回答(5件)

朝鮮戦争時マッカーサー司令官が使用として本国に連絡したが拒否されクビになった。 ので焼却作戦で終わったかも。

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はい。アメリカはベトナム戦争中に「使う可能性」を具体的に検討し、限定核の事前配置まで踏み込んだ時期がありますが、最終的に使用は中止・抑止されました。  ・1968年「フラクチャー・ジョー(Fracture Jaw)」計画 前線(ケサン基地周辺)で不利な事態に備え、戦術核を南ベトナムに“短時間で使えるように”事前搬入する極秘計画が米軍内で進行。大統領(ジョンソン)に報告後、1968年2月12日に「全計画中止」の電文が出され、実施は止まりました。  ・科学者チーム(JASON)の評価(1966–67) 国防総省の助言組織JASONは、ベトナムでの戦術核使用は軍事的効果が乏しく、エスカレーションや報復リスクが大きいと結論。これが核使用抑止の重要な一因になりました。  ・ニクソン政権の「マッドマン戦略」(1969) 核の“ほのめかし”(警告・示威)は外交カードとして使われましたが、実戦投入の決定には至っていません。  要するに、米軍は1968年に戦術核の即応配備を本気で準備したが、政治判断と専門家の評価で踏みとどまった、というのが実像です。

核兵器の代わりに除草剤空からまいて地獄絵と化しました アメリカとイスラエルほど酷い国はありません、

はい、ベトナム戦争でアメリカは実際に核兵器の使用を検討していました。 ​特に、1968年に北ベトナム軍と南ベトナム解放民族戦線が行った大規模な奇襲攻撃である**「テト攻勢」の際、最前線のケサン基地の防衛**を巡って、核兵器の使用が具体的に検討されました。 ​核兵器使用検討の経緯(1968年) ​提言と要請: ​当時の米軍トップであるウィーラー統合参謀本部議長は、ケサンの状況が切迫した場合に核兵器を使用することについて検討を要請しました。 ​南ベトナム支援軍のウェストモーランド司令官は、「非武装地帯の状況が劇的に変化した場合、戦術核兵器もしくは化学兵器の導入を準備すべきだ」と主張しました。 ​太平洋軍のシャープ司令官は、**「核装置使用のための緊急計画が沖縄で準備されている」**と報告しました。 ​大統領の判断: ​これらの検討を受け、ウィーラー議長は当時のジョンソン大統領に核・化学兵器使用の検討を要請しました。 ​しかし、ジョンソン大統領は国内外の世論の反発を恐れ、この検討を中止するよう指示しました。 ​このように、軍内部では核兵器使用の必要性が議論され、具体的な計画まで存在しましたが、最終的には政治的判断によって実行されませんでした。 ​(なお、ウェストモーランド司令官は戦後の回顧録で、政府が核攻撃の選択肢を外したことは誤りだったと述べています。)