことでなじめず、埼玉に帰りたいと何度も強く思っていました。けれど5、6歳の子どもがそんなことができるはずもなく、仕方なく過ごしました。
小学時代、私は人を憎むことを覚えてしまいました。学校自体がものすごく憎い敵のように思っていました。私にとって学校というところは自分の居場所のない地獄のように思える場所でした。そんな辛い中、私の心をかろうじて救ってくれていたのはドラえもんでした。ドラえもんに出会っていなければ、私の心はもっとすさんでいたでしょう。だから私は私の人生の恩人(?)の、ドラえもんが大好きで、マンガが大好きなのです。

そして、ドラえもんには、色々な教訓が描かれているのがとても素晴らしいと思っています。原作のマンガを今読み返してみてもとても面白いですし、ためになります。今、大人になって改めて読み返しても面白いと感じるのですから、本当に面白い作品だと思います。流行で終わらず、語り継がれていく作品こそ本物だと思っています。

しかし、TVアニメドラえもんが、これから若手と交代して新しい声優さんになるそうですが、ちょうどいい機会なので、私はもうドラえもんのアニメは来春で終了して欲しいと思います。
なぜかと言うと、原作者の藤子・F・不二雄さんが亡くなってからのTVアニメの内容を何度か観たことがありますが、制作者の方にきついことを言って申し訳ないですが、ドラえもんというタイトルを借りた別物になってしまっています。それを観たときかなりショックを受けました。「これはドラえもんじゃない。」と。そこへ来て声優の方が全部変わってしまうのなら、いっそのことこれ以上イメージを壊さずに潔く終了してもらいたいです。

けれど、一応人気番組なので、きっと終わらないでしょうね…。
私は自分の中のイメージを大切にしたいので、申し訳ないですが、新しいドラえもんのTVアニメや映画は観ないつもりです。

私の中のドラえもんやのび太、しずか、ジャイアン、スネ夫の声は永遠に、大山のぶ代さん、小原乃梨子さん、野村道子さん、たてかべ和也さん、肝付兼太さんです。

声優の皆さん、たくさんの夢を本当にありがとう!!
来春までと少しの間になってしまいましたが、それまでがんばってください。

11月18日(木):戸籍続柄裁判控訴審 第三回口頭弁論

2004å¹´11月20æ—¥ | â˜…夫婦別姓
なくそう婚外子の差別・交流会の裁判の傍聴に東京高等裁判所へまた行ってきました。

午前10時からだったのですが、戸籍続柄裁判の前に2つの別の裁判があり、1番目が5分くらい、2番目の方は原告の方のみで2分くらいで終了しました。前回の裁判で、内容があっけないのは分かっていましたが、わざわざこのためだけに集まるのって大変だなぁと思いました。しかも、これが裁判っていうのかとちょっと疑問です。たくさんの裁判を抱えていたら事務処理的になって確かに仕方のないことなのかもしれませんが、なんだか何か違うのではないかと感じました。

さて、3番目にいよいよ戸籍続柄裁判の番が来ました。傍聴者は前回よりもたくさんの人たちがいました。今回が結審かもしれないとみな思ったからかもしれません。

裁判長がなにやら(提出された書類かな?)を読み上げ、専門用語なので、なんて言ったか忘れましたが、とにかく原告に「何か主張意見はないか?」と促してくれました。それに対して原告弁護士の方が「ちゃんと用意したいので、時間をいただきたい。」と頼んだところ、もう一度、開廷することになりました。
国の弁護士側に裁判長が「何かないか?」と聞くと、弁護士の方は聞かれもしないのに、「11月1日に嫡出でない子が申し出により長男長女記載できると法改正されたが、そのことは今回の裁判には影響しない。原告の戸籍が変わったわけではないから。」と原告の有利になるような発言をしてくれました。ちなみにその弁護士さんは女性です。

次回の開廷期日を決め、今回の裁判は終わりました。


傍聴に入る前にビラをいただき、
「口頭弁論終了後、報告交流会を弁護士会館で行いますので、どうぞご参加下さい。」
と書かれていたので、参加することにしました。

報告会には、原告の田中須美子さん、福喜多(ふくきた)昇さんのご夫婦を始め、弁護士の3人の女性の方々とその他交流会のメンバーのみなさんと、私のように裁判に興味をもち傍聴しにいらっしゃった方々が総勢30人ほど集まりました。報告会の男女比率は、男:女=1:3くらいでした。

弁護士の方が今回の裁判のことを解説してくれました。短い間ですが、素人にはわからない、言葉での細かなやり取りがあったようです。法改正されたことで、「控訴の利益がない。」という結審がくだってしまうかと思いきや原告側に有利な感じに裁判長も国側の弁護士も動いたようだとおっしゃっていました。原告の田中須美子さんは、今回で終わりかと思ったが続くことになり、いい正月を迎えられそうと喜んでいらっしゃいました。しかし、前もこのようなことがあり、ぬか喜びになるかもしれないので、油断は禁物だとおっしゃっていました。確かに。まだまだ気が抜けませんね。

質疑応答があり、「どうして子ではなく、男または女の表記にしようとしているのか?」をいう質問がありました。お答えによると「子にするためには戸籍の書式の改正などの法改正が必要となり、それは難しいのでまず表記を変えることとして、男または女に統一してほしいという訴えにした。」ということだそうです。いづれは住民票のように「子」にしてほしいと思っているようです。私もそう思います。国際結婚の子どもの戸籍の問題もあるし。とにかく日本の戸籍制度はおかしいです。矛盾だらけ。

なんだかもう戸籍で管理するには限界が来ているような気がします。

そのような解説のあと、参加した人が一人一人自己紹介をしました。参加者の中には、事実婚夫婦(一組の方は非婚とおっしゃていましたが)2組の方もいらっしゃいました。その方々のお子さんたち、赤ちゃんが1人、2~3歳くらいの幼児が2人いました。小学生の子も2人いました。
それから、大学の卒論やゼミのために来た方が3人、結婚についての講義をしていらっしゃる大学の先生が1人、産婦人科のお仕事に関わっている方が1人、原告弁護士を担当してる方の関係の方が3人、mネットの方、ふぇみんの方、STOP!憲法第24条改悪キャンペーンの方もいらっしゃっていました。

ちなみに私はSTOP!憲法第24条改悪キャンペーンの「男女平等を憲法から消すな!憲法第24条の改悪を許さない共同アピール」に賛同し、賛同金を支払いました。

とにかく思い立ったら吉日、どんどん行動することにしています。

次の裁判で、今度こそ本当の喜びが勝ち取れるよう願いつつ、原告や弁護士の方々に頑張っていただきたいと思いました。

報告会が終わり、さて帰ろうかと思っていたら、私のこのブログを読んでくださった方が声を掛けてくださいました。「たっちーさんですね?ブログを読みました。とても勉強されているなぁと思いました。」とおっしゃってくださり、ちょっとテレテレでした。そして、一緒にお昼に行かないかと誘ってくださいました。せっかくのお誘いなので、誘いにのり行かせていただくことにしました。

弁護士会館の地下1階にはレストランがたくさんあり、そこの中華料理屋さんで5人でお昼を取りました。誘ってくださったその方のおかげで、なんと原告の福喜多(ふくきた)昇さんと直にお話しさせていただくことができました。思わぬ幸運でした。この場をお借りしてお礼申し上げます。お誘い本当にありがとうございました。

次回は、

 第四回口頭弁論
 日時:2005年1月25日(火)10:30~
 場所:東京高等裁判所 民事 8階822号法廷

です。
時間が取れる限り、私はまた傍聴に行こうと思います。
当日ご都合のよろしい方はぜひ傍聴に行って下さい。裁判長が腰を抜かして驚くほど押しかけてあげましょう(笑)


新聞に載っていたのですが、11月20日は「世界子どもの日」だそうです。

子どもにとって「嫡出でない子」というチェック項目を残すということがどういう事か、長男、長女という言葉を残す事で兄弟姉妹間の親からの差別扱いをされることが、子どもたちに取ってどれだけ不幸な事になるか、これを機会に多くの方々に改めて考えていだたきたい日だなぁと思いました。

夫婦別姓と憲法第24条改悪案

2004å¹´11月14æ—¥ | â˜…夫婦別姓
夫婦別姓と日本国憲法で書いたとおり、現在の憲法では、夫婦別姓は理にかなっています。
しかし、その憲法を変えてしまおうとする動きが、自民党の中で起こっているのはご存知ですか?
それが、憲法第24条改正案です。しかし、よくない案なので、改悪案と呼ばせていただきます。

下記のサイトは男女平等を否定する憲法24条の改憲案に抗議しています。
詳しい情報は下記をご覧下さい。
STOP!憲法24条改悪キャンペーン

読売新聞の憲法改正試案が上のSTOP!憲法24条改悪キャンペーンのサイトに掲載されていました。「家族」を社会の基本単位だと条項に入れることは、戦前の家制度を復活させるものではないと書かれていますが、「家族」という言葉を入れること自体、「家制度」の復活を意味していると私はどんな屁理屈をかかれてもそう思います。ただ今風に言葉を変えただけで。

こうして考えてみるとなんだか、自民党がとても怖い政党に思えてきました。日本という国を戦前の危ない国に変えようとしている気がします。

基本的人権の尊重は、個人が優先しすぎてて家族を無視しているとか、愛国心が大切とか、子は親を扶養する義務があり、親は子どもを正常に育てる義務があるとか…。

さらには、

「夫婦別姓が出てくるような日本になったということは大変情けないことで、家族が基本、家族を大切にして、家庭と家族を守っていくことが、この国を安泰に導いていくもとなんだということを、しっかりと憲法でも位置づけてもらわなければならない。」
(森岡正宏衆議院議員)

という言い草まで。
夫婦別姓がどうして情けないことになるのかよく分かりません。別姓にすることで、家族をないがしろにしようとはまったく思っていないのに。
なんだか恐ろしい言葉がたくさん並んでいて、吐き気がしました。よくぞそんな言葉を平然と吐けるものだと。

反対意見を言いますと、
まず、個人が優先してしまい、家族を無視するような人間が増えたのは、憲法のせいではないと思います。

高度成長期の親や学校の教育が間違っていたからです。

親は、子どもに何でもかんでも買い与えることがいいことと思い、自由に育てることがいいんだと、買ってもいいものといけないもの、してもいいこと悪いことの区別もつけず、育てました。そんな子どもは当然、個人が優先するように育つに決まっています。
権利を持つというのは、責任がともなうということをほとんどの親は子どもに教えていません。他人の領域を脅かすような権利はいけないことなのだということも教えていません。しまいには親自身や大人たちが他人を脅かすようなことをしているありさまです。
そんな大人たちを見て育つ子どもが、まともな大人として成長するでしょうか。

次に学校です。

私は学校教育に小学校に入学した頃から疑問に思っていました。6歳の子どもでも感じるのですから、やっぱりおかしいのでしょう。
何が変かというと、勉強ができさえすれば、先生や親の言うことを素直に聞いてさえいれば「いい子」という考え方です。
勉強がすごくできても、裏で友達をいじめたり、盗みをしたりする子が「いい子」ですか?
先生や親の前だけ、いいカッコしいの子どもが「いい子」というのですか?

違うと思います。

私の幼少時代もそうですが、今もそういう育て方の親や先生がまだ多いのでしょう。
だから、自分さえよければいいという大人や子どもが増えているのだと思います。

じゃあ、私の思う正しい教育とは何だ?ということになりますね。
それは、
  • 自由や権利にはそれ相応の責任が伴う。
  • 例え子どもでも自分のしたことは自分で責任をもつ。
  • 自分が嫌なことを人にしない。人が嫌がることを無理強いしない。
  • 勉強も大切だが、それ以上に人との繋がりやコミュニケーションの方がもっと大切である。


ということです。
私はこういうことを主に母親に教えられました。
勉強や学校のことは、今まで生きてきてそう自分で感じたことです。


「愛国心が大切」って、憲法で決まっているような押し付けがましく恐ろしい愛国心なんていりません。
愛国心は自然と湧き起こってくるものです。
いまさら、天皇陛下万歳とか、日本国万歳とかどこかの国のように言わせる気ですか?
みんなが一斉に右向け右の世界は想像するだけで、かなり不気味です。

「子は親を扶養する義務があるし、親は子どもを正常に育てる義務がある」

どうして義務と言われ、押し付けられなければいけないんでしょうか。そもそも「義務」ではなく「責任」と言うのではないでしょうか?
それに、その家に応じて、扶養する場合や本人が自立して生きたい場合があるでしょう。家庭の事情は家々によってみんな違うのに、別に義務化しなくてもいいんじゃないでしょうか。

また「自立」という言葉も履き違えてますよね。「自立」とは自分勝手のことではありません。
読んで字のごとく、自分で立って生きていくことです。自分で立って生きていくということは、一人で勝手に生きることではなく、周りと協調しながら、自分らしく生きていくことを言います。

そういう教育を大人も、子どもも、受け、考える時代になったのではないでしょうか。

どうして結婚するんだろう?

2004å¹´11月12æ—¥ | â˜…人生いろいろ
どうして結婚するんだろう?
テーマサロンにあったので、書いてみることにしました。

私はまだ結婚していません。

31歳、独身、子なし。

そう。私はいわゆる負け犬です。


そもそも勝ち負けで結婚を判断するのも確かにおかしいけれど、「負け犬の遠吠え」の著者、酒井順子さんが書かれているように、世間の目はなんとなぁく独身者には冷たく感じるし、哀れみも入っている気がします。特に独身の”女”に対しては、、ね。
しかも国家的に少子化まで引き起こしているし。
お国にとってはとっても邪魔な存在かもね~~。(←かなり皮肉)

「まだ結婚しないの?」

などとあからさまに言うとセクハラ問題になりかねないので、面と向かって言う人はほとんどいませんが、皆さん、実は心の中では「そろそろ年齢がやばいんじゃない?」とちょっと思っているし、実際本人もちょっと思ったりしています。中にはそうではない人もいると思いますが。
私はできれば子どもを2人以上欲しいと思っているので、出産はできるだけ若い方がいいなぁと思っています。年取ると体力的にきついでしょうし。
けれど、相手あってのことなので、一人で子どもは作れません。

あまりに相手がいなくて、子どもだけほしいと思った時期もありましたが、できれば両親がいるにこしたことはないので、シングルマザーの選択はやめました。

私が一番辛いのは、両親が心配していることです。

私は一人っ子なので、両親がふたりとも死んで私一人になってしまうことを考え、「お前を一人置いて死ねない。」と母がこぼします。その気持ちがとても分かるので余計に辛いです。
あと、自分の子が欲しいと思うあまり他人の赤ちゃんを見るのがとても辛い時期もありました。最近はできるだけ接触をさけているので、気分的に違いますが。

私だって、独身より結婚したいと思います。でも、相手があることです。
どうしても相性が合う人がいなければ、どうしても機会が巡ってこなければ、あきらめて独身で生きていくしか仕方ありません。
「理想が高いから、いないんじゃないの?」と言われそうですが、だからといって妥協して結婚するのは嫌だし、妥協して選ぶと私はその相手を邪険に扱いそうなのが目に見えて嫌なのです。だったら、自分のためにも相手のためにも子どものためにも結婚しない方がいいでしょう。無理に結婚するとみんながかわいそうになってしまいます。かわいそうなのは結婚相手が見つからなかった私ひとりで十分でしょう。

と、将来への不安は隠しきれませんが、一応、私が結婚したいなぁと思う人がやっと現れてくれて今付き合っているけど、はてさて、結婚はいつになることやら分かりません。相手があることなので、こちら側がいくら焦っても、相手が私と結婚したいと思わない限り、それは無理というものですしね。こればかりは仕方ありません。

それでは、どうして結婚するんでしょう。
そして、どうして私は結婚したいんでしょう。

考えてみました。

私は、自分が信頼できると思う男性と一生のパートナーとして暮らし、ふたりで生きていきたいからだと思っています。よく言われている

「ふたりでいれば、喜びは2倍に感じ、悲しみは半分になる」と。

そう思います。

そして、愛する男性の子どもを産み、ふたりで育てていき、ふたりで協力し合って生活していきたいと私は思っています。
実際の生活というのは、いいことばかりではないと思うけど、一人では乗り越えられないことも、ふたりで助け合えば乗り越えていける気がするし、何より心強いと思います。人と言う字が支えあっているように(金八先生だね(笑))、人はきっと一人では生きられないと感じます。愛し愛してくれる誰かと、ともに死ぬまで生きていけたら、きっと素晴らしいだろうなぁと思います。



どうして結婚するんだろう?

それは、夫婦がお互いを愛し合い、ともに支えあって生きていくためだよね。




イラク情勢

2004å¹´11月10æ—¥ | â˜…人生いろいろ
米軍と治安部隊がファルージャ総攻撃 イラク (産経新聞) - goo ニュース

イラク情勢が人づたいに伝わってきました。少しでも多くの方々に知っていただいた方がいいと思い、ブログに掲載することにしました。メディアは、政府から圧力をかけられやすいので一部抜け落ちている情報が必ずあると思われます。戦争などの場合、過去を例に見ても、人づたいの情報の方が正確だと思います。

以前、「戦争のつくりかた」という記事を書きましたが、日本政府や自民党の中の多くの議員が、日本国憲法を戦前の大日本帝国憲法に書き換え、戦争をしようとしています。既に有事関連法ができていることを書きました。

下記の情報は、多くの方に転送して欲しいという市民団体の方から、私が所属している夫婦別姓選択制実現協議会のメーリングリストに送られてきたものです。

世界が今どこに向かっているのかを、テレビや新聞などのメディアだけの情報に頼らず、こういった情報も踏まえてよく考え、自分ができることをしていき、少しでも戦争を阻止できる体制を整えていくことがこれからの自分たちの平和を守る術ではないかと思っています。

アメリカのブッシュ大統領はテロ撲滅といいながら、イラクで行っている行為はテロそのものだと思います。どのようにメディアの情報を読もうとも、関係のない人々を平気で殺しているのは事実です。9・11同時テロのアルカイダと何一つ変わりません。アルカイダやザルカウィと名乗る人が言っている「聖戦(ジハード)」も、ブッシュ大統領や小泉首相が繰り返す「テロ撲滅」も同じ意味にしか私には聞こえません。

今や自分たちの生活や平和は自分たちで守らなければならない時代が来たのかもしれません。偉い人たちまかせの時代は、もう終わりを告げようとしています。これからは、悲しいかな、国も会社もきっと頼りにはできません。いつ首を切られるか、明日ご飯が食べられなくなるか、殺されるか、わかりません。窮地に追い込まれたとき、なんとかできるのは自分自身であり、自分が信頼できる周囲の人たちです。今や大きな組織(国、都道府県、市町村、会社)は、それを支えられるだけの力量をもった人間がほとんどおらず、次々と崩壊している気がします。

本物の民主主義、国民主権、男女平等の社会、みなが自分らしく生きられる住みよい世界を実現させるのは、政治家や大企業家ではなく、一人一人の意識だと私は感じています。

これより下に送信されてきた情報を記します。
なお英語の原文は、下で紹介している荒牧薫氏が書かれたものです。

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ファルージャから送られてきたメッセージを翻訳された荒牧薫氏は、ニュースやドキュメンタリーの翻訳、吹き替えの仕事をしておられる方です。
また、「ストップ・ザ・ウォー連合(Stop the War Coalition)」の1人として活躍されている方でもあります。

Stop the War Coalition : http://www.stopwar.org.uk/
*************************************

ロンドンの荒牧です。

ファルージャからのメッセージの最初の部分が大きく抜け落ちていることに気づきました。ちょっと風邪を引いて、鼻水をたらしながらだったので、頭が働いていなかったようです。
最初の部分を付け加えた全文と英語の原文をつけます。またこのメッセージは、イギリスのストップ・ザ・ウォー連合ブリストル支部に届いたものを「911を追求する組織」がニュースレターの中で紹介したものです。
ニュースレター全文をごらんになりたい方はと言って、リンクを貼り付けようとしたのですが、まだウエブサイトには掲載されていません。もし全文読みたい方は、教えてください。
ちょっと長いのでここに貼り付けるのはやめておきます。それと転載はもちろん自由です。
以下、ファルージャの市民代表が国連のアナン事務総長に出した書簡です。

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アメリカ軍がイラクで毎日、大量虐殺を続けていることは、証拠を提出するまでもなく明らかです。そして、この手紙を書いている今、アメリカはファルージャの街に対して、この大量虐殺を実施しています。アメリカ軍は自らが保有する中で、最も破壊能力の高い爆弾をファルージャの市民に向け投下し、罪のない多くの人々をを殺傷しているのです。そして地上では、アメリカ軍の戦車が、激しい砲撃で街を破壊しています。
ご存知のように、ファルージャ市の代表とアラウィ政権との間で交渉が続いているため、現在ファルージャに軍は駐留していません。またここ数週間、抵抗勢力も行動を控えています。

しかし、新たな爆撃は、イスラム教の断食月ラマダンで、人々が断食をしている時に開始されました。その結果、多くの市民が、瓦礫の中に埋まり、外からの援助も断ち切られている状態です。10月13日の夜、アメリカ軍は爆撃機1機で、民家50件を破壊、多くの人を殺害しました。これは大量虐殺という犯罪行為ではないのでしょうか、それともアメリカ民主主義の教訓なのでしょうか。アメリカ軍は、占領を認めさせるために、ファルージャの人々に対しテロ行為を繰り返しているのです。

あなた(アナン事務総長)は、アメリカとその同盟国が、大量破壊兵器の脅威を口実に、私たちの国の破壊を続けて来たことをご存知のはずです。彼らは自らの大量破壊兵器を用い、多くの市民を殺害しました。そして今になって、イラクに大量破壊兵器はなかったことを認めています。しかし、彼らは自分たちが犯した罪については口にしようとしません。世界中が沈黙しているのです。
イラクの一般市民を殺害することすら非難の対象にならないのです。アメリカは、1991年の戦争の後、イラクに賠償金の支払いを強制しましたが、今回アメリカはイラクに賠償金を支払うでしょうか。

私たちの住んでいる世界はどうやら、二つの異なった基準があるようです。ファルージャでアメリカとその同盟国はアル・ザルカウィという新しい、正体不明の標的を作り出しました。ザルカウィはアメリカの犯罪行為を正当化する新たな口実です。この新しい人物は一年前に、でっち上げられました。そして、その一年の間、アメリカは民家、モスク、レストランを攻撃し、女性、子供を殺害しました。そして、常に「われわれは、アル・ザルカウィに対する攻撃を成功裡に遂行した。」とだけ言い、決して、ザルカウィを殺したとは言いません。言えない筈です、ザルカウィなど実在しないのですから。

私たちファルージャの住民は、この人物が市内にいないことを保証します。そして、多分イラク国内にいることもないでしょう。私たちは、これまで何度も、「誰でもいいから、ザルカウィを見かけたら、殺せ」と訴えてきました。
しかし、今、ザルカウィはアメリカがでっち上げた幻だということがわかりました。
私たちの代表は、これまで繰り返し、市民の誘拐や殺人を非難してきました。
私たちは、非人間的なことをしているグループと何のかかわりもありません。
ファルージャに対する犯罪行為をやめ、軍をファルージャから撤退させるよう、あなたそして世界の指導者がブッシュ政権に大きな圧力をかけることを要請します。

ファルージャからアメリカ軍が一時撤退した後、ファルージャは平和で静かな街となっていました。混乱はまったくありませんでした。資金不足にもかかわらず、街の文民行政もうまく機能していました。私たちの唯一の犯した「罪」は、占領軍に来てほしくないと主張したことのようです。しかし、占領に反対するということは、国連憲章そして国際法、また人間としての常識に照らし合わせてみても、私たちが持つ当然の権利のはずです。
今、あなた、そして世界の指導者が、新たな惨事を防ぐために早急に介入することを要請します。私たちは、イラクの国連の代表と連絡を取って、このメッセージを伝えようとしましたが、ご存知の通り、国連はバグダッドで一番警備の厳しい、外の社会と遮断されたグリーン地域にあり、立ち入りは許されませんでした。私たちは国連にファルージャの状況に目を向けて欲しいと願っています。

ファルージャに住む市民一同、教職員組合etc.

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以上が翻訳、以下が原文です。

This letter was sent by representatives of the people of Fallujah to
the UN secretary general Kofi Annan

"IT IS more than evident that US forces are committing daily acts of
genocide in Iraq. As we write, these crimes are being perpetrated against
the city of Fallujah.

US war planes are launching their most powerful bombs against the
civilian population, killing and wounding hundreds of innocent
people. Their tanks are pounding the city with heavy artillery.

As you know, there is no military presence in the city. There have
been no actions by the resistance in Fallujah in the last few weeks
because negotiations are in progress between representatives of the
city and the Allawi government.

The new bombardment by the US has begun while the people are fasting
during the celebration of Ramadan. Now many of them are trapped in
the ruins of their homes and cut off from any outside assistance.

On the night of 13 October a single US bombardment destroyed 50
houses and their inhabitants. Is this a crime of genocide or a lesson
about US democracy? The US is committing acts of terror against the
people of Fallujah for only one reason-to force them to accept the
occupation.

Your excellency and the whole world know that the US and their allies
have destroyed our country on the pretext of the threat of weapons of
mass destruction. Now, after their own mass destruction and the
killing of thousands of civilians, they have admitted that they have
not found any.
But they have said nothing about the crimes they have committed. The
whole world is silent, and even the killing of Iraqi civilians is not
condemned.
Will the US be paying compensation, as it made Iraq do after the 1991
Gulf War?

We know that we live in a world of double standards. In Fallujah the
US has created a new and shadowy target-Abu Musab al-Zarqawi.
Al-Zarqawi is a new excuse to justify the US's criminal actions. A
year has passed since this new excuse was dreamed up, and every time
they attack homes, mosques and restaurants, killing women and
children, they say, "We have launched a successful operation against
al-Zarqawi." They will never say they have killed him, because he doe
s not exist.

The people of Fallujah assure you that this person is not in the
city, nor probably anywhere else in Iraq. Many times the people of
Fallujah have asked that if anyone sees al-Zarqawi they should kill
him. We know now that he is nothing but a phantom created by the US.

Our representatives have repeatedly denounced kidnapping and killing
of civilians. We have nothing to do with any group that acts in an
inhumane manner. We call on you and the leaders of the world to exert
the greatest pressure on the Bush administration to end its crimes
against Fallujah and pull its army back from the city.

When they left a while ago, the city had peace and tranquillity.
There was no disorder in the city. The civil administration here
functioned well, despite the lack of resources. Our "offence" is
simply that we did not welcome the forces of occupation. This is our
right according to UN Charter, according to international law and
according to the norms of humanity.

It is very urgent that you, along with other world leaders,
intervene immediately to prevent another massacre. We have tried
to contact UN representatives in Iraq to ask them to do this but, as
you know, they are sealed off in the maximum security Green Zone in
Baghdad and we are not allowed access to them. We want the UN to
take a stand on the situation in Fallujah.

Best wishes, in the name of the people of Fallujah, the shura council
of Fallujah, the trade union association, the teachers' union, and
the council of tribal leaders "

Kassim Abdullsattar al-Jumaily: President
The Study Center of Human Rights & Democracy
On behalf of the people of Fallujah and for:
Al-Fallujah Shura Council
The Bar Association
The Teacher Union
Council of Tribes Leaders
The House of Fatwa and Religious Education
******************************************************

婚外子(非嫡出子/嫡出でない子)戸籍差別記載が撤廃?!

2004å¹´11月02æ—¥ | â˜…夫婦別姓
婚外子の戸籍、11月から区別撤廃 続き柄の表記で (朝日新聞) - goo ニュース

 出張先のテレビで、このニュースを知りました。
 やっと新しい動きや時代が見えてきた感じがしました。

 事実婚を選択されているご夫婦や、子どもの戸籍差別記載のせいで、事実婚をためらったり、出産をためらっていた方々にも朗報だと思います。

 もちろん私にとっても。


 聞きなれない言葉が出てくるのでまず言葉の説明をします。
嫡出子(ちゃくしゅつし):
婚姻届を出した父母(法律婚)の間に生まれた子どもです。
江戸時代風で言えば、正妻の子ということですね。


嫡出でない子(非嫡出子(ひちゃくしゅつし)):
婚姻届を出さない父母(事実婚や同棲)の間で生まれた子どもです。
その昔は、私生児とか庶子、江戸時代風に言えば妾の子とかいう差別用語もありました。


婚外子(こんがいし):
嫡出でない子(非嫡出子)という言葉が差別に値する言葉として、別の言い方に改めました。
両親が婚姻届を出さずに生まれた子どものことです。


現在の出生届には、「嫡出子」か「嫡出でない子」にチェックを入れる欄があります。

 それでは、なぜこのように嫡出子と嫡出でない子に分けていたかと言うと、江戸時代からの家督制度の名残から作られた明治時代の民法で、長男が一家の長として跡継ぎになることが法律で決まっていたため、内の子どもと外の子どもを区別する必要があったからです。
しかし、戦後、日本国憲法が施行され、子どもを生まれで差別するのは、法の下の平等に反すると1970年頃からずっと国を訴え続けていました。

 プライバシーの侵害ということですが、戸籍法がこうして改正されるまでに至ったのは、なくそう婚外子の差別・交流会の方々やその他の差別だと訴えてきた方々の地道な努力の結果だと思います。長い間、あきらめず頑張ってくださった皆様にとても感謝しております。

 既に非嫡出子記載になっている方や、事実婚夫婦やシングルマザーのこれから生まれてくる子どもについて、記載変更の際の届出人や届出先が、毎日新聞のインターネット版に詳しく書いてあったのでその記事を下記へ引用しました。変更の際、ご参考下さい。


戸籍:
非嫡出子の続き柄、嫡出子と同じに 法務省
 法務省は28日、戸籍の非嫡出子(婚外子)の続き柄欄の記載を本人などからの申し出により、嫡出子と同じ記載に改めることを明らかにした。戸籍法施行規則を改正し、11月1日から実施する。

 現在は、嫡出子が「長男」「二女」などと記載されているのに対し、非嫡出子は「男」「女」と記載されている。改正によって、非嫡出子も嫡出子と同じ記載にできる。戸籍の再製をすれば、直した事実も残らない。

 本人が15歳以上の場合は、本人または本人と同じ戸籍の母親が、15歳未満の場合は親権者が本籍地の市町村に申し出ることができる。1日以後に生まれれば当初から嫡出子と同じ記載にする。

 厚生労働省の統計によると、昨年生まれた子供のうち約1.9%が非嫡出子だという。【伊藤正志】

毎日新聞 2004年10月28日 20時06分

元記事:戸籍:非嫡出子の続き柄、嫡出子と同じに 法務省
※リンク切れにはご容赦ください。


 ところで、戸籍法が改正されたことで、なくそう婚外子の差別・交流会の11月18日に行われる「戸籍続柄裁判控訴審」の判決はどうなるんだろうと思っています。戸籍法を改正したということは、勝訴できるんでしょうか。それとも、改正したので敗訴となってしまうんでしょうか。しかし、結果的には法務省に改正させたということになるので、どちらになるにせよ、これは勝訴に値すると私は思っています。

 戸籍法が改正されて、やっと嫡出子と嫡出でない子の記載差別をなくすことが可能になりましたが、本当の平等にはまだ程遠いですね。けれど、まったく動かなかった国を少しでも動かすことができたという一歩前進の出来事だと思います。私はこのことをとても素晴らしいことだと思っています。

 次は、意味のない「長男」「長女」の区別記載を住民票と同じ「子」に統一することですね。

 本当の平等を目指して、少しずつでも変えていけばいいのではないかと思います。私にできることがあれば、少しでも何かしたいと思います。
 先日、たいしたことではないですが、NTTのナンバーディスプレイの申込書で、契約者(父)と申込者(私)の続柄を書くとき、「長女」と書かずに「子」と書き、密かなる抵抗をしてみました(笑)

 gooニュースの記事によると、法務省は、兄弟姉妹の順番をつけるような「長男・長女」の表記をなくし、「子」にしてもいいとしていたようですが、全国の50法務局の内、22の法務局が生まれた順番が分からなくなるからと反対したのと、今までの戸籍をすべて書き換えなければならない膨大な作業のことを考え、そこまでは踏み切らなかったようです。しかし、いずれは変えて欲しいですね。兄弟姉妹で順番などどうでもいいことだと思います。それに生年月日を見れば生まれた順番は分かりますし、戸籍上の順番なんてものはどうでもいいもののように感じます。親から見た子どもの続柄は何番目だろうが「子」でしかないと思います。どうしても順番がつけたいなら「第一子、第二子」とかにしたらどうでしょうか。
 順番が分からなくなるから反対といっていますが、「長男・長女」表記だって順番が分かりません。男女一人ずつの兄弟姉妹だとそれぞれ長男、長女と書かれたら、それこそどちらが兄で、姉なのかなんてわからないじゃないですか。法務局も言ってることが矛盾だらけですね。

 今の法律では、跡継ぎは子どもの誰がなってもいいですし、子どもがいなければ養子になってもいいという人に来てもらい跡を継いでもらえばいいし、信頼できる他人が継いだっていいと思います。しかし、跡を継ぎたいものが誰もいなければ、別に誰も継がなくてもいいと思います。
 どうしたいかは子どもに選択させればいいのではないでしょうか。自分の生き方は自分自身で決めて、自分の責任は自分で取るような一人前の人間になることが大切だと思います。親が子に無理やり将来のことを押し付ける時代は終わったと思います。続柄などは関係なく、家族全員が互いに協力し合って生きていけるように個人個人が考え、行動していくことが一番大切なのではないでしょうか。それが、地域、社会、国に広がっていけば、もっとよくなるのではないかと私は考えています。法律で無理に型にはめた家族など、なんの意味もないと私は考えます。

 やはり国や社会の最小単位は、家族ではなく、個人にあると思います。

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 昨晩、女性で初めての女流職業作家であり、さらに女性で初めて紙幣の顔となった、樋口一葉のドラマを見ました。

 樋口一葉が生きていた明治時代はまさに男尊女卑の時代で、この記事で書いた婚外子差別で問題となった戸籍法が一番最初に作られた時代です。明治時代は、一家の長には必ず長男が戸主(こしゅ)になることと法律で決まっていました。だから、長男とか長女とか分けていたんですね。相続に関係するので意味があったというわけです。

 しかし、樋口一葉は長男である兄が結核で急死したために、女ではまれな戸主となりました。明治時代の戸籍法にはこういった「戸主(現在は、戸籍筆頭者と言っている)」というものがあり、戸主同士は結婚できなかったんですね…。そのため、樋口一葉は好きだった男性と添えなかったようです。悲しいことです。
 それから既に100年もたち時代も変わって平成・21世紀となったのに、今でもその名残がまだあり、長男長女が結婚するとき同じような妨げになってしまうことがあります。今も慣習や決まりが変わらないために悲劇を生み出していることはとても悲しいことだと思います。

樋口一葉については下記のブログに詳しく書いてあります。

 私は一人っ子、一人娘なので、樋口一葉と同じで跡取りもしくは姓を変えたくないとすれば、相手が長男だと「長男だから、あなたが嫁にくるならいい。」となり、嫁にいかない、姓を変えたくないのなら結婚できないということになります。男性が婿に来てくれるなんてことは、確率的に一桁のパーセントしかないでしょう。

 そんな、長男長女や一人っ子同士であっても関係なく結婚できるよう、もっと結婚相手の選択の幅を広げてもらえるよう、民法を改正し、選択制夫婦別姓が法律で認められてほしいです。樋口一葉のように好きな人と結ばれないというような悲しい思いをする人が一人でも少なくなってほしいと思います。これは女性ためだけでなく、男性ためにも言えることだと思います。

 すべての男女が愛するパートナーと一緒に幸せを築けるようになることを心から願います。

 そして、この婚外子の戸籍差別記載の撤廃が機として、選択制夫婦別姓実現にも一歩ずつ近づいてくれることを願います。