スティーブン・ミルハウザー『十三の物語』

タイトル通り、13篇の作品を集めた短編集
「オープニング漫画」「消滅芸」「ありえない建築」「異端の歴史」の4つのテーマに分かれている。
「ありえない建築」とか「異端の歴史」とかに入っている作品は、わりとSFっぽい作品。サイエンス寄りのSFではなくて、奇想よりのSF
ただ、そう考えたときに、アイデア面ではどっかで見たような作品だなあ、という感じもしてしまう。見たことあるようなアイデアであっても、ミルハウザー柴田元幸の文章で書かれることによって産まれる面白さ・魅力は十二分にある。のだが、テーマとかがそこまで面白くないかも、と思ってしまう作品もあった。


現実的にありうるところから、次第次第に奇妙な状況へといつの間にか連れていかれるあたりが、やはり面白い


「猫と鼠」「屋根裏部屋」「危険な笑い」「映画の先駆者」「ウェストオレンジの魔術師」がよかった。

●オープニング漫画
猫と鼠

●消滅芸
イレーン・コールマンの失踪
屋根裏部屋
危険な笑い
ある症状の履歴

●ありえない建築
ザ・ドーム
ハラド四世の治世に
もうひとつの町

●異端の歴史
ここ歴史協会で
流行の変化
映画の先駆者
ウェストオレンジの魔術師

猫と鼠

トムとジェリー』をそのまま小説化したような作品
トムとジェリー』を一度でも見たことがあれば、文章を読むと、自然と映像が思い浮かぶようになっている。
ほんとにアレがそのまま文章になっている、という作品なのだが、元の作品にない要素として、鼠も猫も内省的なところがあって、彼らが何考えているかについて書かれているパートがある。

イレーン・コールマンの失踪

イレーン・コールマンという若い女性が、一人暮らしの下宿に帰った夜に、突然行方不明となる。
語り手の「わたし」は、高校時代にイレーンのクラスメイトだったはずだが、彼女のことを思い出せない。
頑張っていくつかの思い出を思い出すが、かなり曖昧なイメージで、また他のクラスメイトとかにも聞いても、はっきりした記憶が出てこない。
当時、彼女の部屋は密室で、誘拐されたのか自発的にいなくなったのかもはっきりしない。


これ、みんなが忘れ去っていくことで、彼女自身が物理的に消え去ってしまったのだ、みたいな結論に語り手が至って終わるんだけど、なんか物足りなさはあった。

屋根裏部屋

高校時代の友人の妹の話
舞台はたぶん、戦後アメリカのどこかなんだけど、読んでいて何故か自分の10代の時のことを思い出していた。
こんな友達だったわけでも、こんな出来事があったわけでもないんだけど、無造作に本の置かれて自室でベッドに適当に寝そべりながら友人と話しているという光景の、なんとも言えない10代感が……。


友人の家の屋根裏部屋に暮らす妹。完全な暗闇の中で生活している。
友人に妹に引き会わされた最初は、何かの悪ふざけかと思ったが、次第に、暗闇の中での彼女との交流にはまっていく
最終的に、妹はこの暗闇の生活から出ることを決意するのだけど、主人公は最後まで彼女を見ることはない、というのがとても収まりのよい終わり方なんだけど
この作品の魅力は、とかく高校生の夏の雰囲気がよく出てるところだと思う

危険な笑い

僕たちの間で、笑いに関するブームが起きる。
「笑いパーティ」といって、誰よりも長く激しく笑い続けていられるか、という遊び
さらに「笑いクラブ」と称して、一人を他の2人が押さえつけて、くすぐりつづける、というもの
で、とあるおとなしめの目立たない女の子が、それですごい才能を発揮してしまって一躍注目を集めるようになってしまうのだが、異様な域へと達してしまう。
ブームが「笑い」から「泣き」へと変わっていく一方で、彼女は、その異様な笑いをさらに推し進めてしまう。
ちょっとずつ、現実にありそうなところから異様なものに移っていって、最後、破局を迎える、というミルハウザー作品に見られるパターンの1つだと思うけど、ちょっと奇妙な感じと、やはり思春期の少年少女のクローズドな感じとかがマッチしている気がする

ある症状の履歴

言葉に恐ろしさを感じて、言葉を使えなくなってしまうようになる男の話

ザ・ドーム

ある時、ドームという商品がはやりはじめる。家一軒を覆う透明のドームで、夏でも涼しく冬暖かくなって、庭とかを楽しめるというもの
これはわりとSF風味な作品で、これが次第に、街1つを覆うようなドームが出てきて、ゲーテッドコミュニティ的なものを形成しはじめる話になって、最終的にはアメリカ全土を覆う巨大ドームがあらわれて、自然なるものを一掃したぞみたいな
最終的には、地球を覆うドームを作る計画もあるぞという

ハラド四世の治世に

ハラド四世の治世に、すごい細工師がいて、ミニチュアの玩具とかを作って王様にもてはやされていたのだけど、もっと小さいものを作りたいという思いに突き動かされて、どんどん小さいものを作るようになって、目に見えないものを作るようになる。弟子からも誰からも理解されないようになってしまう

もうひとつの町

アメリカのとある町には、北側に全く同じもうひとつの町がある。
19世紀頃にはすでにあったとされているが、どのような経緯で誕生したのかはよく分かっていない。
全く同じ町並で、家の中にある家具なども同じ、郵便物やらなんやらの細かいものや、植物なども同じように生えている。
が、住人はいない。
このもう一つの町は、元の町の住人たちが、自分たちの住んでる町とそっくりの町を見にくるために存在している。
複製を仕事にしている人たちが常駐していて、元の町を見て回っている観察官からの情報をもとにどんどんアップデートしていく。昔は、そこまで詳細に複製していなかったのだが、最近では、木々の葉っぱの生え方とかも真似ているし、郵便物が投函されるとできるだけ速くそれも反映されるようになっている。
税金を投入して維持されており、もちろん、反対もあるのだが、ずっと維持されている。

バベルの塔的な話
天上に届くような高い塔を何世代にもわたって建築し、塔の中に永住するような人たちもいる
一人の人生では、下から上まで登り切ることができないくらい高い。で、何世代かにわたって上ろうとしている家族もいる。
途中で、登るのを諦めて、永住したり、降りたりする人たちももちろんいる。永住していたのが、訪れる人たちに触れて、登り始めたり、降り始めたりする人たちもいる。
ついに天上に到達しているのだけど、天上の世界は、ただ白い光に満ちているだけで特に生活できるような場所でもない

ここ歴史協会で

地域の歴史や遺物を全て記録・保存・整理している歴史協会
できるだけ詳細な記録を、と活動していた彼らは、現在が「新過去」だという考えにいたり、今現在の町の詳細を記録・保存し始める。
当然、町の人々はそれが理解できず批判があがるけれど、これこそ真の歴史の記録なんだと主張する歴史協会

流行の変化

新しいファッションとして、肌を露出しない、体型を隠す方向へ向かっていったという話
これはさほど面白くなかった

映画の先駆者

これ、タイトルからしてそうなんだけど、ミルハウザー感がすごくある話で面白かった
19世紀、映画が生まれる直前の時代、映画の先祖、あるいはそれに類するような見世物、装置が色々とあったわけだけれど、そうした一連の試みの中でも異端ともいえる、画家ハーラン・クレーン(1844-88?)の半生が、ノンフィクション伝記風の文章で語られていく。
クレーンは当初、迫真派と呼ばれるグループに属していた。迫真派というのは、絵の細部まで写実的に描こうとする一派で、それが極まって拡大鏡を使って絵を鑑賞させていたというグループなのだが、しかし、クレーンはその中でも少し違っていて、初めての展覧会の時に、描いているはずの蠅が動いたとか、海辺の風景画の波が動いたとか、そういった目撃談が残されている。どのようなトリックが使われたのか、と当時様々な仮説があげられたが、どれも現象をうまく説明できていない
その後、迫真派から侵犯派と呼ばれるグループへと移る。彼らは、額縁に本物の葡萄の蔦とかを這わせて、絵画と現実とを結びつけたグループなのだが、やはりここの展覧会でも、クレーンは、絵の中のものが動いている作品を発表する。
で、侵犯派にもいられなくなって、その後、クレーンは、ショー形式で自分の作品を発表するようになる。
観客をシアターに集めて、ステージ上で絵を披露する。ワルツを踊る人々が絵から抜け出してきてステージ上を踊るところを観客たちは目撃する。その後、観客はステージ上に上がって絵を近くで見ることができるが、その際は普通の絵に見える、みたいな
さらに、何かが自分の横を通り過ぎたような感覚になる、ような絵などもクレーンは発表する。
これを何回か繰り返すのだけど、何作目かの時、会場がパニックに陥る事件が起きる。何が起きたのかはっきりとはよく分かってない。
クレーンは表舞台に出れなくなるのだけど、その後の彼の様子というのも、迫真派の頃から彼の友人であった画家の証言などが残っている、と。
で、最後、VRとか4DXとかいった言葉自体は作中には出てこないけど、そういった映画の先駆者としてクレーンを位置付けられるのではないか的なことを、語り手が云々して終わっている

ウェストオレンジの魔術師

読んでいる最中は気付かなかったのだけど、作中に出てくる「魔術師」というのは、エジソンないしエジソンをモチーフにした人物らしい
魔術師がいて、彼に従う実験技師が何人もいるような施設。
で、その施設にある図書館の司書みたいな人が語り手で、彼の日記形式で書かれている作品
聴覚のフォノグラフ(蓄音機)、視覚のキネトスコープに対して、触覚のハプトグラフという機械が、密かに作られている。
主人公はこれに興味をもち、そしてこれの開発を任されている技師の実験に付き合わされるようになる。
このハプトグラフによって作られる触覚というのが、未知の新しい触覚で、これが主人公に対しては強い快感として感じられて、ハマっていくのだが
一方、もう一人、この実験に付き合わされている人がいたのだが、彼はハプトグラフの実験に嫌悪感を抱くようになる。
で、最終的に、その人はこのハプトグラフを破壊してしまう。
「映画の先駆者」が、歴史として書かれている体裁なのに対して、こちらは、当事者の日記という形式で、ゴシックホラー風というか謎めいた施設で行われる謎めいた実験と、人間関係のギクシャクさみたいなところで話が進んでいって、主人公には真相がはっきりしない形で、ハプトグラフの開発が中断して終わる。