偶然このような記事をネットで読んだ。
ちょっとした衝撃だった。
考えることを放棄していたものを思い出し、罪悪感にとらわれたからでもある。シリアの難民よりもウクライナの難民の方が受け入れやすい、などと馬鹿な本音をもらしたのも思い出した。
そして、中東の問題が何も解決していないまま、G7がかざす正義や世界秩序が欺瞞でぼろぼろになっていることがわかる。
メディアやプロパガンダによって視線をたえず誘導されていることがよく分かる。
もし私が若者だったら、SNSなどから目をそらして、文学や哲学の古典を読み返し、10年か20年後に今の世界情勢の検証をきっちりすることで、「誤り」のメカニズムを学び、次の10年のために何ができるか検討するだろう。
でも、今の私には10年後や20 年後の検証は無理だから、10年前や20年前、いや、「半世紀前」のことだって「何を信じさせられていたか」を検証することができる。
シリア、ロシア、イラン、イラクの問題は、フランスで暮らしているという立ち位置と、サウジアラビアという補助線によって、以前は考察してきた。中国やアメリカとの関係も、日本とフランスでは焦点、力点が異なる。
今回のロシアによるウクライナ侵攻によって、突然ウクライナという新しい補助線が引かれた。少なくとも、第一次湾岸戦争からの自分自身の考え方をきっちり検証する時期が来たようだ。
幸い、事実関係や情勢の変化によっては一度も揺らがなかったどころかますます本質的だと思えてきた価値観があるのでそれに依拠しようと思う。
このブログという覚書は、自分の過去の考えの振り返りにとても有効で、私にとってありがたいものになっている。
(今回「アサド」でブログを検索した時に出てきた記事の一つ)