「人月計算をやめたいんだよね…,どうも納得がいかない」
2008年3月15日号の日経コンピュータで「ITコスト」を取り上げた特集を組んだ。企画の段階で,「○システムなら△円」といった指標が出せないものかと考えたのである。そうした指標があれば,ユーザーがベンダーと交渉したり,逆にベンダーがユーザーに提示する相場観の目安となる。想定したのが不動産情報だ。「新宿のビルで□坪なら×円」といった情報を提供したかった。
そこでユーザーのIT部門とベンダーの両方に取材したのだが,「相場は難しいんじゃない?システムは会社によって違うから」という反応がほとんど。それに続いて「それよりも…」という冒頭の言が出てくる。どうも完成品であるシステムの機能や価値ではなく,それを作るためのコストを問題視しているようだった。
長らく使われてきたこの人月単価や人月計算を,ユーザーとベンダーの両者が止めたいと思っている(注1)。だとすれば,特集のタイトルは「人月からの脱却」だ。ソフトウエア開発の名著「人月の神話」も想起させられる。「崩壊する人月単価」もいいかもしれない。昔から言われていたことだが,ついにその時がきたか。当初立てていた「ITコストの相場観」はもうやめ。記者的な勘でそう決めた。
(注1)ソフトウエアは開発規模を人月の工数で示すのが一般的だ。人手で開発する割合が多いのも,その一因である。「100人月」であれば「50人の作業者が2カ月」や「10人の作業者が10カ月」という規模を示す。これに「100万円/人月」や「150万円/人月」といった技術者の「単価」をかけることで,「1億円」や「1億5000万円」という開発作業のコストが弾き出せる。
しかし,取材を進めるにつれて,筆者は悩み始めた。ユーザーとベンダーの「人月からの脱却」の意味するものが,かみ合っていなかったからだ。以下は取材を通して得た証言を基に構成したものだ。
ベンダー:「人月はシステム開発のコストです。クルマを買いに来たユーザーに,『ネジなど部品の材料費まで開示してください』と言われて応じますか。しないですよね」
ユーザー:「それはそうだけど,クルマは大量生産する工業製品でしょ。であれば100人月とかいうけど,そもそもその規模の見積もり自体妥当なの」
ベンダー:「当社の見積もりシステムで,精緻に出してますから」
ユーザー:「じゃあ,その根拠を見せてよ。表計算ソフトで作ってるんでしょ」
ベンダー:「それはできません。あくまでも部内で使うもので,社外秘ですから」
ユーザー:「見せて納得させてほしいんだけどね。あとさ,技術者10人とか言ってるけど,うちにくるスタッフの人数を数えても,そんなに来ていないし,ベンダーのオフィスで働いているようにも思えない」
ベンダー:「弊社の拠点にいる場合もあります。そもそも世界中の技術者を使うオフショアの時代ですよ」
ユーザー:「であれば,その10人の内訳だけでもきちんと説明してよ。システム・エンジニア(SE)3人,プログラマ7人だけでは,分からない。この前,会議に出ていたプロジェクト・マネージャ(PM)や部長はどう計算するの」
ベンダー:「そうですね…。PMは2人換算で,部長は会議だけだから…」
ユーザー:「やっぱり納得いかないな。それとさ,プロジェクトの想定コストが超過したから,20人月分を追加で負担してくださいって言うけど,それって会社で言えば『残業したもの勝ち』じゃない」
ベンダー:「ユーザーさんが途中で仕様を変えたのが影響しています」(そもそも最初の仕様も我々が書いてあげたのに…)
ユーザー:「でも,払いたくないな。まけられない?」
ベンダー:「うーん。勉強させていただいて10人月ですかね」
ユーザー:「じゃあ5割引きで10人月の追加ということで会議に通すよ。社内や経営陣に説明するのには,やはり人月。しょうがないんだよね」
ユーザー,ベンダー:「でしょ」
話を総合すると,「人月からの脱却」の意味するところは,ベンダーが「ユーザーに“原価”を見せたくない」,ユーザーが「ベンダーの“残業代”を払いたくない」ということ。話がかみ合うはずはない。
こうした人月を巡るコストの応酬が、両者の間で実際になされている。脱却を夢見ていても,「人月」に頼り切っているのが現状だ。取材の前提が崩壊した。筆者は“腹の探り合い”からの脱却が必要だと考えるようになり,取材先で聞き回った。そうしてできたのが「人月からの脱却」改め,「納得できるITコスト」という特集である。
ベンダーとユーザーの両者が連携し,品質(Q),コスト(C),納期(D)をいままで以上に真剣に考える「やる気が出る価格」を初めとして,「説明責任を問う」「安かろう悪かろうを防ぐ」「明朗会計に動くベンダー」といったトピックを取り上げた。
興味のある方は参照していただければと思う。