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高一です。もう10月になるというのに、高校受験で行けなかった第一志望のことを考えてしまい、勉強に力が入りません。 第一志望のこところはいわゆる陽キャが多くてキラキラしてたのですが、自分が行ってるところはあまりに地味だし、コース制なせいで、2年次のコース選択(明らかに上下がある)があるのが本当にストレスです。他の高校に行った中学の人からは、自分はとても楽しそうに見えると言ってますが、楽しくないわけではないのですが、第一志望に言っていたら、、と考えてしまいます。通っているところは校則も厳しくいわゆる自称進学校です。 周りでまだこんなことを思っているのはおそらく自分だけで、その事実も苦しいです。 本当にもう受験終わってから7ヶ月も立っているのに、自分はいつまでこんなことに囚われてるのかと思ってしまいます。 おそらくこんなに思ってしまう原因は、確実に受かることができたのに、私立入試が終わってからたるんでしまったことです。本当に全部自分のせいすぎて、何も言えませんが、いつまでもすっきりしません。 大学受験を頑張れと言われても高校生の時にしか味わえない感覚もあったと思うと大学受験で頑張っても意味がないと思ってしまいます。他のところに居場所を作れて言われても、僕が惜しいのが高校生活なせいで、他に居場所ができても多分ずっとモヤモヤはなくなりません。誰かこのコンプレックスをなくしてください。

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回答(1件)

なるほど。 確かに、あなたは第一志望の高校生活を送ることは出来なくなった。 私が、第一志望はおろか望んでいなかった高校に進んだことはさておき。 私は18歳ですが、街中の大人よりも精神に関しては成熟してると誇りに思えるほどです。以下は、そんな自分からのあなたの「モヤモヤ」を消す手立てのコトバです。 人は不可能に対して夢を抱くものです。 もしも、不老不死の体を手に入れられたら。もしも異世界に行くことができたら。もしも、彼女がいたら。 自分の中ではまるで全てにおいて優っている別の自分が複数。 しかし、「勉強」と同じです。 これからも、あなたは勉強をします。宿題という形であれ、鉛筆で筆跡を残せば立派な勉強といえます。しかし、どんな学校にもバケモノじみた誰にも超えられない最強がいます。 そんな人にクラスメイトたちは憧れるわけです。 ですが、それはその人たち自分が必ず見合うものではないこともあるのです。「不可能」でもある時があるのです。 勉強とは一つ限りの意味ではないです。 人によって目的が違う。 自慢のためではなく、知識を究極にまで求める歴史マニア。 問題の形式は分からないけれど、計算となれば誰よりも公式の理解をしている計算がとてもはやい人。 その人たちは決して何でもできるクラスメイトの最強格を諦めたわけではないです。 それを実現できなかったと苦しんでいる中で、自分の中の「違和感」に気づくことができたすごい人たちです。 その違和感というのは、日常に潜んでいます。 例えば、友達からの質問に対して、友達が気づけていない分からないことを持ち前の公式の理解の深さで気づかせるきっかけを作り、感動させたときの誇りに思う喜び。それをどんな時にでも気づくことができれば、それを自分だけの魅力にできて、それでこそ先ほどのような計算がとてもはやい人のようなクラスメイトから憧れる存在となるのです。 しかし、それは叶わなかった何でもできる最強にはなれなかったという苦しさに溺れている時に起こるものです。だから、その人たちはすごいんです。 あなたは「陽キャが多くてキラキラしてた」学校生活に憧れを持っています。 それで良いのです。しかし、肝心なのは自分の今いる状況に対して違和感を覚えることではないでしょうか。 例えるならば、「陽キャっていうのはあの時に思っていたキラキラしている人たちではなくて、もしかしたらどんな時でも助けれくれたり、親切にしてくれる存在なのかもしれない」と思ったり、そうとなればそのような発見をできてそのような人たちと楽しめているのは、他の人たちにはないあなただけの立派な魅力ですよね? 「他の高校に行った中学の人からは、自分はとても楽しそうに見える」と言っているのは、自分にはない何かを持っていると憧れを感じたからでしょう。そして、それが自分には手に入れることが「不可能」な環境だからだと思います。 最後の一言 「自分は、確かに苦しんでいる。しかし、だからといって私は幸せではないということではない。私は幸せを感じることができないだけだ。だからこそ、いつかはそれを見つけてみたいものだ。」

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