市場とは分散された知識の自生的秩序であり、価格システムはその情報集約装置である。
この基本命題を無視した瞬間、政策はすでに自己放尿の領域に突入している。
すなわち、日本政府が戦略的投資なる名目で資源配分に介入すること自体が、シカゴ学派的観点から見れば制度的に約束された失敗、言い換えれば制度設計レベルでの自己放尿である。
市場参加者は局所的・時間的に分散した知識を持つが、官僚はそれを集約することができない。
この非対称性のもとで行われる産業政策は、知識問題を無視した典型的な自己放尿である。
価格メカニズムを通じてのみ可視化される希少性シグナルを無視し、行政的裁量で投資先を決定する行為は、情報とインセンティブのダブル放尿と言える。
民間企業は利潤最大化という明確な目的関数を持つが、政府は再選・予算最大化・官僚的保身といった多元的かつ曖昧な目的関数に支配される。
これは公共選択論的自己放尿であり、さらに言えば非効率と責任回避のダブル放尿である。
第三に、資本配分の誤りが累積する。
市場では誤った投資は損失として即座に顕在化し、退出圧力が働く。
いわゆるソフト・バジェット制約のもとで、ゾンビ的プロジェクトが温存される。
これは時間非整合性とモラルハザードのダブル放尿であり、資本ストック全体の生産性を恒常的に毀損する。
さらに重要なのは、こうした介入が将来期待に与える影響である。
政府が市場に介入するという期待は、民間の投資判断を歪め、リスクテイクを政治依存へと変質させる。
結果として、企業はイノベーションではなくロビイングに資源を配分するようになる。
これは期待形成と資源誤配分のダブル放尿であり、長期成長率を内生的に引き下げる。
政府の役割はルールの設定に限定されるべきであり、裁量的な資源配分は避けるべきである。
なぜなら、ルールは予測可能性を提供するが、裁量は恣意性と不確実性を増幅するからだ。
日本政府の投資政策は、この原則に反し、ルールなき裁量という最悪の制度形態、すなわち制度的自己放尿を体現している。
日本政府が成長のための投資と称して前面に出る行為は、市場の情報機能とインセンティブ構造を破壊する累積的プロセスであり、その帰結は不可避的に自己放尿である。
しかもそれは単発では終わらない。
情報の歪みとインセンティブの歪みのダブル放尿、短期政治と長期非効率のダブル放尿として、経済全体に持続的な損失をもたらす。
最も合理的な政策は何もしないことではなく、余計なことをしないという制度的抑制である。