Archive for 10月, 2006
NHK子ども番組テーマ集
アマゾンさんをブラウズしていたら「あの日の教室 〜 さわやか3組 – NHK子ども番組テーマ集 -」 なる CD が発売されている事を知った。「のこいのこ全集」とかそのへんの流れ。
なにー、俺様を元 ETV ウォッチャーと知っての狼藉か!? ということで迷わず購入。
収録番組の年代は大体 1975〜1990年といった所かね。1980年代生まれでは多くを知らないだろうと思う。ボーナストラックの「ウルトラ・アイ」とか。
収録曲の中では「さわやか3組」と「ざわざわ森のがんこちゃん」が異様に新しい。実際今も放送されているのはこの 2タイトルだけだ。だから表題に「さわやか3組」と入っているものの、実際のターゲットは「みんななかよし」を見ていた世代だと思う。
まあ、がんこちゃんは巨匠谷啓の歌を収録するという目的で意義は大きいのだが。
教育テレビ番組話については Wikipediaの記事を傍らにでも置きながらどうぞ。もっともこの Wikipedia の記事は今を基準にしてあって過去の物は 1990年あたりぐらいまでの間しか記載されていないけれども。
収録曲はがんばって集めているけれども、なんでこれが無いの?というのがたまにある。
声優の長島雄一さんが主役のチョーさんを演じ 8年間続いた社会科番組「たんけんぼくのまち」、これのチョーさんバージョンが入っているのは凄く嬉しい。そのエンターテイメント社会科番組を引き継いだ「このまちだいすき」は収録されてはいない(新しいからな)。まあ、「山本正之 ザ・シリーズベスト」の CD におまけで収録されているけれども。
ワンツー・どんやふえはうたうは長らく同じタイトルで放送してきたので、どの年代のバージョンなの?という問題もある。
「大きくなる子」は後期のバージョンも入っていて欲しかった。(きのうのズボンはもうはけない♪ってヤツね)
曲単体で改めて聞いてみると「できるかな」の OP は実にかっこよくてセンセーショナルな楽曲だったのだな。これを聞くだけでわくわくしてくるものな。
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スローアーティクルの愉しみ
Blog の例を出すまでもなく、WEB ページでビューを稼ぐことができるのは更新頻度が適度に高い所であるという通例がある。
そういった頻繁に更新されるサイトの最新情報を効率よく収集して読むために私たちは RSS を利用したり、巡回ルートを設定したりしている。
そこには「情報=鮮度」という価値観が全てであり、期を逃した情報はほとんどビューを得ることができない。
blog や SNS といったコミュニケーション前提であるとまたちょっと違うのだが、コミュニケーションを取るための記事とコメントである場合、その情報鮮度はやっぱり短い。例えば「今日はラーメンを食いました」という記事とそこに対してのコメントなんて、情報lifetime としては半日も無いだろうて。
しかし、WEB という情報データベースにおいて最新情報だけが全てではない。
何かを調べたくて検索エンジンを使うのは常だが、そうしてたどり着いた情報は新鮮な物であるとは限らない。不意に調べる必要に迫られた情報なんてのは、検索する人の都合だから何時になるかなんてわからないものなのだ。
情報鮮度にばかりこだわるのではなく、そういったいつか必要とする誰かのために情報を置いておくというのもまた WEB の楽しみなのである。
特にページビューを稼ぐことはないけれども、そのうち誰かが見るだろう。その芽が出るのが数ヶ月後か数年後か。そんな、確実性のないことのために、こっそりと仕込んでおく。これこそ、しぶい大人の楽しみ方ではないだろうか。
それをもってスローアーティクルと呼んでみたい。
あくせくしない私のこだわり記事。
そういった未来の誰かに向けた記事はどうやったら書けるのだろうか。
もちろん確実な方法など存在はしないが、私が気をつけているのは 1年後もしくは 3年後に自分で読み返すことができる文にすること。
良い Blog を書くコツみたいなハウツーが最近流行っているけれども、多分それにも通用するのではないかと思う。
情報に囚われてばかりで、知識の共有をおざなりにしてはいませんか?
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チェルシーさんは7の魔神をブッ殺さねばならない。
紫雨飯店ブランドの夏コミ最新同人ゲーム「チェルシーさんは7の魔神をブッ殺さねばならない。」。
そいや店頭委託はじまっていたんだっけー、と入手。
ここのゲームも出来がよいのでついつい買ってしまう。けどこういうとなんだけれども、めちゃくちゃ好きというわけでもなかったり。難易度がファミコン時代のゲームのように高いのは別によいのだけれども、同人だし。けどなんか難しさがちと美しくないというか、ある程度のところでこりゃもうだめだーと諦めてしまうのよねん。惜しいもうちょっととか、なんか出来そうな気がする、と思わせる優しさがちょい薄い。
ま、それはともかく表題のゲーム。
メイドは悪魔城ドラキュラだったけれども、これは本当にメトロイドなんだなー。どっちかというとメトロイドっぽくなったドラキュラ(月下の夜想曲系)というか。アイテムで行動範囲が広がったり強くなったりするところはメタファイトみたいだと思ったけれども、ボス線はロックマンテイスト。まあ、そんな感じのタイトルを聞いて胸の奥がキュンとなる御仁なら遊んでみても良いかもと。
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スペック至上主義という罠
「なぜ、日本人はUIにお金を払わないの?」という記事を読んだ。
結論として MacOSX や XMB といった具体例に持って行ってるのはまあともかくとして、大筋は分からなくもない。
評価されても良いものが意外なほどスルーされていたりするんだよね。
仕事で色々と商品と呼ばれるものに関わった経験から私が感じたのは、UI や使い勝手といった部分に興味がないというよりは「スペック主義」なんではないかと言うこと。
UI が使いやすいとかわかりやすいというのは「製品仕様」というスペック表に記載されない(できない)。だから、こだわってないのではないかと思う。
逆にスペック表で数字として表れる部分についてはもの凄い競争心を見せるし、数字を少しでも上げるために多くの犠牲を払う。
大抵は「新機能」の話から始まるし、版を重ねる毎に機能を追加して行かなければいけないし。どう見ても全部取っ払ってシンプルにした方が良い場面でも「機能が減ることはデグレードだ」と恐れ接ぎ木を続けている。
そういったスペック至上主義の目でみると、たぶん、全体的にソフトウェアは些末なものに見えるのだと思う。
そんな日本のソフトウェア産業は強くなれるものなのだろうか。
ゲームについてはようやくスペック至上主義から離れつつある様な感じ?
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えちごや
昨晩眠りにつこうとしたら、ふいに「お姉さまとえちごそうどう」というワードがポップアップし頭から離れなくて困る。元ネタはストロベリーパニック。
とするとなにか、全寮制の「えちご舎」に住まう住人の物語か。(山吹色の)菓子を持ち寄って秘密のティーパーティーとか。静馬さまは「おだいかんさま」と呼ばれて敬愛されているのだな(「さま」しかあっとらん)。
しかし、ストロベリーパニックのアニメは百合キスと朝ちゅん満載のすさまじい物だったが観ている方が麻痺してしまって何とも感じないというあたりが問題かもしれず。
アニメとしては割と面白かったけれども、キャラクタービジネスとしては失敗な感じのそんな危うさ。
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Firefox2.0 リリース
モノを作るということを知ること
textfile.org 経由で「コンピュータ学習におけるT型フォード」という話題。
もちろん引用元であるアラン・ケイのインタビュー記事は既読済み。
まあ、その文章を読んで感銘を受けたとか、激しく賛同したということもなく。というのも、私自身のお題目も「造り方をできるだけ開示する」というところにあり、拙いながらも実践しているつもりだからですな(おこがましくも)。必ずソースコードを付けてみたり、作成手順を残してみたり。
コメを噛めにしても、完全ブラックボックスとなっているハードウェアを少しでも取っつきやすくしようというところがあるわけだし。
やっぱり私も家にあるものを片っ端から分解してまわる子供だったのですよ。それでしかられた記憶が数知れず。
だから、科学や技術に触れることが難しい昨今を密かに憂いていたわけで。
とはいえ、私は「丁寧に教える」事が苦手なので、ある程度の知識があるところからスタートしていたり、細かいところは自分で調べろとなっていたりするあたりが問題ではある。せめて、楽しそうにモノを作っている姿だけでも見せることができないものかと思っている次第。
それよりも、私なんぞよりもっとわかりやすく色んな凄いモノを作ったり説明したりしている人がわんさといるわけで。WEB上をちょっと調べるだけでもそういった人に出会える良い時代になった。
だから今必要なのは「自分で探そうとする」態度を身につけていく事なんだろうと思う。
私がアラン・ケイのインタビューを読んだ中でもの凄く印象に残ったのは、「口述に基づく旧来の文化と、記述方法を備えた文化」のくだり。
文化的に成長するには「自分の力で文章を書く」ことが重要で、「音声通話」や「既存文章の引用(コピペ)」では退行するだけだとかいうお話。「実際に話さないと分からないから」という言葉にわだかまりを持っていたのだけれども、それを明示されたので。
関連で文書を作ることができない症候群も、最近では非常に考えさせられたトピック。
日本の教育制度のおかげでほとんどの人が文を読み、書くことができている。しかし、文章を書くというのは実はピアノを弾くような物で、叩いて音を出すことは誰にでもできるが綺麗な旋律を奏でるためには能力が必要なのだと考える様になった。
どんなに駄文、駄工作、駄プログラムであっても数をこなせばそこそこ見れるものが作れるようになっていくはず。もし天才でない場合、地道に数をこなしていくしか無いんだろうな。
と、今日も駄文をしたためる。
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PSP 自作ゲーム三部作
PSP自作アプリのページにて、先日のブロック崩しに続いて「最萌支援奏」の移植版を公開。
元が Windows用に作成したものだったので移植といっても単純ではないはずなのだけれども、思っていたよりもあっさりと動き始めたのですよ。システムの抽象化じゅーよー。
最萌支援奏も PSP版では TCGS ナンバーにしてみた。
TCGS は PSP 自作アプリでのシリーズだけれども、これはスタート当初から三部作を予定していた。TCGS-CAR, TCGS-BLOCK そして TCGS-INVADER である。
短時間で作れる(作り手として楽しい)ショボゲーというのが身上なれど、それ以上に「スクロールカーレース」「ブロック崩し」「侵略者シューティング」という日本におけるビデオゲームの歴史を追いかけるというテーマがあったのです。
取り敢えず予定している 3本は作れたのでひとまず完。
歴史を追いかけるというならば次に来るのはおそらく「ヘッドオン」(ドットイートタイプ)なんだけれども、なんかイマイチ思い入れが無いので踏み込めない次第。
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たまにはファンメールを貰うことだって……ある
WEB の片隅で誰に相手されるでもなくひっそりと文章やプログラムを書き散らかしている私ですが、そんな私の作品に対してもごくごくたまーに反応してくれる人がいたりするのです。
今年の頭に英語圏からのファンメールをよこしてくれた人(アメリカの人らしい)は、私の作成した PSP プログラムがいたくお気に入りでしばらく文通状態になっていた。まあ、こっちの英文は怪しいものなのだけれども、気さくに対応してくれているのがありがたい。
そんな風にメールを貰えると言うことに対し、こちらとしても嬉しくて制作中のブロック崩しゲームのテストプレイをしてもらっていたりしたのですよ。
そのブロック崩しも春先にはほとんどできていたのだけれども、ちょっとつっかかったのとなんとなくダウナー気味で進捗できないうちに半年を迎えてしまう。リリースくらいはしないとなーと思いつつずるずると。
そんなとき、アメリカの彼からメールが届く。
「しばらくメールしていませんでしたが、お元気ですか?」
単にそれだけのメールだったんだけれども、とても励みになるのです。
というか、テストプレイまでしてもらったのにリリースできていなくて申し訳ない。
そんなわけであとちょっとの所をえやーと纏めてリリース。
今回は東方プロジェクトの二次創作(ファンアプリ)としてみたんだけれども、それ故に絵と音に対してある程度のクオリティがないといけないように感じてしまい、自分で枷を作ってしまいどうにも進まなかったという次第。
完全オリジナルだと多少へっぽこでもえいやって出せてしまうのだけれども。
二次創作だから楽しいか、という部分が自分にとって曖昧になってきているなあ。
ま、それはともかくとしてファンメールのお話。
higaさんとこ経由で『アメリカ人にとっての「大食い選手権」』という記事をみた。
この中の『「自分に手の届きそうな競技でがんばる人々」を観るのも好き』というくだりが印象的。
オープンソースソフトウェアやフリーウェアの世界で同等の事が当てはまるのだろうか。あてはまっている気もしなくはない。
もっと気さくにホビーレベルで隣人を褒め称えるべきなのだろうなあ。
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