Hadewijch de Bruno Dumont
ブリュノ・デュモンの『ヘドウィッジ』
ヘドウィッジはフランス語ではアドウィッジに近いが、13世紀のライン=ベギン会神秘主義の系譜の有名な修道女で、ブラバント(フランドル地域)のハデウェイヒという神秘家として、幻視について書いた記録を残している。ビンゲンのヒルデガルトなんかもそうだが、ハデウェイヒもなかなか濃縮で、豊かなイマジネールを展開し、ヒステリーの事例にされたり、エクスタシーを伴う性的ミスティシズムの事例にされたり、宇宙人との遭遇の事例にされたり、キリストへの愛は情熱的であるが、どこかパセティックでもある。 この映画では、Julie Sokolowski の演じるパリの外交官の娘セリーヌが、神秘熱に駆られて、このハデウェイヒを修道名にして修道女となるべく志願者となる。しかし、多くの神秘家のように、食を断ったり、過激な苦行を自分に課したりするので、修道院から、それは自己愛の一種である、と批判されて、規則を守って共同生活ができないならもとの生活に戻った方がいいと言われて追い出される。 元の生活とは、サンルイ島の大邸宅で、神学の勉強をし、権力と見栄しか頭にないような父親と、娘に無関心で鬱症状に逃げる母親との愛のない生活である。 こういう、金や名誉はありそうだが愛のない家庭から、愛に飢えて宗教に倒錯的な愛の対象を見出す娘が出るという図式は何だか安易で嫌だが、このジュリー・ソコロスキーがあまりにもうまいので、存在感がある。 ちょっとぽっちゃりしていて、可愛いのだが、化粧気がなくいかにも修道女志願という無頓着さで、そのくせ、体の線がはっきり出る大胆なデコルテにミニスカートというような、そこらへんの娘と変わらぬ格好をする。その辺のアンバランスも、いかにも、大人になるのを恐れる娘の抑圧された欲望が狂信に向わせるという感じなのだが、丁寧に繊細に描かれているので、成功している。ブルジョワの屋敷も、郊外のアラブ系移民の青年と出会うところも、すべてちょっとシュールでもある。カメラのフレームや動きや色彩がすばらしいので、どのシーンもすべて味わい深く美しい。 ボーイフレンドの兄さんがイスラムのイマムで、コーランの勉強会に誘われる。シテの中には広いモスクがある。モスクといえば、この週末、スイスで、モスクのミナレ(尖塔)の建設禁止を憲法に書き込むことが国民投票で決定したことが、ヨーロッパの恥、と言われてスキャンダルになっている。 ルソーの出身地だからなあ。性善説を信じて直接民主主義をやってると、こういうことが起こる。人間はひとりひとり、愚かにもなるし、恐怖や憎悪にとらわれることもあるし、プロパガンダに洗脳されることもあるし、同じ人でも、愛憎や嫉妬や寛容が共存していてめまぐるしく入れ替わることもある。白人の人種差別者たちが黒人をリンチするのも彼らなりの「直接民主制」の多数決だろうし。 まあ、フランスでも、モスクはOKだが巨大なミナレはだめというケースもあった。 それ自体は、それこそケース・バイ・ケースだろう。観光が売り物の歴史都市に景観を損ねるような建物は建ててもらうと困るので条例を作って規制するとか、ヴェルサイユでは城より高い建物が建てられない、とか、建物というのは、私有地に建てても、外から見える環境の一部だから、何でも好き勝手は困る、住民の意見も尊重すべきであるというのは分るし。だからといって、特定の宗教の建物の一律禁止を憲法に入れるというのは明らかに変だ。フランスが、学校のイスラムスカーフを禁止するために、十字架もターバンも特定宗教の目立つシンボルはすべて禁止、として、まとめてライシテを守ったように、本当は「ミナレ」が嫌だとしても、そこは一般化して、何メートル以上の宗教建築の建設はすべて禁止、とかいわなきゃまずいよなあ。スイス銀行の地下金庫にはアラブの富豪の大金もさぞ眠っているだろうに。 で、セリーヌの話に戻ろう。この勉強会は、目に見えぬものを信じるのが信仰だという話である。「神はその不在のうちに現存する」という。こういう時、語られるのは、神の「非存在」ではなく、「不在」である。聖女たちが「信仰の夜」を語り、神を見失った、という時も、神は存在しないというわけではない。 まあ、存在していても、自分の前に開示されなければ、関係性がなければ、いないのと同じなのだが。 イマームは、セリーヌがキリストを愛しているし、愛されているというと、「もし神を愛しているなら神はそこにいるんだ、関係性の中で現れるんだ」と述べる。 メッカに向って額を床につけて祈る兄弟のそばで跪き、両手を合わせて祈るセリーヌ。キリスト教が両手を合わせて祈るようになったのは仏教と接触して影響を受けたからだというのをどこかで読んだ。そのせいもあって、土下座するより手を合わせて拝む方がなじみがあるなあ。 その後、セリーヌは、神を信じるなら行動を起こさなくてはだめだ、と煽られて、テロリストのグループに利用され、シャンゼリゼで大爆発を起こす。こういうシーンですら審美的でシュールなのだが。神秘家がいかにしてテロリストになったのかという疑問は、この手の娘ならあり得るよなあという納得に変わる。 その後で修道院に戻るのだが、警察がやってきて・・・ 宗教の映画でも、神秘家の話でもなく、人が愛したり愛されたりすることが、本当はいかに難しいことなのかという話なんだろう。
by mariastella
| 2009-12-01 09:35
| 映画
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