「オマエは周りに迷惑をかけるだけだ」「うつ病だと?今休めないことぐらい分かるだろう」「オマエのせいで俺まで白い目で見られるんだよ。今度ヘマをしたらどうなるか分かってるだろうな」──。いずれも,システム構築・運用の現場で,上司(先輩)が部下(後輩)に浴びせた言葉である。
あなたは,怒りにまかせて部下の人格や存在を否定したり,暴力をふるったりする上司の下で働いたことがあるだろうか。多くの場合,上司の側に,むごいことをしている自覚は乏しい。それどころか,上司としての責任を果たしている,善意で叱咤激励している,と考えているケースさえ少なくない。
しかし部下にすれば,上司は立場が上。怒りをぶつけられたとき逃げ道はない。追い込まれ,心身に変調を来し,うつ病などの病気を発症する。そんな事態が多くの現場で起きている。
この問題を,一部の上司だけのものと考えないでほしい。予算縮小,人手不足,納期短縮と,プロジェクトの条件は厳しくなる一方だ。仕事そのものが難しくなっているから,多少の見込み違いでも無理難題の仕事になる。しかも,上司が適切に指示や支援をする余裕もない。かくして,部下の失敗は起こるべくして起こる。失敗によって部下の自信が失われ,現場の余裕がさらになくなり,失敗が誘発される。そして上司は部下をまた責める──。この悪循環に巻き込まれたら,誰もが加害者,そして被害者になり得る。
上司から怒鳴られ責められる日々が続いたら,その部下はどうなるか。
大手システム・インテグレータのSEである山田俊二さん(仮名)は3年前の10月,異動の通知を受けて顔をほころばせた。当時,転職して間もなかった山田さんは実力を認められ,主力部署に配属された。異動先での上司は,課長のA氏だ。社内の知人に聞くと,「自分に従順な部下には親切だが,少しでも盾突くと容赦しない」という評判だった。『上司に媚びるのは好きではないが,課長とはうまくやっていこう』。山田さんはこう考えた。
山田さんは異動してすぐ,流通大手L社のシステム運用保守を請け負うチームのマネージャを任された。それまでのマネージャはA課長だった。しかし引き継ぎはほとんどなく,山田さんは「とにかく現場に出向いて仕事を把握しろ」という指示を受けた。
現場のチーム・メンバーから話を聞いて,引き継ぎがなかった理由が分かった。課長はマネージャのとき,各メンバーの担当分野を決めただけ。日々の運用業務の作業手順やトラブル発生時の対応法などのルールを整備していなかった。現場任せにして,マネージャとしての管理責任を果たしていなかったわけだ。
『これじゃ,マネージャとして業務の状況把握すらままならない』。危うさを感じた山田さんは,業務ルール作りに取り組み始めた。しかしメンバーの協力を得られなかった。『業務ルールを整備すれば,メンバーには計画書や報告書など様々なドキュメントを作成する手間が生じる。これを嫌ってのことだな』。山田さんはこう考えた。
行き詰まった山田さんはA課長に相談した。しかし,返ってきたのは「オマエに任せているんだから」という冷たい言葉だけ。それどころか,「早くL社から新しい開発案件を取ってこい」と,運用保守チームには異例の営業ノルマを課された。山田さんは『本来の仕事ではないのに』と思いながらも,営業に注力せざるをえなかった。
顧客の苦言で課長が激怒
問題が起きたのは,異動して1カ月後のことだった。ある情報系システムが突如ダウンした。現場でこのトラブルを知った山田さんは,メンバーに原因究明と復旧を命じ,A課長とL社のシステム部長に電話で状況を報告した。
間もなく,課長から山田さんに呼び出しがかかった。オフィスに向かった山田さんを待ち受けていたのは,怒り心頭に発した課長だった。「マネージャとして何やってんだ,ふざけるな」。怒鳴り声が響いた。
怒鳴られながら,山田さんは課長が怒る理由を理解した。L社のシステム部長からこんな電話があったのだという。「これまで大きなトラブルはなかったはずですがね。マネージャが山田さんに代わったとたんに,これです。大丈夫なんですか?」。この言葉が,山田さんに対する課長の怒りに火を付けたようだった。
『誤解だ』。山田さんは心の中でつぶやいた。運用保守チームのメンバーから聞き出したところによると,それまで大きなトラブルがなかったのは,チームのメンバーがL社のSEと気脈を通じており,トラブルがあったときは互いのマネージャに報告を上げず,内々に処理してきたからだった。この事情を,課長もL社のシステム部長も知らないようだった。
うつ病から復職するも再び罵倒
まもなくシステムは復旧したが,それ以来,山田さんに対する課長の態度は一変した。「何でオマエみたいなのがうちに異動してきたんだ」「それでよくやってこられたな」。山田さんは日ごろの仕事ぶりに対して,課長から常にダメを出されるようになった。それでも山田さんは「それだけ期待してくれているんだ」と自分に言い聞かせ,前向きな気持ちを保とうと努めた。
しかし,その気持ちも粉々に打ち砕かれた。L社への障害対応の報告書を作成したときのこと。書き直して提出するたび,「こんな報告書で通用すると思っているのか」と何度も突き返された。理由を聞くと「自分で考えろ」と言うばかりで要領を得ない。どうしようもなくなって,山田さんが最初に出した報告書を多少手直しして再度提出すると,「まあ,これでいい。最初からこんな報告書を出せよ」と吐き捨てた。『自分につらく当たるのは,結局ただの憂さ晴らしか』と,山田さんは思わずにいられなかった。
その後も,オフィスで横の席に座る課長から罵倒される日々が続いた。山田さんの心はむしばまれ,異動から2カ月たったころ,奇妙な症状が表れた。朝,会社に行こうとすると,だるくて動けない。吐き気がする。無理して出社しても,自分の体が自分のものでない感覚に陥る。定期健康診断で医師に相談すると,精神科医に行くよう強く言われた。うつ病という診断だった。
会社の規定通り直ちに休職となり,スタッフ部門に異動になった。『救われた』と思った。1年半ほどして症状が和らぎ,ようやく新しい部署で復職のリハビリを始められるまでになった。
『最低の上司だったが,恨んだままでいたくない。悪かったの一言があれば,今なら許せる』。山田さんはこう考え,A課長に会いに行った。しかし課長の口を突いて出たのは,またしても山田さんを罵倒する言葉だった。「オマエは仕事を甘く見ている」「戦力にならない」「周りに迷惑をかけるだけだ」──。心ない言葉一つひとつが,病み上がりの山田さんの心をえぐった。
その日からうつ病がぶり返し,山田さんは再び休職を余儀なくされた。絶望のなかで自殺未遂。家族による発見が早く一命を取り留めたが,再び復職するまでにさらに2年を要した。
『あの顔は二度と見たくない。でも,彼が自分にしたことの意味を,いつか分からせたい』。そんな山田さんの思いは,いまだA課長に届いていない。