回答受付終了まであと5日
回答(2件)
日本人にはあまりなじみがありませんが、「オーストラリア人」には、日本軍が「MO作戦」=最終的にアメリカなどとオーストラリアの連絡線分断を目指した、など、によってオーストラリア本土に迫ったこと、実際、日本軍は「オーストラリア本土空襲」「シドニー港攻撃」も行っているなど、「本土まで攻め込まれた」訳で、「日本と戦争をした」という明確な意識があります。 これは、「英連邦の一員としての参戦」と言えるヨーロッパ戦線などとはかなり違う感覚な訳です。 ただ、「オーストラリア軍」はそれほど大きな戦力を持っていた訳ではありませんから、「日本軍と正面切って戦う程の戦力は無い」訳です、が、当然に「本土のすぐ北のニューギニア島まで迫った日本軍」には対抗している訳です。 これらエリアは、アメリカ軍が「飛び石作戦」で、ガダルカナルの日本軍を撤退させた後、米軍はマリアナ諸島やフィリピンなどへと前進していくんですが、そういう過程で迂回、通過されてしまった「ニューギニア」「ソロモン諸島」の日本軍への押さえとして「オーストラリア軍」が対応しています。 ともかく「オーストラリア」って、当時、人口700万人しか人口が無いのに、100万もの軍隊を動員した訳で、この動員率は日本以上の効率なんですが、それ即ち「目の前の戦争」だったからなんです。 だから、もちろん「米軍指揮下」という形にはなりますが、結果的に直接対決になった戦場はいくつもあります。
この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう