三中さんの○○思考の世界シリーズ第三弾。
第一弾→三中信宏『系統樹思考の世界』 - logical cypher scape2
第二弾→三中信宏『分類思考の世界』 - logical cypher scape2
今回も、進化論の話であるけれど、いわゆる普通の進化論の話ではなく、系統樹を巡ってその歴史やリテラシーについて語られている本である。
三中「俺の系統樹図像コレクションが火を吹くぜ」みたいな感じの本w
もっとも、今『系統樹曼荼羅』という本を準備中のようなので、本当にコレクションが火を吹くことになるのはむしろそちらの方だろう。こっちだとカラー図版もないし。
タイトルに進化思考とあるので、進化論の話から。
進化論というのは、パターンとプロセスからなるという。
で、僕たちが進化論と聞くと、まあ自然淘汰であったりそういったプロセスの方に注目しがちな気がするが、この本が着目しているのはむしろパターンの方。この本は、プロセスの方はほとんどしていない。
で、そのパターンを記述するための「言語」が、系統樹だというわけ。
パターンとプロセスの研究は、まあどちらが先というわけでもないけれど、しかしやはりパターンがわかってこないとそのプロセスの考察などできるわけがない。
この本もダーウィンから始まるわけだけれども、進化論というのはダーウィンが一人で全部作ったわけではなく、ダーウィンに至るまでに色々と準備されてきた。
本書は、ダーウィン以前から始まってそして現代に至るまでの、系統樹の歴史
まずは、ナチュラル・ヒストリー運動
19世紀イギリス博物学における現象であるが、これは現代における科学というよりは「文化現象」ともいえるような運動である。いわゆる職業科学者に限定されず、アマチュアもきそって自然物を蒐集していたのであり、またその背景には自然神学、つまりキリスト教があった。
それは詩情や審美眼と結びつくような「ロマン主義的科学」であったのだ。
そしてそのような伝統の上に、ダーウィンの進化論が登場することになるのだが、この進化論は自然神学というナチュラル・ヒストリーの理論的背景を否定してしまう破壊力があり、ナチュラル・ヒストリー運動自体はダーウィンによって衰退していくことになる。
しかし、本書が注目するのは、ダーウィンと同時期に活動していたもう一人の進化学者ヘッケルである。彼は、ダーウィンの『種の起源』に魅せられ進化学者となったのだが、ダーウィンと異なり彼には美的なセンスがあり、非常に美麗なイラストを描くことができた。
彼の著作は当時人気があり、彼の描いた美的イメージを喚起させる系統樹の図像が広まっていくこととなる。
系統樹という図像自体は、12世紀の家系図にまでさかのぼる。
血統を証明する図像として非常に重宝されたようである。
またそれは、「存在の連鎖」を描くのにも使われるわけだが、ダーウィン進化論にさかのぼる時代から、次第に静的なものではなく動的なものとして捉えられるようになっていったという。これを「非ダーウィン革命」と呼ぶ。
さて、物事の体系化を描く図像としては、系統を示す系統樹だけでなく、分類を示すマップがある。
円を組み合わせたマップというのが、記憶術と結びついて非常に古くから描かれてきていた。
このような図像は、19世紀において生物分類学者によっても使われるようになる。彼らは必ずしも、このような円によるマップが何百年も昔に記憶術として使われていたということは知っていたわけではないだろうが、そのような図像の歴史の先に彼らの仕事はある。
こうした分類は、パターンを見いだし、「法則性」を見いだし、「観念論」へとつながっていく。
ここでいう「観念論」とは、理論によってもたらされる仮説的な存在を仮定するような考えである。そのパターンを生じさせる「法則性」、プロセスについての思考である。
「観念論」というのは科学者からは嫌われるものだが、しかし三中はそれは必要なものだし、必ずどこかから生まれてくるものだという。
ここでは、マクリーの生物分類学、そしてマクリーから影響を受けた生物地理学を見ていく中で、そのような「観念論」がどのようなものか示される。どちらも、現在ではすでに否定された見解ではあるが、生物のパターンを「神がそのように配置された」という説明によって満足してしまう自然神学に対して、そのパターンの理由をどうにかして説明しようとする「観念論」者たちが評価されている。
さて、マップは現在における様々な配置や分類を描く図像だが、系統樹はむしろ過去からの系列を描く図像である。
過去は直接は確かめることができない。では、どのようにして系統樹を描くのか。
それは、「比較法(アブダクション)」によってだという。
三中は、分類と系統樹を、ヒューウェルによる科学の二分類、分類科学と古因科学と組み合わせる。
古因科学とは今では全く聞き慣れない語であるが、その名の通り過去の原因を探る科学のことである。ヒューウェルは、地質学、生物分布、語源学、民俗学を想定していたようだ。
さらに、系統樹をどのように描くのか、系統樹は一体何を現しているのか、ということが説明される。
一つには、祖先を仮定して祖先子孫関係を描いていくという方法がある。これによって、家系図のような系統樹を描いていくことができる。
ところでもう一つ、見た目は系統樹と同じなのだが、それの現している意味が異なる分岐図というものもある。こちらは、祖先子孫関係ではなく集合包含関係を現している。
例えば、大きく二股に分かれていて、そして片方がさらに二股に分かれている図があったとする。小さな二股の方にAとBが、そしてもう一つの枝にCがあったとすると、まずはAとBが一つの集合に包含されており、さらにその集合とCとを要素とする大きな集合があるということになる*1。
このことは実は、AとBが共通の祖先Xをもち、そのXとCとがさらに共通の祖先Yをもつ、と読むこともできる。というか、そのように読むとしたらそれはもはや分岐図ではなく系統樹ということになる。
系統樹と分岐図は、図像としては同じだけれど、系統樹は祖先を仮定しており、分岐図は仮定していない。系統樹の方がより複雑なモデルをたてているということになる。
本書は、系統樹を巡る比較的新しい学問の流れを概観して終わる。
そこで注目されているのは、「情報」や「統計」である。もちろん「情報」というのは様々な意味があるが、例えば塩基配列という「情報」の類似度を比較して系統発生を推定する系統情報学があげられている。
あるいは、サイバー系統学、パラメトリック系統学である。
また、よりローカルな科学的方法論について考察するような科学哲学への期待も述べられている。
*1:文章で読むと正直全然意味がわからないと思うが、図を見れば一目瞭然であると思う