クリス・フリス『心をつくる――脳が生み出す心の世界』

人間の様々な心的現象を、脳が予測によって作り上げたモデルによるものとして説明する
近年、急速に、脳と心の理論として台頭しつつある予測コーディング理論だが、2008年(原著)と10年前に書かれた本書は、既にそのような立場からまとめあげられた入門書となっている。


各章であげられている事例の中には、有名なものも多く、この手の本がわりと好きな人であれば、「それくらい知っているよ」となるかもしれないが、これらの事例を一つの視座からまとめている、というのは結構大きなポイントだろう。


以下の記事より存在を知り、手に取った。

クリス・フリス「心をつくる」 - 蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学-
フリス「心をつくる」によってpredictive codingについてのモヤモヤをなくす - 蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学-

プロローグ ホンモノの科学者は心など研究しない
第1部 脳の作る錯覚から透かし見る
 第1章 脳の損傷例を手がかりとして
 第2章 正常な脳が世界について語ること
 第3章 脳が身体について語ること

第2部 脳のやり方
 第4章 予測によって先んじる
 第5章 私たちが知覚する世界とは現実と対応した幻想である
 第6章 脳はどうやって心をモデル化するか
第3部 脳と文化
 第7章 心を共有する―脳はいかにして文化を創造するか
エピローグ 私と脳と

心をつくる―脳が生みだす心の世界

心をつくる―脳が生みだす心の世界

プロローグ ホンモノの科学者は心など研究しない

心理学者である語り手の私が、パーティ会場で、物理学の教授と英文学の教授と話すところから始まる。
心理学という学問が、理系からも文系からもあまりまともな学問と思われていないというようなことを導入としつつ、科学としての心理学の位置を論じ、脳イメージング(fMRIの話)について紹介している。
なお、この英文学の教授はこの語も折に触れて登場し、ツッコミ役・質問役をする

第1章 脳の損傷例を手がかりとして

視野欠損や盲視、統合失調症による幻覚など

第2章 正常な脳が世界について語ること

ヘルムホルツの「無意識の推測」(神経伝達の速度を考えると、世界は直接的に知覚されているわけではなく、無意識で推測されたものが知覚されている)
変化盲
視覚の遮蔽(意識には上がらないが脳は認識している)
へリング錯視やエイムズの部屋
共感覚、夢
→健康な人の脳であっても、物理世界に直接アクセスしているわけではなく、脳によって創造されている

第3章 脳が身体について語ること

サルとクマデ(入来篤史)
ジョイスティックで直線を描かせる実験(曲がっていることに気付かない
リベットの実験
レロフス錯視
幻肢、疾病否認、他人の手症候群
催眠術と単語の連想課題

→自分の身体についても直接的なアクセスができているとは限らない
脳が行っている推論や選択について自覚していない

第4章 予測によって先んじる

この章では、パブロフの犬やソーンダイクの問題箱、スキナー箱など連合学習の話から始まる
意識せずに行われる学習である
こうした学習のメカニズムとして、ドーパミンの振る舞いと機械学習のTD(時間差分)アルゴリズムが同一であることを示したウォルフラム・シュルツらの研究が紹介されている
つまり、ドーパミン神経細胞の振る舞いから、予測とその誤差から学習がなされていると考えられる、と
ドーパミンと学習については、甘利俊一『脳・心・人工知能』 - logical cypher scapeでも触れられていた


この本の語り手は、脳は世界を報酬空間としてマッピングして、自己を埋め込んでいるのだ、と論じる。これに対して、英文学教授は、しかし自分の意識経験は決してそのようなものではない、と反論する。


ふたたびヘルムホルツ
眼球あるいは自分の体が動いているのに、世界が安定して見えるのは何故か、という疑問
→自分の動きを予測している
何故自分をくすぐることができないか
→自分の動きからどのような感覚が起きるかを予測し、抑制している
→脳活動の抑制によって、最もよくコントロールのきいている動きについては、行為を意識せずにすんでいる(つかみたいものに腕をのばす、誤差を修正するなどの動きを我々は意識していない)
→意識経験において、自分と物理世界のことは意識せずにすんでいる


想像によっても学習が可能
予測は、逆モデルと順モデルのふたつを使う
二つの予測に矛盾がないかは、実際に動かずに想像の中でも検証可能


P・Hという統合失調症の患者
→何者かにコントロールされているという症状をもつ
→自分の動きについての抑制が働いていないため、普通の人なら意識にあがらないような、自分の体を動かすときの身体感覚が意識にあがってしまっている
→P・Hは自分をくすぐることができる


この章で論じられているのは、行為の話なのだけど、自分の存在を消してるって話は、なんか表象の透明性の話とつながったりするのかなーと思いながら読んでた

第5章 私たちが知覚する世界とは現実と対応した幻想である

情報理論の話から、シャノンの情報の定義だと、ランダムなものがもっとも情報量が多いということになってしまう。見る者について考慮されていないとして、ここにベイズを持ってくる


弱い証拠を無視し、強い証拠をより強化するベイジアン・オブザーバー(感覚から得られた証拠を用いるにあたっては理想的、ただし、めったに起きないような事例を前にすると誤認をしてしまいがち)
p(A|X)とp(X|A)がエラー検出装置として働く→モデルの更新


知覚のスタートとなる予備知識はどこからくるのか
→一部はあらかじめ生物学的に組み込まれている
→ドミノ錯視やホロー・マスク錯視(自然環境において、光源は必ず上にあるし、顔の凹凸が逆になっている者などいないので、そもそも脳はそれが逆転しているというような想定をしておらず、錯視が起きる)
動き・自らの動作によって、エラーを検知し、モデルを更新していく


知覚されているのは、現実世界そのものではなく脳によって作られたモデル
エイムズの部屋錯視→エイムズの部屋のように歪んだ形をした部屋があるという予測は可能性が非常に低いので、その可能性を示す証拠を脳は無視ししてしまい、錯視が起きる
二つの可能性の予測が同程度の場合は、ネッカーキューブのように視覚像が交代する
色の恒常性も、脳による予測によるもの
脳内の顔を認識する領域は、実際に顔を見たときも、顔を想像しているだけの時にも同じように反応する
→では、脳内の想像と現実とを区別するものはなんなのか
→想像では感覚信号が入ってこない。感覚信号がなければエラーも起きない。修正も起きない。
(想像の中では、ネッカーキューブの知覚反転は起きない!)

第6章 脳はどうやって心をモデル化するか

他者の心をどのように理解しているか
一番最初、http://www.biomotionlab.ca/Demos/BMLwalker.html が出てくる
これ確か、去年の科学基礎論学会で染谷さんが紹介していた(美学会・科学基礎論学会・科学哲学会 - logical cypher scape
ボールの動きを赤ちゃんに見せて、驚くかどうかの反応調べて、赤ちゃんがボールの動きをその意図によって理解していることを示した実験
模倣の話
腕を上下に動かしてもらうという実験。他の人が左右に腕を動かしているのを見せられると、動きが不安定になる。ところが、ロボットアームの動きを見せられても不安定にはならない。
痛みの経験(他者が痛みを感じている時、自分が痛みを感じているのと同じ脳部位が活動)


動作について

第7章 心を共有する―脳はいかにして文化を創造するか

コミュニケーションについて
自分が話をする→相手が反応する→さらにそれに反応する(互いに互いの反応を予測し、それを修正している)=「コミュニケーションの輪を閉じる」
心的世界のモデル化とその共有


赤ちゃん言葉=母語を学習しやすくするように強調している(ペットに対しても似たような話し方をするが、実は、母音の違いの強調について赤ちゃんに対しては行うが、ペットに対しては行っていない。赤ちゃんは言葉を学ぶけど、ペットはそうではないから)


誤った信念を共有してしまうこともある(2人組精神病、カルト教団

エピローグ 私と脳と

なぜ「わたし」はあるのか
脳内のホムンクルスはないが、何故か我々はそのように錯覚してしまう
自由な動作主体であるという錯覚をもつ(3・4章にあるように、行為に先立つ様々な脳内の推論や判断は意識されない)
どうしてこのような錯覚が必要なのか、ということについて、ゲーム理論の話を紹介しながら、論じている
つまり、協力行動をするにあたって、自分も他者も自由な動作主体であるという認識と関係しているということ