質問者は美術館所蔵レベルの茶道具や有名作家の新物を収集されているものと見受けますが、包布の有無や材質からではなく、まず本体の茶碗や棗に関しての要件から考えるのが、ヤフオクのユーザーレベルです。
茶碗にはその製作者の印譜や墨書きされた布があるのは、全体のほんの僅かで、茶碗を覆う布があっても、せいぜいボロ切れ、余り切れ程度で、これは衝撃防護のためのもの、和紙で包んでいるのと同義です。
明治時代までは殆どの日本人は日本家屋に住んで、屋内の棚や押入に道具を置いていました。家屋には隙間が多く、湿気が屋内に入り、戸外から蟲が出入りし、茶碗を納めていた柔らかい桐箱に住みつくことが屡でした。そこで防虫効果、防湿効果を狙ってウコン布で茶碗を覆っていました。でもウコンは経年劣化があり、衝撃防止と収納箱の防虫、防湿の効果は長期には続かずウコンも高価、家屋の密閉性が高まればボロ切れで包むだけでも十分になりました。
一方茶碗製作作家は、格を高める(高額で売る)ために引続きウコン切れで包み、自分の印や自名を付けました。所有者の中には高級さを高めるために、屋外での点茶用の茶箱に入れる茶碗の衝撃防止用に使われる仕服を、専ら屋内で使う茶碗で名品であるものにも作って入れ、大事にすることも行われてきました。
棗も元来茶碗同様に収納に適したウコン切れを使うこともありましたが、海外からの渡来物が珍重された茶入れが割れ防止に仕服に入れることが常習となっていたので、小さな仕服を作って棗を入れることも行われるようになりました。江戸時代以前の蒔絵棗を所持していますが、底の抜けた古い仕服が添っています。
近代になると、棗、茶碗の高名作家は、格を高めようとウコン切れに包むようにもなりますが、ウコン切れはあくまで防虫、防湿のためのもの、格を高める(高額で売る)ために白い絹地の袱紗様の切れに署名捺印、自己主張して棗や茶碗を覆うようにしたりしています。
茶人は「次第が良い」のを尊重し、茶席での所有自慢や残存価値を維持するよう、出費事情より優先していますが、ヤフオクでの庶民レベルの茶人は中身の本体を重視し、せいぜい箱書に配慮する程度ではと思われます。