『物語の外の虚構へ』への反応

2021年12月に出した『物語の外の虚構へ』ですが、最近、これに対する反応をいくつかいただいているので、ちょっと紹介させてもらおうと思います。


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その前にまず、本書についてのおさらいとして、リリース時の記事を挙げておきます。


さて、本を出してから1年以上経過した後になってからも色々反応が出てきたことに驚きつつ、喜んでいます。
こういうのは大体、直後に一番反応が多くてどんどん減っていくものだと思うのですが、わりと経ってから、わりと大きめのリアクションをいただいて、これは結構しっかり読んでもらえているぞと感じられるようになりました。
特に以下で紹介するのは、僕の議論を踏まえて応用したりなんだりといったことをしてもらっている例で、自分の発表したものが他の人にも使ってもらえるのだというのが非常に嬉しいです。書いた目的の一つでもあったので。

倉根啓「ゲームプレイはいかにして物語になるのか」 - logical cypher scape2

これは、つい最近ブログで書きましたが、論文の中で「分離された虚構世界」を参照してもらったものです。

センケイ「場所と共進化するグループ、Aqours

これは、センケイさんが主催するヴァーチャル神保町勉強会が発行した、真剣な遊びをめぐる文集「ジリィスタイル」第2号に収録されている論文です。
同誌は、5月21日に開催された文学フリマ東京36にて頒布されたようです。


センケイさんから抜き刷りのpdfをご恵投いただきました。
こちらは、タイトルからも分かるとおり『ラブライブ!サンシャイン』の聖地巡礼について論じられたもので、僕のガルラジ論を参照してもらっています。
僕のガルラジ論は、フィクション論から聖地巡礼にアプローチする、という聖地巡礼論としてはイレギュラーな奴だと思いますが、センケイさんの論は、現地のアクター(お店とか商工会議所とか企業とか)との相互作用を論じていて、おそらく結構王道な議論なのではないかと思います。
その中で、作品に描かれていない場所も聖地巡礼の対象となりうるという僕のガルラジ論に触れて、沼津のどこにでもAqoursのメンバーがいるという想像がなされる、ということにつなげてもらっています。
個人的にセンケイさんの議論の中で、「ライブ時間軸」という概念が興味深いものでした。ライブにおいて、キャストを通してキャラクターを垣間見るというのはこの手のコンテンツの醍醐味だと思いますが、僕自身はこれを、個々のライブごとの「点」で捉えていたので、それを時間軸という「線」でも捉えられるんだと示してもらえて、ハッとさせられました。

シノハラユウキ『物語の外の虚構へ』 - Jablogy

じゃぶらふきゅーさんから、かなりしっかりした書評記事を書いていただきました。
既存理論の更新や、論集全体の構成などについて、こちらの意図をかなり読み取ってくれた上で、じゃぶさんの専門である音楽について、応用できる可能性を示してもらえて、これまた大変嬉しい内容でした。
「轟音が誘う異世界への扉――Go-qualia試論」については、発表当時、なんでフィクション論で扱うのかが分からないということを別の人から言われたことがあったんですが、なんとか位置づけ直すことができたのかなあと。
最後、注釈で触れられていたreflexiveの訳語問題について若干コメントしておきますと、確かに「再帰的」と訳すこともできますし、そっちの方が伝わりやすいかもしれないというのもその通りかと思います。
論理学・数学ではreflexiveは反射と訳されていて、分析哲学もこれに倣うことがままあり*1、実際、ウォルトン本の田村訳では「反射」が使われています。それを踏襲した感じです。
僕はブログだと、訳語をどうするか面倒でrefleiveのまま書きがちだったりします。
(似たような単語にrepresentationがありますが、これは概ね表象に統一されてきた気がします*2

「分離された虚構世界」ハッシュタグ

これは最近ではなく、結構前からなのですが、trickenさんがtwitterで「分離された虚構世界」の発見報告をしてくれているものです。
trickenさんは宣伝用スペースでも、色々例を挙げてくれてありがたかったですが、それをその後も継続していただいていて嬉しい限りです。これのおかげで、ぼざろを見れた。
以下、いくつかを抜粋します。


なお、ハッシュタグつけずに単に「分離された虚構世界」でTLを検索すると、これ以外にも分離された虚構世界の例を挙げてくれているツイートが出てきます。

sakstyle.booth.pm
Amazonではペーパーバック版とkindle版を、BOOTHではpdf版を販売しています。
それぞれ一長一短がありますので、それを踏まえた上で、お好きな形式でお手にとっていただければ幸いです。
  • ペーパーバック版について(Amazon)

紙で読むのが一番読みやすいという人には、やはり紙版をお勧めします。
AmazonKindle Direct Publishingというサービスを利用したオンデマンド印刷になります。
印刷費用が発生するので、3つの形式のうち、もっとも価格が高いです。
ほぼ新書と同じサイズで本棚などに収めやすいと思いますが、使用している紙が厚めなのでページ数に対してかなり分厚い仕上がりです。

一番手に取りやすい形式ではあるかと思います。
ただ、エゴサをしていて、レイアウトの崩れなどがあるというツイートを見かけています。
これ、発行者がちゃんとメンテナンスしろやって話ではあるのですが、自分の端末では確認できていないのと、現在これを修正するための作業環境を失ってしまったという理由で、未対応です。
ですので、本来、kindle版があってアクセスしやすい、っていう状況を作りたかったのですが、閲覧環境によっては読みにくくなっているかもしれないです。申し訳ないです。

  • pdf版について(BOOTH)

ペーパーバック版と同じレイアウトのpdfです。
固定レイアウトなので電子書籍のメリットのいくつかが失われますが、kindle版のようなレイアウト崩れのリスクはないです。
また、価格はkindle版と同じです。
BOOTHからご購入されている方は少ない印象ですが、pdfで読むことに問題がなければ、こちらもよいかもしれません。

*1:ただ、論理学・数学では訳語統一されている気がしますが、分析哲学でどれだけ訳語が統一されているかは謎です

*2:「再現」という訳語も美学ではわりと使われていたが、最近はわりと「表象」を使うようになっている気がする。ところで田村均はウォルトンを訳すにあたり「表象体」という独自の訳語を使っているが、これはそもそもウォルトンのrepresentationの使い方がちょっと独特じゃねーの、というところからきているっぽい