山本周五郎著 「四日のあやめ」
山本周五郎著 「四日のあやめ」(短編集「よじょう」に収録)のご紹介。山周本は、「さぶ」、「かあちゃん」に続いて三作目です。
「かあちゃん」の紹介の時にも書きましたが、山周の本の多分全ての内容が記憶に残っていると思います。ただ、その印象の残り方には、浅い深いの違いがありますけど。
その意味では、本作は当時(高校とか大学の頃)読んだ時には、それほど大きな印象としては残っていませんでした。
それが今回読んで、本当にグッときたんです。たかだか30ページの中に紡ぎだされる世界。山本ワールドです。そして、その最後の2ページに凝縮された思いに、涙せずにはいられません。
よく思うんですが、同じ本を読んでも、その時の自分の置かれている状況や環境によって、その受け止め方は変わってくるし、本から受け取るメッセージも変わってくるんですよね。
本作は、そのあたりが顕著に出た作品かなって思います。
「わたしがまいります」と、千世は胸騒ぎを感じながら立ち上がった。
客は、良人と兄弟のように仲の良い深松伴六だった。
「今日は非番なものですから、まだやすんでおりますけど」
「ではこうお伝え下さい、とうとう徒歩組と衝突しました。場所は龍崎の大洲、時刻は六時です」
深松は、刻限が迫っているからすぐ起こしてくれるようにと云い、門の外へ出ていったが、千世は動くことができなかった。
大変なことだ、大変なことになった。
「あの方たちは良人を頼みにしている、良人もあの方たちが自分を頼みにしていることをよく知っている、早く起こして知らせなければならない」
「とうとう徒歩組と衝突した」とは、馬廻りの者と徒歩組の者とが決闘するという意味であった。徒歩組と馬廻りとのあいだには、数年前から根強い確執があったのだ。
良人の五大主税介は隈江流という剣術の達者で、藩の道場「清明館」の師範をしていた。徒歩組との決闘になれば、彼は馬廻りの中心となり先鋒となることは必至である。
とすれば、双方で何十人という多勢が斬りむすび、その一方の中心となり先鋒となるとすれば、・・・・・千世は身震いをした。
「いいえ、それが怖ろしいのではない、良人が傷ついたり、もしかすると切り死にをするかもしれないということは怖ろしい、けれどもそれだけではない、もっと大事なことがあるような気がする、たとえば、・・・・・たとえばその衝突が、私闘だということなど」
彼女の眼は強い光を帯びた。
「良人をゆかせてはいけない、私闘は武士の道に外れたことだ、そういうところへ良人をゆかせるのは、武士の妻のたしなみではない」
千世は家士に「深松伴六の来たことは黙っているように」と云った。あたしは法度を犯すことから主人を護った。そういう自覚が、彼女に力と自信を与えるようであった。
千世は彼に恋をして結婚した。実家の兄の江木重三郎が、「五大は人物だ、あの若さで立派に風格をそなえている、ああいうのを古武士の風格というのだ」と云うのを、千世は幾度となく聞いた。そしてそのたびに自分が褒められているような嬉しさと、彼への思慕が深く強くなるのを感じた。
「よかったよかった、よくいてくれた」叔父は興奮して咳きこみながら、ほとんど主税介の手を握らんばかりにして「よかったよかった」と繰り返し云った。
「どうなすったのです、なにごとですか」
「ではなにも知らないんだな、うんそうだろう、知っていればでかけた筈だからな、馬廻りと徒歩組とが、ついに衝突してえらい騒ぎが起こったのだ」
主税介はあっと口をあけた。
その後、千世の兄の江木重三郎が来た。彼は主税介が決闘に加わらなかったことを喜び、祝いを述べた。
客が帰った後、居間に戻るなり主税介は独り言を云った、低いけれども憤懣のこもった調子で、「なんということだ、なぜおれに知らせて来なかった、深松はどうしたのだ」
明くる日、主税介は登城して、城中で詳しい事を聞いた。決闘に参加したのは、徒歩組が三十一人、馬廻りは二十七人で、徒歩組の中には一刀流師範の通次多仲がいた。
馬廻りからは四人の死者、三人の重傷者と十四人の軽傷者があった。徒歩組には即死者はなく、この差は徒歩組に通次多仲がいたためで、四人の死者は、みな多仲の手にかかったもののようであった。
周囲の人たちは彼の加わらなかったことが意外だったらしい、二三日の間、しばしば同じような質問を受けた。
「貴方は御無事だったんですね」と彼らはみな意外そうな顔をした。
清明館の門人たちにも彼の不参加が驚かれ、無事であることを祝われた。
まもなく通次多仲が追放され、決闘の参加者は藩主の意志により参加者の家族は謹慎、本人たちの処分は保留され面接禁止とされた。そして、主税介に対する評はいっそうよくなり、彼の不参加は「神妙である」というふうに云われた。
その夜、妻を呼んでそのことを訊いた。はたして、千世はそうだと答えた。
「すると深松は知らせに来たのだな」
「はい、おみえになりました」
「どうしてそれを取次がなかった」主税介はけんめいに感情を抑えていた。
「申し上げてはならない、申し上げればきっと大洲へいらっしゃる、それでは私闘になるし、私闘は御法度だから、あとでどんなお叱りをうけてもここは黙っていよう、そう思ったのでございます」
「わかった、もういい」と主税介は云った。その手はふるえていた。
彼の全身は怒りの固まりのようであった、妻のしたり顔が彼を毒し、辱めるように思える。「女め」と主税介は呟いて、唾を吐いた。
死んだ者の遺族からは、「ご丁寧なことですね、決闘には出ないが見舞いには来るんですか」と云われ、主税介は頭を垂れて辞去した。
それでも主税介は二十七軒をぜんぶ廻ったが、最も近しい深松伴六の家では、父親が出てきて「見舞いは受けたくない」と云った。老人の骨ばった拳はわなわなとふるえていた。
「みんなもう知っているのだ、知らせたのに大洲に来なかったということを、・・・・・怒るのが当然だ」
家中の人たちのようすが次第に変わりだした。主税介はそれをはっきりと感じ始めた。それは遠くから眼に見えない速度で、だんだん縮まり、彼の周囲をせばめ、彼を孤立させるようであった。
千世もむろん知っていた。良人の様子を見るだけでもわかるし、じかに自分で聞くこともあった。
「人はみかけによらないものだ、いざとなってみなければ、人間の本性はわからないものだ」
彼女の苦しさは二重であった。当然それが良人の耳にも入っているだろうことと、その責任が良人にではなく自分にあるのだということで。
十月初旬、大洲の件の裁決があった。それは予想していた以上に寛大なものであり、全員の謹慎が解かれ、城代家老からは「特に殿のおぼしめし」として、「私闘の事は不届きであるが、恩愛義理をも思い切ったる心底の男らしさはよい」というお沙汰が下った。
これで家中の評はまったく逆転した。私闘は咎めるが、「意地を立てた男らしさ」は褒められたのである。当人たちはもちろん、その家族まで肩身がひろくなった。
これが主税介に影響しない筈がない、五大主税介は全藩の人たちから白い眼で見られ、非難と嘲笑の声を聞かなければならなかった。
最も耐え難いと思えたのは、清明館の稽古で、門人たちが彼の指南を拒絶することであった。主税介が手を直してやろうとすると、彼らは稽古をやめてしまうか、または作った慇懃さで首を振った。
「いいえ、それには及びません」と彼らはいちように云うのであった。「私は師範代にお願いしてありますから」
だが主税介はめげなかった。彼は以前にも増して凛としてみえたし、どんな非難の眼にも嘲笑の声にも挫けるようすはなかった。
同じ日、主税介は非番で家にいた。一年前のあの日以来、久しくやめていた笛作りを一日中きげんのいい顔でしていた。
夕食をすませてから一刻ばかり経つと、江木重三郎が訪ねて来た。
「今日、田口さんから清明館を辞任した方がよくはないかと云われたと思うが、どうするんだ」と重三郎は固い顔で云った。
「清明館師範の役は殿から仰せつけられたものだ、殿から解任されるか、正当な理由のない限り、この役を勤めるのは私の義務だと思う」
「わかった、これでもう聞くことはない、千世を伴れて帰るから離別してくれ」と重三郎は云った。「おれは五大を信じていた、世間がなんといおうと、五大主税介は卑怯なまねをする男ではないと信じていた、だがおれは事実を聞いた、深松伴六からじかに聞いたんだ、あの朝早く、深松自身が此処へ知らせにきたという」
「その通りだ」と主税介は頷いた。
「しかし五大はゆかなかった、みんなが命を賭して斬りむすんでいるとき、五大主税介ひとりは家にいた、みんなが傷ついたり斬り死にをしているとき、五大主税介ひとりは安閑と家にいたのだ」と重三郎は云った。
襖をあけて、「待って下さい」と云いながら、千世がこちらにすべり込んできた。
「お兄さまあやまって下さい、お兄さまは御存じないんのです、どうか主人にすぐあやまって下さい」
「なにをあやまれというんだ」
「云うな千世」と主税介が云った「それを云うと勘弁しないぞ」
「はい、もう堪忍して頂こうとは存じません、兄の申す通り実家へ戻ります、でもその前に本当のことを云わせて頂きます、お兄さま、あの朝、深松さまの知らせを聞いたのはわたくしです、主人は何も知りません、わたくしが聞いて、そのまま取次がずにいたんです」
「おまえが聞いた、そして取次がなかったというのか」重三郎は殆ど叫び声を上げた、「なぜだ、わけを云え」
千世は主税介のほうを見て、「旦那さま、わたくし正直に申します、本当はみれんな気持ちからでした、あなたにもしものことがあってはいけない、危ない場所へはやりたくない、ただそう思う気持ちでいっぱいでした。わたくしにはあなたが大事でした、いつもお側にいたい、いつまでも、・・・・・どんなものにも代えることはできない、ほかのことはどうなってもいい、夢中でそう思って黙っていたのです」
「それでいいんだ千世、それでよかったんだよ」
「いいえ悪うございました、世間の悪い評判を聞き、あなたがじっとこらえていらっしゃるのを見て、自分のしたことがどんなに悪かったか、どんなに取返しのつかないことだったかということが分かりました。わたくし、いつ離別して頂こうかと、ずっと、そればかり考えていたんです」千世の眼から涙が、(音を立てるほどに)ぽろぽろと畳にこぼれ落ちた。
重三郎は力なく下を向いた。
「あの程度で済んだからこそ、寛大な御処置にもなり、今日の祝宴も開けたのだ、それは千世が黙っていてくれたからだ」
「しかし」と重三郎は下を見たままで云った、「しかし五大の汚名は消えないぞ」
「結構だ」と主税介が云った、「大いに結構だよ、おれは悪評されだしてからだいぶ成長した。これまで褒められてばかりいたし、江木にも古武士の風格があるなどと云われて、自分では気づかずにいいつもりでいた。だが、悪く云われだしてから初めて、その『いいつもりでいた』自分に気が付いた。それだけでも成長だし、これからも成長するだろう、悪評の続く限りおれは成長してみせるよ」
重三郎は手をあげて眼を拭き、「帰っていいだろうか」と云った。
「いいだろう」と主税介が云った、「但し離別うんぬんは取り消していってくれ」
「かあちゃん」の紹介の時にも書きましたが、山周の本の多分全ての内容が記憶に残っていると思います。ただ、その印象の残り方には、浅い深いの違いがありますけど。
その意味では、本作は当時(高校とか大学の頃)読んだ時には、それほど大きな印象としては残っていませんでした。
それが今回読んで、本当にグッときたんです。たかだか30ページの中に紡ぎだされる世界。山本ワールドです。そして、その最後の2ページに凝縮された思いに、涙せずにはいられません。
よく思うんですが、同じ本を読んでも、その時の自分の置かれている状況や環境によって、その受け止め方は変わってくるし、本から受け取るメッセージも変わってくるんですよね。
本作は、そのあたりが顕著に出た作品かなって思います。
妻は良人に知らせなかった
二月下旬の寒い早朝五時。先に起きた千世(ちよ)は、家士から「来客です」と告げられる。「大事が起こったから」とのこと。良人の五大主税介(ごだいちからのすけ)はまだ寝ていた。「わたしがまいります」と、千世は胸騒ぎを感じながら立ち上がった。
客は、良人と兄弟のように仲の良い深松伴六だった。
「今日は非番なものですから、まだやすんでおりますけど」
「ではこうお伝え下さい、とうとう徒歩組と衝突しました。場所は龍崎の大洲、時刻は六時です」
深松は、刻限が迫っているからすぐ起こしてくれるようにと云い、門の外へ出ていったが、千世は動くことができなかった。
大変なことだ、大変なことになった。
「あの方たちは良人を頼みにしている、良人もあの方たちが自分を頼みにしていることをよく知っている、早く起こして知らせなければならない」
「とうとう徒歩組と衝突した」とは、馬廻りの者と徒歩組の者とが決闘するという意味であった。徒歩組と馬廻りとのあいだには、数年前から根強い確執があったのだ。
良人の五大主税介は隈江流という剣術の達者で、藩の道場「清明館」の師範をしていた。徒歩組との決闘になれば、彼は馬廻りの中心となり先鋒となることは必至である。
とすれば、双方で何十人という多勢が斬りむすび、その一方の中心となり先鋒となるとすれば、・・・・・千世は身震いをした。
「いいえ、それが怖ろしいのではない、良人が傷ついたり、もしかすると切り死にをするかもしれないということは怖ろしい、けれどもそれだけではない、もっと大事なことがあるような気がする、たとえば、・・・・・たとえばその衝突が、私闘だということなど」
彼女の眼は強い光を帯びた。
「良人をゆかせてはいけない、私闘は武士の道に外れたことだ、そういうところへ良人をゆかせるのは、武士の妻のたしなみではない」
千世は家士に「深松伴六の来たことは黙っているように」と云った。あたしは法度を犯すことから主人を護った。そういう自覚が、彼女に力と自信を与えるようであった。
千世は彼に恋をして結婚した。実家の兄の江木重三郎が、「五大は人物だ、あの若さで立派に風格をそなえている、ああいうのを古武士の風格というのだ」と云うのを、千世は幾度となく聞いた。そしてそのたびに自分が褒められているような嬉しさと、彼への思慕が深く強くなるのを感じた。
決闘に加わらなかったことを喜ばれるが
十時ちょっとまわった頃に、主税介の叔父が訪ねて来た。「よかったよかった、よくいてくれた」叔父は興奮して咳きこみながら、ほとんど主税介の手を握らんばかりにして「よかったよかった」と繰り返し云った。
「どうなすったのです、なにごとですか」
「ではなにも知らないんだな、うんそうだろう、知っていればでかけた筈だからな、馬廻りと徒歩組とが、ついに衝突してえらい騒ぎが起こったのだ」
主税介はあっと口をあけた。
その後、千世の兄の江木重三郎が来た。彼は主税介が決闘に加わらなかったことを喜び、祝いを述べた。
客が帰った後、居間に戻るなり主税介は独り言を云った、低いけれども憤懣のこもった調子で、「なんということだ、なぜおれに知らせて来なかった、深松はどうしたのだ」
明くる日、主税介は登城して、城中で詳しい事を聞いた。決闘に参加したのは、徒歩組が三十一人、馬廻りは二十七人で、徒歩組の中には一刀流師範の通次多仲がいた。
馬廻りからは四人の死者、三人の重傷者と十四人の軽傷者があった。徒歩組には即死者はなく、この差は徒歩組に通次多仲がいたためで、四人の死者は、みな多仲の手にかかったもののようであった。
周囲の人たちは彼の加わらなかったことが意外だったらしい、二三日の間、しばしば同じような質問を受けた。
「貴方は御無事だったんですね」と彼らはみな意外そうな顔をした。
清明館の門人たちにも彼の不参加が驚かれ、無事であることを祝われた。
まもなく通次多仲が追放され、決闘の参加者は藩主の意志により参加者の家族は謹慎、本人たちの処分は保留され面接禁止とされた。そして、主税介に対する評はいっそうよくなり、彼の不参加は「神妙である」というふうに云われた。
まさか妻が
主税介はどうしても疑念が晴れず、事情を聞いて回る内に、あの朝、深松が知らせに行っている筈だという話を聞いた。そのとき、主税介の頭にふと妻の顔がうかんだ・・・・・まさかそんなことが。その夜、妻を呼んでそのことを訊いた。はたして、千世はそうだと答えた。
「すると深松は知らせに来たのだな」
「はい、おみえになりました」
「どうしてそれを取次がなかった」主税介はけんめいに感情を抑えていた。
「申し上げてはならない、申し上げればきっと大洲へいらっしゃる、それでは私闘になるし、私闘は御法度だから、あとでどんなお叱りをうけてもここは黙っていよう、そう思ったのでございます」
「わかった、もういい」と主税介は云った。その手はふるえていた。
彼の全身は怒りの固まりのようであった、妻のしたり顔が彼を毒し、辱めるように思える。「女め」と主税介は呟いて、唾を吐いた。
そして非難と嘲笑の声に耐える日々が始まる
五月になって、大洲の事に関係した者の家族は、ぜんぶ謹慎を解かれた。当人たちにはまだ面接禁止でまだなんの沙汰もなかったが、家族の謹慎が解かれたので、主税介は一軒ずつ見舞いに廻った。だが、その一軒一軒で、彼はあからさまな敵意と、露骨な軽蔑を投げ返された。死んだ者の遺族からは、「ご丁寧なことですね、決闘には出ないが見舞いには来るんですか」と云われ、主税介は頭を垂れて辞去した。
それでも主税介は二十七軒をぜんぶ廻ったが、最も近しい深松伴六の家では、父親が出てきて「見舞いは受けたくない」と云った。老人の骨ばった拳はわなわなとふるえていた。
「みんなもう知っているのだ、知らせたのに大洲に来なかったということを、・・・・・怒るのが当然だ」
家中の人たちのようすが次第に変わりだした。主税介はそれをはっきりと感じ始めた。それは遠くから眼に見えない速度で、だんだん縮まり、彼の周囲をせばめ、彼を孤立させるようであった。
千世もむろん知っていた。良人の様子を見るだけでもわかるし、じかに自分で聞くこともあった。
「人はみかけによらないものだ、いざとなってみなければ、人間の本性はわからないものだ」
彼女の苦しさは二重であった。当然それが良人の耳にも入っているだろうことと、その責任が良人にではなく自分にあるのだということで。
十月初旬、大洲の件の裁決があった。それは予想していた以上に寛大なものであり、全員の謹慎が解かれ、城代家老からは「特に殿のおぼしめし」として、「私闘の事は不届きであるが、恩愛義理をも思い切ったる心底の男らしさはよい」というお沙汰が下った。
これで家中の評はまったく逆転した。私闘は咎めるが、「意地を立てた男らしさ」は褒められたのである。当人たちはもちろん、その家族まで肩身がひろくなった。
これが主税介に影響しない筈がない、五大主税介は全藩の人たちから白い眼で見られ、非難と嘲笑の声を聞かなければならなかった。
最も耐え難いと思えたのは、清明館の稽古で、門人たちが彼の指南を拒絶することであった。主税介が手を直してやろうとすると、彼らは稽古をやめてしまうか、または作った慇懃さで首を振った。
「いいえ、それには及びません」と彼らはいちように云うのであった。「私は師範代にお願いしてありますから」
だが主税介はめげなかった。彼は以前にも増して凛としてみえたし、どんな非難の眼にも嘲笑の声にも挫けるようすはなかった。
決闘から一年の歳月が流れ
こうして決闘から一年の歳月が流れ、三月中旬になったある日、双方五十二人が集まって酒宴を催した。諸方からの祝いの品も届けられて、たいそうな盛会になった。同じ日、主税介は非番で家にいた。一年前のあの日以来、久しくやめていた笛作りを一日中きげんのいい顔でしていた。
夕食をすませてから一刻ばかり経つと、江木重三郎が訪ねて来た。
「今日、田口さんから清明館を辞任した方がよくはないかと云われたと思うが、どうするんだ」と重三郎は固い顔で云った。
「清明館師範の役は殿から仰せつけられたものだ、殿から解任されるか、正当な理由のない限り、この役を勤めるのは私の義務だと思う」
「わかった、これでもう聞くことはない、千世を伴れて帰るから離別してくれ」と重三郎は云った。「おれは五大を信じていた、世間がなんといおうと、五大主税介は卑怯なまねをする男ではないと信じていた、だがおれは事実を聞いた、深松伴六からじかに聞いたんだ、あの朝早く、深松自身が此処へ知らせにきたという」
「その通りだ」と主税介は頷いた。
「しかし五大はゆかなかった、みんなが命を賭して斬りむすんでいるとき、五大主税介ひとりは家にいた、みんなが傷ついたり斬り死にをしているとき、五大主税介ひとりは安閑と家にいたのだ」と重三郎は云った。
襖をあけて、「待って下さい」と云いながら、千世がこちらにすべり込んできた。
「お兄さまあやまって下さい、お兄さまは御存じないんのです、どうか主人にすぐあやまって下さい」
「なにをあやまれというんだ」
「云うな千世」と主税介が云った「それを云うと勘弁しないぞ」
「はい、もう堪忍して頂こうとは存じません、兄の申す通り実家へ戻ります、でもその前に本当のことを云わせて頂きます、お兄さま、あの朝、深松さまの知らせを聞いたのはわたくしです、主人は何も知りません、わたくしが聞いて、そのまま取次がずにいたんです」
「おまえが聞いた、そして取次がなかったというのか」重三郎は殆ど叫び声を上げた、「なぜだ、わけを云え」
千世は主税介のほうを見て、「旦那さま、わたくし正直に申します、本当はみれんな気持ちからでした、あなたにもしものことがあってはいけない、危ない場所へはやりたくない、ただそう思う気持ちでいっぱいでした。わたくしにはあなたが大事でした、いつもお側にいたい、いつまでも、・・・・・どんなものにも代えることはできない、ほかのことはどうなってもいい、夢中でそう思って黙っていたのです」
「それでいいんだ千世、それでよかったんだよ」
「いいえ悪うございました、世間の悪い評判を聞き、あなたがじっとこらえていらっしゃるのを見て、自分のしたことがどんなに悪かったか、どんなに取返しのつかないことだったかということが分かりました。わたくし、いつ離別して頂こうかと、ずっと、そればかり考えていたんです」千世の眼から涙が、(音を立てるほどに)ぽろぽろと畳にこぼれ落ちた。
悪評の続く限りおれは成長してみせるよ
「千世が黙っていたのは正しかった」と主税介は云った、「江木にもわからない、おれ自身もわからなかった、しかし今日わかった、あのときの仲間が和解して、酒宴を催すと聞いて、おれは初めて、千世の黙っていたことが正しかったと気が付いた、考えてみろ、江木・・・・・あのとき千世が取次いだらどうなったと思う」主税介の声は低くなった、「おれはもちろん大洲へ駆けつけただろう、いばるようだがおれの隈江流は多仲より下ではない、おれがいて多仲がいて、みんな決死でやったとすれば、死傷者の数はあんな程度では済まなかった、ということが想像できないか、江木」重三郎は力なく下を向いた。
「あの程度で済んだからこそ、寛大な御処置にもなり、今日の祝宴も開けたのだ、それは千世が黙っていてくれたからだ」
「しかし」と重三郎は下を見たままで云った、「しかし五大の汚名は消えないぞ」
「結構だ」と主税介が云った、「大いに結構だよ、おれは悪評されだしてからだいぶ成長した。これまで褒められてばかりいたし、江木にも古武士の風格があるなどと云われて、自分では気づかずにいいつもりでいた。だが、悪く云われだしてから初めて、その『いいつもりでいた』自分に気が付いた。それだけでも成長だし、これからも成長するだろう、悪評の続く限りおれは成長してみせるよ」
重三郎は手をあげて眼を拭き、「帰っていいだろうか」と云った。
「いいだろう」と主税介が云った、「但し離別うんぬんは取り消していってくれ」
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