最大の敵は「不寛容の精神」
『La Vie』 のJean-Pierre Denis のEditorial を読んでびっくりした。
リビアのカダフィ大統領が公式訪問先のローマで、ホステス派遣のエージェントに頼んでイタリア人の美女を何百人も招いて、イスラム教に改宗するように勧めたのだそうだ。 今のヨーロッパでは、100年前と違って宗教的にも民族的にも多様性が定着してそれは動かない事実なのだから、ライシテの概念も信教の自由の概念も、それに応じてアレンジするべきなのは当然であるが、現状はまったく、悪い方に向って硬化しつつある。 『2012』の監督も、バチカンやリオの巨大キリスト像やチベットの僧房が崩壊するところは映像にできたが、メッカのカーバ神殿の崩壊の映像化ははばかられた、とはっきり言っている。 たとえば、ブッシュがいくら神懸りでも、リビアに出向いてイスラムの美女を集めてキリスト教に改宗しろと勧めるなんてあり得ない。 前にも書いたが、構造主義人類学が利用されて、一種の欧米自虐観が定着し、そこに南北の経済格差と宗教地図が重ねられたりといういろいろな操作があり、罪悪感と拝金主義がないまぜになってしまった今のヨーロッパに、信教の自由に関する「非シンメトリー」が生まれた。過去の怪物であったローマ教皇だのキリストだのを思い出したように叩いて見ても、見かけの批判精神の底には、この非シンメトリーに対する怖れや不全感があり、だからこそ、それが突然、スイスの「直接民主主義」によるイスラムの自由への介入(ミナレ建設の禁止)などという現象に噴き出したりする。 他のヨーロッパ諸国がいっせいにこれを批判して、基本的人権としての信教の自由を掲げるのは当然だし、まあいい。 しかし、彼らは、カダフィーの行動はもちろん、たとえばサウジアラビアでキリスト教が教会の建設はもちろん、いっさい宗教行為を禁止されていることについては決して異を唱えない。私はサウジ人の大学教授で無神論者を知っているが、彼はそれを決して書いたり口にしたりできない。イスラムであることとサウジ人であることは同義だから、イスラムを公に捨てるには、国籍も捨てて亡命する他に道はないのである。 ライシテや政教分離、信教の自由の元にある精神に忠実であれば、信教の自由や表現の自由はメッカでもスイスでも擁護されるべきなのだ。それはほとんど口にされない。 本当の敵は、イスラムではもちろんない。 最大の敵は、「不寛容の精神」なのだ。スイスの民主主義は「不寛容」というウィルスに感染した。宗教原理主義、カルト、独裁政治、全体主義はもちろんこのウィルスの巣窟だし、ナショナリズムやエコロジーから嫌煙運動まで、このウィルスに感染すると、人間性を損なわれていく。人間に固有な「自由」という輝きは失われる。 私はヨーロッパのライシテは、キリスト教については100年かけていい温度になったと思う。 行き過ぎて、宗教についての立ち居地を失った感じでもある。 過去の無神論者や反教権主義者は、守るべき場所を持っていた。 今は、それがない。 スイスのプロテスタントのうち、日曜に教会に通う人の率は何と5%ほどだそうだ。彼らには、自国のイスラム人口の宗教行為の必要性など分からなくなっているのだろう。 不寛容の精神、繰り返すが、これは宗教だけではなく、すべての人を蝕む。 ヨーロッパの歴史的文化的構築物としてのキリスト教もまた、不寛容の精神に何度も襲われた。 民主主義でさえ、自由主義でさえ、この精神に襲われるのである。 本来ならば、真の宗教者は常にこのウィルスと戦わなくてはならない。 民主主義や平和な世界を望む、すべての人が。 このウィルスが自由を奪い、人間性を奪う 自由も人間性も、他者と連動してこそ意味を持つのだ。 不寛容はそれだけで、緩慢な自殺である。
by mariastella
| 2009-12-04 21:52
| 宗教
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