多くのソフトハウスが下請けに甘んじるなか、生き残りをかけて勝負に出る中小ソフトハウスがある。ウイング、シーピーアイ、インフュージョンの3社が、独自パッケージで成功した過程を見てみよう。
「下請けは営業活動しなくて済む」「派遣ビジネスなら確実に売り上げがあり資金計画が安心」──。国内には数万社のソフトハウスがひしめき、その9割は下請けの開発を主とする中小ソフトハウスといわれている。ソリューションビジネスへの転換を図る中小ソフトハウスは少数派で、安定した下請けの現状を肯定する方が多い。船井総合研究所第一経営支援部で、中小ソフトハウスを専門にコンサルティングする長島淳治氏は、「ITサービス市場は年数%ずつ伸びると予測されているため、市場に合わせて成長できるだろうと楽観的な中小ソフトハウスの経営者が多く、危機感は薄い」と語る。
「単価の下落に対し、人件費は年々上がっている。近いうちに逆転して会社が立ち行かなくなる」(シーピーアイの野尻泰正社長)と、危機感を抱いて下請けからの脱却を図るケースもある。だが多くの場合は、「営業を採用してもすぐ辞める」「ユーザー企業から受けた案件で赤字」「受託で作ったシステムをパッケージ化したが売れない」と現状に甘んじているようだ。
今回は、過去に挫折を味わいつつも脱・下請けに挑戦する中小ソフトハウスを紹介する。彼らの成功と失敗の経験は学ぶべき点が多い。成功の秘訣は「ニッチ市場を見つける」「得意分野を育てる」「リスクを負う」の3点にある。
他社との差異化を徹底追求
ニッチにこだわってビジネスを軌道に乗せたのがウイング(新潟県新潟市、樋山証一社長)だ。1991年の設立当初から、徹底したニッチ志向で生き残ってきた。例えばCOBOL全盛期には、敢えてC言語でソフト開発を手掛けた。その後、VisualBasicが主流になると、今度はPowerBuilderを採用し、他社との差異化を図った。
これが結果的に、業務ノウハウとユーザー企業の獲得につながる。PowerBuilderでカスタマイズする督促業務のシステム案件が増え、業務ノウハウも身に付いた。次第に督促業務という得意分野が確立し、新規の受託案件も増えた。
パッケージソフトの開発でもニッチにこだわった。「業務パッケージなど競合が多いソフトは、よほどすごい製品か、もしくは営業力がないと成功しない」(樋山社長)からだ。模索の日々が続いたが、2000年になると社員が、当時はニッチとすら呼べなかったパソコン操作監視ソフトのアイデアを出してきた。
これには樋山社長も1度は却下したが、社員からの再度の提案に考えを改めた。大規模なシステム開発だと様々なソフトハウスの技術者が1つの現場に集まる。その際、元請けは「仕事をさぼっている人間が把握できない」という悩みを抱えている。この悩みに役立つと考えたのだ。
業務の合間に開発を進め、2001年にパソコン操作監視ソフト「ALL Watcher」を発売する。予想は当たり、発売直後からメインフレーマやユーザー企業から問い合わせや要望が相次いだ。「これはいける」と樋山社長は手応えを感じた。ところが、問い合わせは多いがなかなか売れない。「労働組合があるから社員監視には使えない」。それが当時の風潮だった。
仕方なく、受託開発で利益を上げる日々が3年も続いた。だが2004年になってセキュリティ意識が高まると、風向きが一気に変わった。情報漏洩を抑止するソフトとして売り上げが初年度の100倍近くに急増したのである。今では売り上げの半分を、ニッチだったソフトが支えるまでに育っている。
社長自ら1000社の展示を探索
約20年にわたり下請けがメインだったシーピーアイ(CPI、東京都豊島区)もニッチ市場で成功した企業だ。それまでの試行錯誤の末、野尻社長は「その分野でナンバーワンのソフトを世界中から探し出して売る」ことが脱・下請けにつながるという結論に達したという。「単に受託で開発したソフトをパッケージ化して利益を得ようという考えは甘い」と語る。
野尻社長は、自らCOMDEXやCeBITなど世界中の展示会に顔を出し、小さい会社のニッチ商品を片っ端から見て回った。小さな会社を回ったのは、「販売だけでなく、アイデアを一緒に製品化する」「販売ノルマが課せられない」ためだ。相手先が1000社を優に超えたころ、ようやく見つけたのが台湾とイタリアのメーカーだった。早速、CPIは2002年にイタリアのソフトコピー防止装置「bite-board」、2003年に台湾のファイル暗号化ソフト「MyDearDrive」を国内で発売する。
このときは大成功とは行かなかった。だが、台湾メーカーとの出会いが後にCPIの運命を変える。暗号化ソフトとは別に3年かけて、操作監視ソフト「TotalSecurityFort(TSF)」を共同開発したからだ。TSFは今年4月、NTTデータが全社に導入して一気に約2万ライセンスが売れ、ヒット商品に化けた。ソフトを探し始めてから5年。「昨年はパッケージの売り上げは全体の5%以下だったが、今年度は50%になりそうだ」。野尻社長の期待はさらに膨らむ。
パッケージでも下請けの危機
倉庫管理という得意分野にこだわったのが、社員6人のインフュージョン(横浜市、角 三十五社長)である。今では同社の主力製品に成長した倉庫管理ソフト「在庫スイート2」だが、ここに至る道は平坦ではなかった。
当初は下請けで、ピッキングやラベル印刷に使う小さなソフトを開発していた。ただし物流関連に仕事を絞って、得意分野の確立にこだわった。設立した翌年の2002年に最初の転機が訪れる。「自社製品を持ちたい」という思いが強かった角社長は、受託で開発した販売管理システムをパッケージソフトに作り変えた。ところが、1本も売れないという大失敗に終わる。「得意分野ではない」「製品の質に問題ある」「販売チャネルがない」。失敗の原因は様々だった。
だが、角社長はあきらめなかった。半年後、反省点を生かし、得意分野の倉庫管理ソフトに狙いを定め、元請け企業がパートナーになるなど販売チャネルのメドもつけた。しかも今回は受託したソフトの焼き直しではない。受託の仕事をすべて断って新ソフトの開発に注力した。開発が大幅に遅れて経営が傾くというピンチも味わいながらも、2003年12月に「在庫スイート」を投入する。滑り出しは好調だった。案件の単価は上がり、2004年度には売上高の6割を占めるまでになった。
しかし、ここで新たな問題が発生した。パートナー1社への依存度が高まり、卸値が下落し始めたのだ。直接ユーザー企業の要望が聞けず、仕様もパートナーに依存してしまう。「結局、下請けと元請けの関係になった」(角社長)。新規のパートナーを増やそうにも、うまくいかない。インフュージョンはユーザー企業に販売した経験がないため、販売手法や商品のメリットを説明できなかった。
そこで角社長は、直販への転換を決意。自ら提案し、ユーザー企業の声を製品開発に生かすことにした。リスクを承知で、初心に戻ったのである。すると、知らなかった市場が見えてきた。従来は中堅・大手製造業がターゲットだったが、実は中小企業からの引き合いも多かった。しかし製品価格を中堅・大手企業向けに設定していたため、中小企業に売れなかった。そこで今年1月、価格を下げた機能限定版を開発した。
インフュージョンの場合、潜在顧客の発掘から受注獲得まですべてが、手探りである。それでも試行錯誤を重ね、ようやく直販による初の受注を得られる見通しだ。「早く勝利の方程式を確立したい」。角社長はさらなる意欲を示す。
今回は主にパッケージの開発や販売で成功した3社を紹介したが、各社に共通する最大のポイントがある。リスクを取ると決断したことだ。「下請けの方が安定して稼げる」「派遣だと確実にもうかるのはよく分かる」と各社とも口をそろえており、下請けは否定しない。しかし業界の将来に対する危機感や、創業時の思いが事業モデルの転換を決断させた。「自社のコアになる技術や能力を見極めて、冒険することで差異化につながる」とウイングの樋山社長。3社の今後に注目したい。
本記事は日経ソリューションビジネス2006年5月30日号に掲載した記事の一部です。図や表も一部割愛されていることをあらかじめご了承ください。
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