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はてなキーワード: ボスニア紛争とは

2026-03-02

anond:20260301184400

ボスニア紛争ではPR会社マーケティング情報戦国際世論を作り上げたという事実もあるしな。

 

民族浄化 ethnic cleansing 〜ユーゴ・情報戦の内幕〜 | NHKスペシャル | NHK

https://www.web.nhk/tv/an/special/pl/series-tep-2NY2QQLPM3/ep/VRQ9R2RK2J

高木徹・著『戦争広告代理店』で書籍化

 

2026-03-01

ボスニア紛争体験談釣りスレが許せない

要約:スレ主の主張通り「友人の体験談」なら他人体験簒奪して戦争被災者になりきって自己陶酔する卑劣漢だし、完全な釣りなら実在戦争オモチャにするゲス野郎だと思います

ボスニアでの戦争中の残虐行為を知りたいなら佐原徹哉『ボスニア内戦』、凄惨戦場体験した子どもの話を知りたいならヤスミンコ・ハリロビッチ『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』を読んでほしいです。


ボスニア紛争の体験者を騙ったVIPスレッド「戦争体験談を語るわ」が16年ぶりにバズっていて、はらわたが煮えくり返るくらい怒っている。

スレ主が創作ゲロった後の「留学先で出会った「彼」の体験談」だという弁明が事実かどうかはひとまず置いておいても、このスレの後半の流れを読めば、こんなクソスレに感動したり「名作」「出来が良い」と褒めたりしてる場合じゃないと思うのですが。

ボスニア紛争って、当たり前だけど実在した戦争で、カリノヴィクやフォチャやゴラジュデも実在する町で、戦争に関わった人たちや被害を受けた人たちは実在するわけじゃないですか。なんでその体験者を騙れたのか、あまつさえその体験で今も苦しんでいる当事者かのように装えたのか、その神経がわかりません。 スレ主は最後まで読んでもらうためだったとかなんとかうだうだ言い訳しているけど、言い訳しようのない卑劣行為だと増田は思います

実在のできごとをもとにした創作なら、最初から創作と明示したうえで、当時流行ってたやる夫スレなんかの形でやるならわかるんですよ。「戦争を題材にしたフィクション実際に起きた戦争を含めて、実話をもとにしたフィクション」なんて世に数多あるんだし、創作だとわかってても「考えるきっかけ」になるものだって多いしね。

仮に本当に知人の体験談なら、最初からそう明示すればよかったと思うんですよ。なんで数日間にわたって自分戦争被災者になりきってんの? このスレ肯定的評価をしてる人たちは、これがもっと自分に身近な事件を題材にした釣りだったとしても「考えさせられるきっかけになったから良い」なんて言えますか?

たとえば「性的虐待体験談を語るわ」というスレ自分は◯年前にA県B市に住んでて、C学校に通ってて、D、Eという友達がいて……と詳細に身の上を述べたうえで、被害の苦しみやおぞましい虐待の詳細なんかをショッキング描写とともに感情たっぷりに語って、ストーリー上のドラマティックな山場を用意して、途中「書くのがつらい」なんて吐露したりもして、しばらくしてから「実は自分被害を受けたのではなく、友人に託された体験記の転載でした。ドラマティックな場面は創作です」「性的虐待の恐ろしさを考えるきっかけにしてほしい」なんて言い出したら? 

たとえば「震災体験談を語るわ」というスレで、自分福島県〇〇町に住んでいたと言いながら津波ショッキング描写、友人の死、原発事故による避難避難所での軋轢、その他ドラマティックな山場がモリモリのストーリー臨場感たっぷり自分体験のように語って、語り手自身PTSDになってるかのように仄めかして自死を匂わせておいて、挙げ句の果てに「フェイク入りの友人の体験談です、自分被災者じゃありません」「被災地に想いを馳せてほしい」なんて言い出したら?

勉強になった」「釣りかどうかなんてどうでもいい」なんて言えますか? 増田はそうは言えません。

他人凄惨体験自分ごとのように騙って、ただでさえ悲惨なできごとをドラマティックに脚色して自己陶酔して、何様のつもりだよ?」「実在する事件被害者たちをおもちゃにしているのか?」「自分が注目を集めるために、事件を利用しているのか?」って思います……。

そしてもしも「知人の体験談」というとってつけたような弁明すら嘘で完全な釣りだったら、このなりきりはVIP自分(あるいは自分執筆したフィクション体験記)に注目を集めるために実在戦争を利用するという、さら卑劣行為だと思います

こんな自己陶酔たっぷり騙りを挟むまでもなく、ボスニア紛争が悲惨ものであったことは疑いようがないし、その事実を広めたいと言うなら、仮に媒体2ちゃんに限っても、もっとマシな方法はいくらでもあった。きっかけになる」からってこんな騙りを許すのは、「『正しい目的』のためならどんなやり方で注目を集めてもいい、創作を実話と偽ってばら撒いたっていい」って言ってるのとそんなに違わないんじゃないですか?

とはいえ、こんな卑劣なやり方でバズったスレで「知るきっかけ」が得られたって人もたしかにいるでしょう。そういう人には、ぜひこんな騙りを超えて、事実をまとめた本や本当の体験から情報を得てほしい。

ボスニア紛争の経緯や虐殺について知りたい人は、佐原徹哉『ボスニア内戦』(ちくま学芸文庫)を読んでほしい。2010年当時でも読めたけど、最近文庫化して入手しやすくなりました。Kindleもありますhttps://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B0FX8RXJZP/)。

ボスニア戦争経験した子どもたちの証言集としては、2015年角田光代さんが訳した、ヤスミンコ・ハリロビッチ『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』(集英社インターナショナル)という本があります。ハリロビッチさんは1988年まれで、自身サラエボ包囲のサバイバーで、同じ立場の(元)子どもたちの証言を集めた本。

どちらも読み進めるのがつらくなるような内容は多いけど、ボスニア紛争やその体験者(とくに子どもたち)に興味を持った人は手にとって損はないはず。

以下憶測多めの蛇足増田は、友人の体験談原稿翻訳ベースだというのもかなり怪しいと思っている。書かれたものを訳したはずなのに、「外国人が耳で音だけ聞いた単語をカナに直したような表記」と、「スペルだけ知ってて音を知らない単語をカナに直したような表記」が入り混じっているし、「実在した」と挙げられている登場人物名前ボシュニャク人セルビア人クロアチア人にしてはかなり珍しいであろう名前複数あるから

①「スルツキ」という表記。おそらく現地語の「srpski」のことだろうけど、この単語普通日本語だと「スルプスキ」と書かれるし、「スルツキ」という表記はありえない(2010年当時の機械翻訳にかけてもありえないだろう)。ただ、Wiktionary発音を聞くと、スペルを知ることなく耳で音だけ聞いたら「スルツキ」にも聞こえうるのはわかる。https://en.wiktionary.org/wiki/srpski

しかスレ主の言い分では、英語で書かれた友人(父親ボシュニャク人母親日本人)の体験記を訳したのだという。長大原稿英語から日本語に訳せる語学能力のある人が、渡された原稿に「srpski」と書かれているのを「スルツキ」とカナ表記するだろうか? 他の2民族を指すとき言葉(フルヴァツキ=hrvatski、ボシュニャチ=Bošnjaci)は正しくカタカナにしているのに、なぜsrpskiは「音だけ聞いて、スペルを知らない」かのようなカナ表記なのか?

もっと言えば、「スルプスカ」(srpska)はちゃんと「スルプスカ」と正しく表記しているんですよね。同じ単語(の女性形)なんだけど……。

なぜこんな表記なのかはわからない。あえて拙さを演出したのではないかと思うけど、そうだとしたら英語で書かれた体験記を訳したという後半の弁明とは辻褄が合わない。

②「カミーユ」という名前。いや、これフランス語Camilleですよね? フランスルーツがあるわけでもないボスニア現地の人で、「カミーユ」という名前の人を見たことがない……。

現地語のカミル(Kamil)という男性名ならありえるが、これを「カミーユ」と聞き取るだろうか? 

それに、スレ主が最後に「実在人物」として挙げているスペルはKamilではなくCamil(現地語読みならツァミル)。ツァミルという名前はあまりいたことがないが、英語体験から訳したとしたら、スペルが近いĆamil(チャミル)という男性名いちばんありえるだろうな。でも、「ツァミル」や「チャミル」を「カミーユ」と聞き取るとは思えない。

これは、最大限好意的に見れば「スルツキ」とは逆に、「文字で見た単語を、スペルに引きずられて違う音でカナ表記した」ように見える。そうでなければ、スレ主がボスニアらしい名前創作したときに、うっかりフランス語名前を混ぜてしまったというところだろうか。

③サニャとカミーユ名字Googleでいろいろと検索しても、旧ユーゴどころかスラヴ系のEdu姓の人が見つからなかった。カミーユのTrpkovaという姓も不思議北マケドニア女性ならわかるけど、ボシュニャク人男性でそんな姓になることがあるだろうか……。

【3/2追記】読み直したら意図が伝わりにくい書き方のところがあったので、修正しました。増田の怒りの発端は「自分自身体験者かのように装ったこと」「創作を実話と騙ったこと」にあります。だから、このスレ大河ドラマ朝ドラ火垂るの墓など「実話をもとにしたフィクションと明示されている作品」とはまったく別の話だと思っているよ。「ドキュメンタリー映画しか許せないのか」という反応があったけど、その比喩に沿うならこのスレはむしろドキュメンタリーだと謳っていたのに実はフィクションだった」とか「ドキュメンタリーに「当時の体験証言する」と言って出演した人が後から「あれは自分体験じゃない」と言い出した」みたいな事例ですよね。

id:cloverstudioceo 「クロアチア在住のもんですが、スルツキはsrpskiだったのね。でもそれはセルビア語で、セルビア人はSrbin. あと、ボスニア人はBosanac(男性単数) Bosanci(複数) だよw Bošnjaciなんて聞いたことねー。」

→おっしゃる通り、srpskiは「セルビアの、セルビア人の」という形容詞ですね。srpski jezikは「セルビア語」、srpski narodは「セルビア民族」。hrvatskiも形容詞で、名詞の「クロアチア人」はHrvat。Bošnjaciは名詞ボシュニャク人Bošnjak)」の複数形です(https://en.wiktionary.org/wiki/Bo%C5%A1njaci)、調べてみたらたくさん用例が出てくると思いますBosanac(Bosanci)は民族にかかわらず「ボスニア国民」という意味での「ボスニア人」を指します。

2024-04-30

P.A.WORKSお仕事シリーズというものをはじめて知ったのは「白い砂のアクアトープ」だった。

あれから三年目になるいま、お仕事シリーズをぶっ通しで観ている。ストーリーに引き込まれ時間を忘れる。好みの問題かもしれないが、わたしはこういうストーリーが大好きなのだろう。

花咲くいろは」は最初はとびとびだったが途中からまらなくなり最終話まで一気に観てしまった。喜翠荘再建のものがたりもアニメになればと思っている。

SHIROBAKO」はおもしろすぎて残話数がへってゆくのがもったいなくなり20話あたりで一旦ストップしている。

サクラクエスト」も山場を迎えそうなところでいったん中断し、全然関係ない本を読み始めた。

サラエボ1992-1995 ぼくたちは戦場で育った」「NOMAD CENTURY」まあどちらも私のお仕事に関連する本ではある。

軽く消費できない本をよみながらP.A.WORKS作品について考えている。ボスニア紛争気候変動とくらべればP.A.WORKS作品は軽く消費できるように見える。だがそれがいったいなんだと言うのか。引き込まれ、楽しみ、元気をもらう。そんなストーリーひとつもない世界など想像したくもない。

あとなぜか主人公たちがとにかくみんなミニスカショートパンツで脚を見せている。一部やりすぎを感じる。厨房服装民子みたいな格好でいいわけがないし緑川真希ホットパンツは股下がなさすぎる。スタッフが脚フェチというよりはP.A.WORKS全体が脚フェチなのだろうか。まあ私も脚フェチからいいんだけども。駒田蒸留所へようこそはまだ観ていない。これもまたきれいな脚が観れるのだろうか。

 
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