日曜日の昼間に家で食事をしていると、人気鑑定番組の再放送が流れてきた。今回の依頼者は、退職後に趣味で始めた陶芸にはまり、ついには自宅に立派な工房を構え日々制作にいそしんでいるのだという。完成した作品数は数千点にのぼるとのことで、流れた映像をみると、なるほど作品が収められているとおぼしき立派な桐箱が山のように積みあがっている。ライバルは近世陶芸界の巨人、北大路魯山人だという。

 依頼者は、選び抜いた最高の自信作を持参されていた。司会者は当然のように、鑑定士の中島誠之助に論評を求める。彼は一瞬困ったような顔をしたように見えたが、そこはさすがにプロで「味わいはともかく、技量は大したものだ」と無難に切り抜けた。私も映像でその作品をみたが、確かに微妙なものであった。

 ご本人はすごく純朴そうな方だし、個人が趣味でやっていることだからとやかく言う筋合いのものではない。ただ、現象として「なんだかよくあるパターンだなぁ」と思う。そのパターンが趣味ではなく仕事の領域で展開されてしまうと、それはそれで厄介なことになるのではなどと、いらぬ心配もしてみたりするのである。偶然できてしまった畑違いの商品とかに社長が惚れ込んでしまい、「これに社運を賭ける」とか大号令をかけ社員を道連れに没落への道をまっしぐら・・・。そんな話も何度か聞いたことがあるし。

作れても評価できない

 そんなイケイケ社長が暴走の挙句に自爆してしまった事例を並べてみると、自己評価能力に問題があるケースが多い。先の依頼人が言った「魯山人がライバル」というのは「ウケ狙いの大風呂敷」なんだろうけど、仮に本人が大真面目だったとするならば、その根っこにあるのも同じだろう。ではなぜそうなってしまうのか。この例でいうならば、「作業としての陶芸というものに面白さを感じ、本格的に取り組むようになった」ということが根源にあるのではないかと思う。

 確かに陶芸というのは、やってみるとかなり面白いものらしい。以前に、玩具メーカーのタカラトミーが「ろくろ倶楽部」なる陶芸入門セットを売り出し、オトナの間でちょっとしたブームになっているなどというニュースを読んだ。電動ロクロ、粘土、ヘラなどの道具類一式で、市場価格は1万円弱。粘土を成形して乾燥、家庭のオーブンで焼けば、簡単に陶器ができ上がる。発売は2006年秋だが、今でもちゃんと販売されているから根強い人気があるのだろう。これですっかりハマってしまい、陶芸教室に通うようになったなどという人も少なからずいるらしい。

 私の知り合いにも、大学時代に陶芸サークルに入っていたなどという変人や、若いのに陶芸家を目指して制作にいそしんでいる猛者がいる。私も古今の陶磁器類を愛すること一方ならぬ人間ではあるが、専ら鑑賞し使うばかりで「自ら作ることなど畏れ多くてとてもとても」と考えていた。なので、陶芸ができるというだけで尊敬してしまう。その尊敬の延長線として、無意識に「陶芸ができるということは、鑑識眼もすごいのだろう」と、ある時期までは思い込んでいた。

 それが誤りであることを、いろいろな場面で学んだ。陶器の作製方法に関する豊富な知識をもつ者が、必ずしも鑑賞に関わる知見を備えていないということを知ったのである。「プロを目指している」という方から、「仲間内の個展などには顔を出すが、美術館に収蔵されている歴史的名品、近世に活躍した名匠の作品など、ほとんど目にしたことがない」などという衝撃発言も聞かされたことがある。そしてやっと悟った。陶器が好きということと陶芸が好きということは違うのだと。

そもそもは鑑賞者だった

 先の出演者からライバルと名指しされた魯山人に関して言えば、彼は陶器好きが高じて陶芸家になるという、出演者とはまったく違う道をたどっていた。彼は実にセンスのいい古陶磁コレクターであり、料亭の共同経営者兼料理人として陶磁器のヘビーユーザーだったのである。けれど、彼の優れた鑑識眼からすれば、現在作られている多くの食器類は決して満足できるレベルのものではない。そこで自ら作ることに決める。かといって、彼に陶芸の技量があるわけではない。だから、技量を備えた多くの職人たちを使って自らはアートディレクター的なポジションに立ち、要所のみ自ら手を下して作品を量産した。

 一部の評論家は、魯山人が主要な(美的ではなく製造的な要素として主要な)部分を職人任せにしていることを指して「ニセ陶芸」と弾劾し、ある種の陶芸家たちは「ロクロの一つも満足に挽けないくせに威張りやがって」「あの程度の仕事なら自分でも簡単にできる」と豪語した。魯山人の下で働いていた職人ですら、同じようなことを思っていたらしい。現に魯山人の没後、仕掛かり中だった作品などを職人たちが自らの手で完成させ、焼成して売り出すという無謀なことをやっている。だが、評判はさっぱりだったと当時を知る人が書いていた。

 魯山人の元にいた、魯山人よりも技量は高いであろう職人の何人かはその後、陶芸家として独立した。けれど、かなり早い時期に袂を分かった荒川豊蔵をのぞけば、今日の評価は魯山人に及ぶべくもない。

 つまり、こういうことではないか。優れた鑑識眼さえあれば技量をもつ人のアシストによっていい作品が作れる。けれど、技量があっても鑑識眼がなければいい作品は作れない。本当にそうかということで、高い評価を得続けている陶芸作家について調べてみると、ほとんどが素晴らしい鑑識眼を備えた「魯山人型」である。「東の魯山人、西の半泥子」と称される川喜多半泥子などは、本業は銀行の頭取であった。いわゆる昔流の風流人、文人で、趣味の一つとして古陶磁をコレクションし、引退後の楽しみとして陶芸に手を染め、ついには本業以上の高名を獲得してしまった。私もかつて、彼の作品と収集品の両方を見る機会に恵まれたが、どちらも本当に素晴らしいものだった。