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帝国海軍の海防艦は何故旧式ばかりだったのですか? 海防艦が破られれば即上陸されるわけで海防艦こそ強力でなければならない気がしますが、敵主力艦隊には連合艦隊が対応し、海防艦は連合艦隊到着までの時間稼ぎや輸送船団等のザコを相手にする役割だったのでしょうか? また、現在の海上自衛隊は海防艦のような艦艇しか保有していませんが、これは第二次世界大戦までは例え専守防衛でも戦艦に対しては戦艦、空母に対しては空母をぶつけることでしか対処できなかったものの、現在は陸上戦闘機やミサイルで対処できるため艦艇は海防艦で十分になったからでしょうか?

回答(11件)

帝国海軍で「海防艦」という艦種はもともとは旧式化した戦艦や装甲巡洋艦を、第一線を退いたあとの配置でした。 名前が「海を防衛する艦」ですから「海防艦がが破られれば」と感じるの、だと思いますが、日本に上陸を試みるような外敵に対峙するのは戦艦や装甲巡洋艦の仕事です。新鋭艦は速度が早く、装甲も砲力も一番充実しているのですから、それとは別にワザワザ強力な「海防艦」を作る必要はありません。戦艦や装甲巡洋艦を、増やせばいいだけです。 しかし。そうはいっても予算には限りがあります。旧式化して一線では使えなくなったからと言って戦艦や、装甲巡洋艦をスクラップにして新しく作るのも、大変です。旧式化した戦艦。装甲巡洋艦を沿岸警備に使おう、という事で「海防艦」という艦種が出来ました。 1930年代に入ると千島列島や当時は日本領だった樺太南半分の北洋でとうじのソ連に日本の漁船が拿捕されることが相次ぎ、北方における日本の漁業ほごの為に使い勝手の良い駆逐艦クラスの艦種として占守型が新造され「海防艦」という艦種が復活します。これは、ソ連相手に、日本の漁船を取り返したり交渉するのに補助艦艇である駆逐艦には菊の御紋が付いてません。これに対し「海防艦」は上に書いたようにもともとは戦艦や装甲巡洋艦の引退仕事でしたから艦長は海軍大佐以上で菊の御紋も付いていたので、菊の御紋を付けるために「海防艦」という艦種を復活させたのです。ソ連との外交交渉で見下されないように、こっちは補助艦艇では無く正式の軍艦だぞ!というために海防艦が復活しました。 そして、第二次大戦中期以降、船団護衛などの為に大量建造された「海防艦」は全く別ものです。 米英などでは「コルベット」に分類される小型の対潜護衛艦艇です。 同じ「海防艦」でも、 ①明治時代〜大正末期頃 は旧式化した元は戦艦や装甲巡洋艦 ② 昭和のはじめ頃 北洋警備の為の小型駆逐艦クラス ③第二次大戦中頃〜 駆逐艦よりは小さく、哨戒艇よりは大きな護衛艦艇 海上自衛隊については、現代では昔の戦艦や巡洋艦の大きさの戦闘艦艇を保有する海軍は殆どありません。

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究極の海防艦となると、震洋か鮫竜となります 特攻艇や特攻に近い生還率の特殊攻撃潜水艇 若しくは旧式高射砲や機関銃や爆雷載せた漁船 こうなるわけでさ。

海防艦の大半は正規の軍艦建造のリソースや資材をなるべく使わず、あるものすぐ用意できるもの安いもので短期間で非軍需造船所や工員で量産できることを前提に設計生産されています 設計建造時期はけして古いものばかりではなく、むしろ大半の海防艦は戦争中期以降に量産された日本海軍としては艦齢の浅いものが中心です 新型装備は正規の軍艦に優先され、海防艦には在庫部品や主力艦艇から改装で降ろした装備、旧式部品だが新しく生産ラインを用意する必要のない装備をのせたのです

現代海自は他国と比べても大型汎用戦闘艦を多めに配備しています 日本より大型艦比率が高いのは世界中の海が活動範囲になる米軍くらいしかありません。数で勝る中国も、核保有国である英仏印パも例外ではありませんし、ロシアも大型艦の大半はソ連から継承した旧式が中心で、5000~1万tクラスの汎用護衛艦~イージス艦は他国なら艦隊旗艦です

>帝国海軍の海防艦は何故旧式ばかりだったのですか? いえ、戦中の海防艦は最新鋭艦ばかりですよ。 戦前の海防艦は破棄するのはもったいない旧式艦をプールするための艦種でしたが、 開戦直前から駆逐艦より一回り小さい船団護衛用の水上艦ということになり、 古くとも1940年就役の占守型から始まり、 終戦時時点では1944年以降就役の丁、丙型海防艦が殆どでした。 つまり殆どが就役したての最新鋭艦だったことになりますね。 ただ、最新鋭艦と言うと聞こえはいいですが、限界まで簡略化されてろくな機材積んでない戦時急造艦でしかないのですが。

海防艦の主たる任務は、沿岸防御や漁場警備を行う艦で、本格的な戦闘を想定しない使用目的のため、平時には旧式艦を種別変更して用いていた。特に日露戦争に備えて増備した旧式戦艦や装甲巡洋艦、捕獲艦の用途として用いられた。しかし太平洋戦争が始まると、駆逐艦が南方の戦線に引き抜かれ、沿岸やシーレーンの護送に耐える艦艇が不足したため、1000t未満でそれらの任務に耐える新鋭艦が必要になった。そのため1942年から、小型中速軽装備の新型海防艦が多数建造された。