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十二因縁の言葉は世界の消滅を願うもの.. 無明が滅すれば行も滅し、.......生存が滅すれば出生も滅し、出生が滅すれば老いと死、憂い、悲しみ、苦しみ、愁い、悩みも滅する。このようにしてすべての苦の集まりが滅する、と。 世界は無に帰ったほうがいいでしょうか?

補足

世界の存在が苦の源であるならば、その存在が滅することは救済でしょうか?

回答(4件)

世界の存在が苦の源ではありません。世界が実在するという認識が苦しみの原因です。だから仏教は「空」を悟ることで苦しみを滅するのです。 つまり認識上、世界は無に帰ったほうがいいのです。 詳しくはこちらをご参照下さい。 https://ncode.syosetu.com/n1531gk/7/

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一般的な知識によれば、 十二因縁の言葉の目的は「苦しみの滅尽」ひいては「救済」が目的であることは間違いありません。 でも、最終的に個人、もしくは世界の消滅とか、どのような状態になるのかは説明されていません。 仏教の目的を完全に達成した人とは、シャカムニ自身をはじめとするブッダ(BUDDHA)、すなわち真理に目覚めた者のことです。 そして、ブッダがどのような状態にあるのかは経典に記されていますので、お調べください。 少なくとも、シャカムニご自身は世界から消滅しておらず、また世界を消滅させたわけでもありません。

六根・六境・六識、あるいは五蘊の一つの蘊、十二処の一つの処、十八界を 「世界」と仏教では言います。 つまり「世界の消滅」というのは、この地球が滅びることではありません。 自らの意識のことをいっています。 たとえば目を閉じて耳を塞いでください。はい、世界が無くなりました。 正しくはありませんが、わかりやすく例えればそういうことです。 >生存が滅すれば出生も滅し..........苦しみ、愁い、悩みも滅する。 これを読むと(じゃあ自殺するのが手っ取り早い)と思う人がいます。 また、仏教の中にもそう思わせる宗派もあります。 けれども自殺したからといって、過去世からの業を滅することはできません。 業を滅することができないから、再び輪廻し、また苦を味わう、だから 無明を滅っせよ、というのがブッダの教えです。

あれは「認識」(論)の話です。存在(論)だと勘違いする人が後を絶ちません。 加えるなら、因果も業も認識の話です。(実は物理現象には適用できないと仏教の正式な論書では説かれています) 仏教の教えはすべて認識論だと言っても過言ではありません。 「世界が消える」というのは認識の世界でのことですね。(冥想で世界が消える感覚が起こることがありますが、それは魔境と言って瞑想の失敗です) 現実を見れば当たり前に世界は目の前にあります。それがどんなに残酷なものでも、地球破滅の直前でもね。世界も”生死”を繰り返していると観るのです。世界は始まりも無く、終わりも無く、永遠だと説きます。 苦しみ満ちた世界でも自由自在の境地を目指して精進を続けるのが仏道を歩むということの意味ですね。苦しみを解決する道とも言います。解決は…難しいですw 世界が終わるならそれでもいいじゃないですか?「日々是好日」(にちにちこれこうにち、にちにちこれこうじつ、ひびこれこうじつ)の気持ちで生きる他ないでしょう?それが幸せなんですから。