2026-05-12

きび団子だけでは足りません

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。

おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。すると川上から、大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこ、と流れてきました。

おばあさんがその桃を家へ持ち帰り、包丁で割ろうとすると、中から元気な男の子が飛び出しました。

「おぎゃあ!」

おじいさんとおばあさんは大喜びし、その子桃太郎と名づけました。

桃太郎はすくすく育ちました。よく食べ、よく眠り、よく正義について語る、たいそう立派な若者になりました。

ある日のことです。村に鬼がやってきて、米俵や反物や酒樽を奪っていきました。村人たちは泣きました。

桃太郎や、鬼ヶ島へ行って鬼を退治しておくれ」

桃太郎は胸を張りました。

「わかりました。わたしが鬼を討ち、村に平和を取り戻しましょう」

おばあさんは桃太郎のために、日本一のきび団子を作りました

「これを持ってお行き」

ありがとうございます

桃太郎は腰にきび団子の袋を下げ、鬼ヶ島へ向かいました。

しばらく歩いていると、犬が一匹、道ばたから現れました。

桃太郎さん、桃太郎さん。お腰につけたきび団子、一つわたしにくださいな」

「よかろう。これをやるから、鬼退治についてこい」

桃太郎は犬にきび団子を一つ渡しました。

犬はもぐもぐ食べました。

うまい

「では、行こう」

ところが犬は、その場を動きませんでした。

「どうした」

「いや、たしかうまいんですがね」

犬は前足で口元をぬぐいました。

「鬼退治というのは、相当な危険業務ですよね。噛みつく、吠える、追いかける。こちらも命を張るわけです。それに対して、きび団子一個というのは、いささか固定報酬として弱い」

桃太郎はまばたきしました。

「固定報酬?」

はい成功報酬の設定をお願いしたい」

桃太郎は困りました。村を救う使命はある。しかし仲間がいなければ鬼ヶ島には勝てません。

「では、鬼退治が成功した暁には、鬼ヶ島の浜辺一帯をおまえに与えよう。走り回るにはよい土地だ」

犬の耳がぴんと立ちました。

「浜辺一帯。いいでしょう。契約成立です」

契約というほどでは……」

口約束契約です」

犬は尻尾を振り、桃太郎についてきました。

しばらく行くと、猿が木の上から現れました。

桃太郎さん、桃太郎さん。お腰につけたきび団子、一つわたしにくださいな」

「よかろう。これをやるから、鬼退治についてこい」

猿はきび団子を受け取り、器用に食べました。

うまい。実にうまい

「では、行こう」

しかし猿も枝から降りてきません。

「どうした」

「いや、桃太郎さん。犬には何を約束しました?」

桃太郎は少し目をそらしました。

「まあ、少々、浜辺などを」

「やはり」

猿は腕を組みました。

「犬に土地を出したなら、わたしにも相応のもの必要です。わたしは高所作業、索敵、侵入撹乱担当します。戦略的価値が高い」

「では、鬼ヶ島の山をおまえに与えよう。木も多いし、登るには困るまい」

猿はにやりと笑いました。

「山。いいでしょう。ただし山林資源の利用権も含みますね?」

「山なのだから、まあ、木くらいは」

「言質を取りました」

「げんち……?」

猿は木から飛び降り桃太郎たちに加わりました。

さらに歩いていると、キジが空から舞い降りました。

桃太郎さん、桃太郎さん。お腰につけたきび団子、一つわたしにくださいな」

「よかろう。これをやるから、鬼退治についてこい」

キジはきび団子をついばみました。

「たいへん美味です」

「では、行こう」

しかキジは翼をたたんだまま、じっと桃太郎を見ました。

桃太郎さん。犬と猿には、何か追加で約束しましたね?」

桃太郎は咳払いしました。

「まあ、戦後処理について、多少の話し合いはした」

わたしは空から偵察し、鬼の動向を見張り、場合によっては目をつつきます危険度は非常に高い。きび団子だけでは、羽が安すぎる」

「では、鬼ヶ島の空をおまえに与えよう」

「空?」

「そうだ。鬼ヶ島の上空を自由に飛ぶ権利だ」

キジはしばし考えました。

「それだけでは弱いですね。空はもともと飛べます

桃太郎は焦りました。

「では、鬼ヶ島で泣く権利も与えよう」

「泣く権利?」

「戦いのあと、勝利の涙でも、感動の涙でも、好きなだけ泣いてよい」

キジ首をかしげました。

「それは誰にも止められないのでは?」

「いや、特別に、おまえの権利として認める」

キジは妙に納得しました。

「なるほど。精神権益ですね。空域利用権および泣く権利契約成立です」

こうして桃太郎は、犬、猿、キジを従えて鬼ヶ島へ向かいました。

鬼ヶ島では、鬼たちが酒盛りをしていました。

「わっはっは、人間どもから奪った米はうまいぞ」

桃太郎は刀を抜きました。

「鬼ども、村から奪った宝を返せ!」

犬は吠え、猿は屋根から飛びかかり、キジは空から急降下しました。

鬼たちは大慌てです。

「なんだ、この異様に士気の高い動物たちは!」

成功報酬があるからな!」

犬が叫びました。

「山林資源!」

猿が叫びました。

「泣く権利!」

キジ叫びました。

鬼たちは意味がわからないまま降参しました。

まいったまいった。宝は返す。命ばかりは助けてくれ」

桃太郎はうなずきました。

「よし。これにて鬼退治は成功だ」

から奪われた宝は船に積まれました。鬼たちは縄で縛られ、しょんぼりとうなだれました。

そして、問題はそのあとに起こりました。

鬼ヶ島の浜辺で、犬が言いました。

「さて、桃太郎さん。約束どおり、浜辺一帯をいただきます

猿がすぐに言いました。

「待て。浜辺一帯というのは、山のふもとまで含むのか?」

犬は鼻を鳴らしました。

「含むに決まっている。浜辺とは、走って気持ちのいい範囲すべてだ」

定義が雑すぎる」

猿は木に登り、島を見渡しました。

わたしは山をもらう約束だ。山林資源の利用権も含む。つまり島の中央部から周辺の林まで、すべてわたし管理下にある」

キジが翼を広げました。

「お二方、落ち着いてください。わたし鬼ヶ島の空域利用権を持っています。つまりあなたたちが浜辺や山で何をするにしても、上空を通るものについては、わたし許可必要です」

犬が吠えました。

「空など勝手に飛んでいればいいだろう!」

「いいえ。権利ですから

猿も言いました。

「それより泣く権利とは何だ。そんなもの、何の価値がある」

キジは胸を張りました。

戦後感情表現を独占的に行使できる権利です」

「独占とは聞いていないぞ」と桃太郎が言いました。

キジ桃太郎を見ました。

「では、非独占ですか?」

「たぶん」

「たぶんで契約を語らないでください」

犬が桃太郎に詰め寄りました。

桃太郎さん、浜辺一帯と約束しましたね」

猿も桃太郎に詰め寄りました。

「山をくれると言いましたね」

キジ桃太郎肩にまりました。

「空と泣く権利を認めましたね」

桃太郎は汗をかきました。

「いや、その、みんなが気持ちよく働けるようにと思って……」

犬はうなりました。

気持ちよく働いた結果、報酬でもめている」

猿は腕を組みました。

「これは明らかに事前の分配設計が甘い」

キジは静かに言いました。

契約書がないのも問題です」

桃太郎は鬼より怖いものを初めて知りました。

それは、勝利後の利害調整でした。

そこへ、縛られていた鬼の親分が、おずおずと口を開きました。

「あのう……」

「なんだ」と桃太郎が言いました。

「わしら、退治された側なので言いにくいんですが、鬼ヶ島土地台帳なら、こちらにあります

犬、猿、キジが一斉に鬼を見ました。

土地台帳?」

鬼の親分は懐から巻物を取り出しました。

はい。浜辺は潮の満ち引きで範囲が変わりますし、山林は共有地ですし、空はそもそも登記できません」

犬が固まりました。

猿が固まりました。

キジけが言いました。

「では、泣く権利は?」

鬼の親分は少し考えました。

「それは……心の問題です」

キジは深くうなずきました。

「やはり重要ですね」

そのとき、犬が言いました。

「では、浜辺は時間で分ける。朝はわたしが走る。昼はみんなが使ってよい。夕方はまたわたしが走る」

猿が言いました。

「山は木の実を採る権利わたしが優先する。ただし、犬が日陰で休むことは認める」

キジが言いました。

「空は自由飛行とします。ただし、誰かが感動して泣きたいときは、まずわたしに一声かけてください」

「なぜだ」と犬が言いました。

「泣く権利運用上、必要です」

必要か?」

必要です」

桃太郎はほっとして言いました。

「では、それでよいな」

しかし猿が桃太郎を見ました。

「よくありません」

「えっ」

そもそも桃太郎さんは、われわれ三者に別々の約束しました。これは今後の遠征において重大な教訓です」

犬もうなずきました。

「きび団子一個で命をかけさせようとした点も、忘れてはいけない」

キジも言いました。

感情労働への配慮も不足していました」

桃太郎正座しました。

鬼ヶ島の浜辺で、桃太郎は犬、猿、キジ、そしてなぜか鬼たちに囲まれ反省会を開くことになりました。

議題は三つ。

一、報酬は事前に明文化すること。

二、土地資源、空域、感情表現など、権利範囲曖昧にしないこと。

三、きび団子は美味しいが、万能ではないこと。

桃太郎は深く頭を下げました。

「みんな、すまなかった。わたしは鬼を退治することばかり考えて、そのあとのことを考えていなかった」

犬は尻尾を振りました。

「わかればいい」

猿は木の実をかじりました。

「次から契約書を作ることだ」

キジは空を見上げました。

「そして、泣きたいときは遠慮なく泣くことです」

桃太郎は少し涙ぐみました。

キジがすぐに言いました。

申請は?」

「えっ」

「泣く権利の利用申請です」

桃太郎は涙を引っ込めました。

それを見て、鬼の親分がこらえきれずに泣き出しました。

「わしら、退治されたうえに、こんな会議まで……」

キジが鬼の親分の前に歩み寄りました。

あなたは泣いてよいです。敗者の涙は、公共性が高い」

犬と猿は顔を見合わせました。

桃太郎は思いました。

鬼ヶ島平和にするのは、鬼を倒すよりずっと難しい。

やがて一行は、村へ帰りました。

桃太郎は宝を村人たちに返し、たいそう感謝されました。犬は朝夕、鬼ヶ島の浜辺を走るようになりました。猿は山で木の実を管理し、ときどき鬼たちに労働基準について説教しました。キジは空を飛びながら、誰かが泣きそうになると、すぐに舞い降りてきました。

村人たちは言いました。

桃太郎は鬼を退治しただけでなく、鬼ヶ島に新しい秩序を作った」

桃太郎苦笑いしました。

「いや、作ったというより、揉めた末に落ち着いたのです」

それから桃太郎は、腰にきび団子の袋を下げるだけでなく、もう一つ、小さな文箱を持つようになりました。

中には筆と紙と印が入っていました。

そして旅先で誰かに頼みごとをするときは、必ずこう言うようになりました。

「まず、条件を書面で確認しましょう」

めでたし、めでたし。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん