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今年の「#文学」
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最近、昼下がりにある街を歩いていたら、ちょっとひやっとすることがあった。 道路脇の歩道を、歩いていた中年の女性と、自転車二台に乗ってやってきた中年の男性、女性がぶつかりそうになったのだ。 自転車は急ブレーキをかけてとまり、女性もびっくりした様子でからだをこわばらせたけれども、幸いぶつかることはなかった。 そこは、大型の店舗のある前で、人通りも多かったので、周囲のひとも、ひやっとして、でも、怪我がなかったようなので、ほっとした。 そうしたら、自転車に乗っていた男性が、女性を罵倒し始めたのだ。 「携帯をいじりながら歩いているから、そんなことになるんだろう!」 私だけでなくて、みんながびっくりして、中には、その男性をたしなめようと、何か言おうとしている人もいた。 よく考えたら、歩道を自転車が(かなりのスピードで走る)ということも、ルール違反かもしれない。 女性の方も、携帯を操作しながら歩くという
「政治とは可能性の芸術である」と言ったのはビスマルクであった。 理想があっても、それが実現しなければ意味がない。ならば、妥協や協力は政治の不可欠な一部だろう。 都知事選において、各種報道機関の世論調査を総合すると、舛添要一候補が当選しそうである。それを細川護煕候補や宇都宮健児候補が追っている。細川候補と宇都宮候補の票を足すと、舛添候補に勝てる可能性がある。ならば、「可能性の芸術」として、両陣営の一本化を図るのが自然な発想だろう。 両陣営は、「原発」に象徴される、今の政治のあり方に対する異議申し立てという点で共通している。立候補後の辞退は、公職選挙法上できないとされている(と理解している)が、両陣営のどちらかが、相手候補への戦略的投票を呼びかければいい。どちらの候補に一本化するかは、当事者同士で話し合って決めれば良い。 期日前投票をすでに済ませている方がいるとか、当日の投票においても、混乱が
『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスタジオで、木村秋則さんに会って以来、ずっと親しくさせていただいてきた。 木村さん、口の中も自然農法で、歯が一本もないけれども、笑顔はまるで太陽そのものだ。 その木村さんの生涯が映画になるというので、なんだかドキドキしながら見に行った。 そしたら、結婚式のシーンで、木村秋則さんご本人が登場していた! 阿部サダヲさんは、演技が木村さんのコピーにならないように気をつけた、とかどこかで言ってたけど、結果としてものすごく説得力のあるキャラクターになっていたと思う。一つのことにとりつかれた男の明るい狂気のようなものを、一分の隙もなく描ききっていた。 菅野美穂さんが演じた木村さんの奥さん役も、とても良くって、なんだか人間の手触りがした。 そう、物語の全体に、人間の感触があるんだよね。それが、リンゴのイメージと重なって、とっても温かい映画になりました。 岩木山の風景や
日本の教育改革について考えています。 それで、いつも東大のことばかりと言われるかもしれないけど、母校だし、予算規模も大きいし、ある種象徴的な存在なので、ご容赦。 一つの考え方として、東大法学部の「分割民営化」を提案します。これだけでは、何を言っているかわからないですよね。以下、簡単に説明します。 東京大学は、明治以降の日本の近代化を担う「文明の配電盤」でした。その中でも法学部は、官僚を輩出する、いわば「東大の中の東大」でした。 ところが、グローバル化などの状況の変化によって、法学部が、「お荷物」になってきたように私は感じます。 法学部のカリキュラムは、比較法学やローマ法、法制史などの科目はあっても、やはり日本の実定法中心。すると、国際的な学生構成にするのは難しい。 霞ヶ関や、司法中枢との強固な結びつきは東大法学部の最大の売りでしたが、グローバルな大学競争時代には、ヘタをすれば「不良資産」に
日本の教育界をいちばん愚かにしているのは「偏差値」だろう。 ばからしい。しかし、未だにそれで愚かな誇りを感じ、言われのない劣等感を抱く者は多い。偏差値なんて、蹴飛ばしちまえ! 予備校が偏差値表を送ってきたら、破ってすてちまえ! 予備校を、受験生の心の傷害罪で訴えよ! 理系で「最高の偏差値」と言われている東大理III.養老孟司さんのように本当に賢い卒業生もいるけど、いつまで経っても受験のことしか自慢できない、愚かもの卒業生も数限りなくいる。そいつら、ぜんぜんあたま良くない。むしろ白洲信哉の方が、あたまいい。あたまの良さと偏差値は、本当に関係ないのだ。 そういうことを、いくら言ってもわからないようなので、先日思いついた喩えで説明しましょう。 男性は、○○○の長さにこだわる者が多い。ところが、先日発表された科学研究によれば、女性が男性を見るときには、○○○の長さなど関係ないようなのだ。むしろ、胸
すばらしい本である。とても元手のかかった本である。絶対に買って読んだ方がいい。代金だけの見返り、いやその何十倍、何百倍の報いがあるはずだ。 なぜか。元手がかかっているからである。博士が、ビートたけしに憧れて入門して以来、さまざまな仕事の現場で、藝人さんたちと話し、考え、感じ、見聞きしてきたことがぎゅっと濃縮されている。こんなに濃縮されていいのか、と思うくらいに詰まっていて、読んでいて、申し訳ない、と思うくらいである。 実は、ぼくは博士を一度だけコワイ、と思ったことがあった。成城学園前から歩いていくレモンスタジオでの番組の収録で、スティーヴ・ジョブズを初めとするいろいろな人を引用して、「変人が日本を救う!」みたいなプレゼンをしたら、それが案に反してブーイングで(ディレクターも意外な反応だったと言っていた)、特に博士がキツかった。 ぼくがプレゼンター席に立っていたら、博士が横を、「茂木さんにし
皇太子妃の雅子さまに関する報道には、大変関心がある。 雅子さまは、私にとってもちろん遠い存在だけれども、たまたま、東京大学法学部に学士入学したという経歴が重なっている。雅子さまは、私よりも一年後のご入学だった。当時お目にかかることはなかったけれども、秀才の誉れ高かった。 その後、外務省に入られ、英国のオックスフォード大学に留学され、皇太子妃になられるまでの経緯は、よく知られているところである。ご成婚の際、多くの人が、雅子さまが、その経験と資質を活かされて、皇室外交とご公務にご活躍されると期待したのではないだろうか。 後に、私がケンブリッジ大学に留学した時、友人の英国人が、雅子さまがハーバード、オックスフォードで学ばれたことを指して、「Ah, she has seen the world」と評したことを印象深く覚えている。雅子さまには、日本の皇室の新時代を開く、という期待が寄せられていた。
「もうこれで打ち止めだろう」と思っても、まだまだその先に、「えっ!」というようなおもしろ話が埋まっている、「人間要石」(「要石」は鹿島神宮にある石で、小さな丸い石ころのように見えるが、かつて水戸光圀が掘らせたらどんどん大きくなって三日三晩かかっても掘りきれずに諦めたという伝説の石。オオナマズを押さえているのだとも言われる)の田森佳秀くんのおもしろ話は続く。 仕事を終えて、翌日のお昼に、金沢のおいしいお寿司屋さん「弥助」で食べていて、ふと、学生時代のバイトの話になった。 田森くんは、東北大学にいたころ、仙台駅から、ビルの中にある企業を片っ端から訪問して、「あの、プログラムを書く仕事はありませんか」と200軒くらい聞き回って、やっと一箇所仕事をくれるところがあって、それが学生バイトとしてはかなり実入りがよかった、という話は聞いたことがある。 学部学生が、いきなり飛び込みで「プログラム書かせてく
神宮会館で会食をしたあと、なんとはなしに歩きたくなって、夜のおかげ横町をそぞろ歩きして、内宮の橋の前まで来た。 衛視さんがいらしたので、「明日は何時から御垣内参拝できるのでしょう?」とうかがうと、「そうですね、6時くらいには」とおっしゃる。 それで、何とはなしに安心して、部屋に戻った。 翌朝、起きると、もう6時だった。 急いで、Yシャツとネクタイを来て、ジャケットを羽織り、その上にダウンを着て外に出た。 空気は、ひんやりと冷たかった。 おかげ横町は、昨日の暗闇とは一変して、すがすがしい朝の空気の中にある。 橋を渡ると、もうすでに人が歩いている。遷宮の年であり、週末なので、こうしていらしているのだろう。 もう、次の社殿が出来ていた。真新しい木が、ぴかぴかと美しい。神さまは、常若。新しい正宮にお住まいになる日も近い。 私が初めて伊勢に来たのは、前回の遷宮の時だった。あれから二十年。ずっと、社殿
まずは、人間の能力はペーパーテストで測れるものではない、ことを再確認しておくべきでしょう。 その上で、もし、日本の受験のあり方がすぐには変わらないのだとすれば、また、人々が、日本の教育の中で「洗脳」されて、「偏差値」という、奇妙な迷信を信じ続けるのだとすれば、その中で、予備校たちによって「偏差値が低い」と勝手に決めつけられた大学の関係者がとるべき「戦略」は、「そういうのうちは関係ない」と断固拒否することだと思います。 各予備校は、まことしやかな「偏差値表」のようなものを配って、それが各高校に掲載されているという実態があるわけですが、ます、そのような「偏差値表」に大学の名前が掲載されることを拒否してみてはいかがでしょう? また、実際に、入試においては、志願者の能力、資質、将来性、志願動機を総合的に判断して合否を判定しているため、各予備校が計算する「偏差値」などは、うちの入試には一切関係ないと
(今朝の連続ツイートの記事を、まとめて、補足いたしました。) 日本にいる時に、朝日新聞の「アカデミー賞「アルゴ」 異例の大統領夫人発表に批判も」という記事を読んだ。なんとはなしに「おやっ」と思ったんだけど、その違和感がどこに由来するのか、自分でも突き止められないまま飛行機に乗った。 記事は、アメリカのCIAを中心とする、人質救出作戦を描いた『アルゴ』が作品賞を得るに当たって、アメリカ大統領夫人がホワイトハウスからアナウンスして、いわば「国家」を上げてこの作品をエンドースしている、みたいなトーンで書かれている。記事自体はエッジが立った、印象に残るものではあった。 それで、飛行機に乗って、ロサンジェルス国際空港について、タクシーに乗って、ロングビーチに着いて、ルームサービスでソーセージエッグを頼んでコーヒーで流し込んで(ここの表現、アメリカ的ね!)、回復のための一眠りをして、今起きて、何故朝日
JAPAN MENSAのことを、昨日テレビでやったみたいで、それで、私も会員だ、みたいなことを言ってたみたいで、メールで問い合わせてきた人がいた。 MENSAというのは、「IQが高い」ということを、唯一の会員資格としている組織で、それだけ聞くとなんだかイヤミな組織のようだけれども、まあ、ちょっと読んで見てください。 私がMENSAのことを知ったのは、高校の時。定期購読していた「リーダーズ・ダイジェスト日本版」(今はない)で、確か、IQ130以上(全人口の上位2%)を唯一の会員資格としている、とか書いてあった。 それで、なぜぼくが「じゃあ、受けてみようかな」と思ったのかと言うと、会の説明に、「会員の職業はさまざまです。医者や弁護士、大学教授もいますが、ダンサーやウエイトレス、トラックの運転手もいます」みたいなことが書いてあって(いかにも、原文が英語で、訳している、という感じだよね)、「あっ、
日本ではベンチャーが少ない、育たないという。ならば制度、システムを変えよう。 時々、講演などで、「ベンチャーキャピタルの本質は、なんだと思いますか?」と聴衆に聞く。なかなか答えが返ってこない。そこで、私が、「正解は、会社が失敗しても返さなくていい金です」と言うと、みんなどっと笑う。 笑うということは、つまり、そこに不安や恐怖があるということだ(笑いの進化的説明。) シリコンバレーの人に聞いた話。ある大学教授が、三回ベンチャーの会社をつくって、失敗してつぶれた。そして、三回とも、住んでいる家が大きくなった。 日本だと笑い話(むしろおとぎ話?)になるが、そこに本質がある。 大学教授は、専門性(expertise)を提供した。それに対して、資金と報酬が提供された。そのリスクは、貸した側が追う。しかし、もし会社が成功してIPOでもすれば、莫大な利益となる。 貸し借りがいい意味でドライにならなくては
毎日新聞が、次のようなニュースを報じている。 銀行や貸金業者が中小企業などに融資する際に求めてきた個人保証について、法制審議会(法相の諮問機関)が原則として認めないとする民法改正案を本格的に検討することが分かった。 http://mainichi.jp/select/news/20130218k0000m010107000c.html この動きを歓迎する。同時に、これでも十分ではないと考える。 まず、同記事中にある「経営者本人が会社の債務を保証する「経営者保証」は例外として認める案が検討されている。」という点。 経営者本人でも、その私的生活と、会社の運営に供される資金は、性質が違う。両者は混同されるべきではない。 会社の経営が破綻しても、個人資産にその累が直ちに及ぶべきではない。もちろん、経営者が、自主的に個人資産で弁済することもあるだろう。しかし、それを法的義務とすべきではない。 また、
「(日本の大学は)言語的に閉じている」 タイムズ・ハイヤー・エデュケーション誌 2013年1月17日掲載 茂木健一郎 From Where I Sit - Linguistically closed for business Ken Mogi Times Higher Education. 17th January 2013 以下は、2013年1月17日、イギリスの「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」誌に掲載された文章の、著者(茂木健一郎)自身による日本語訳です。 原文(英語)は、下記URLをご参照ください。 http://www.timeshighereducation.co.uk/story.asp?sectioncode=26&storycode=422386&c=1 <翻訳> 教育は、現代文明の発展に欠かせない要件である。世界の主要国の大学システムの欠陥は、その国にとってだけで
茂木健一郎 鳩山由紀夫さんの政治理念を象徴する言葉である「友愛」。今こそ、この言葉をかみしめ、活かし、深化させる時期が来ているように考えます。 世間では、「友愛」という言葉のニュアンスが、現実を直視しない甘い認識であるかのような印象もあるようです。「友愛」を唱える鳩山由紀夫さんを、浮き世離れした「宇宙人」と評する向きもある。しかし、実際には、「友愛」は、厳しい現実認識に根ざした、実践的な政治思想なのです。 「友愛」を最初に唱えたのは、オーストリア・ハンガリー帝国の駐日大使を父に持ち、日本人を母に持つリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーでした。クーデンホーフ=カレルギーが、その著書『Totaler Mensch, totaler Staat』の中で唱えた「Brüderlichkeit」(友愛)の概念が、鳩山由紀夫さんの祖父であった第52、53、54代内閣総理大臣、鳩山一郎さんに大きな影響を
米長邦雄さんが亡くなった。何度かお目にかかって、その大きなお人柄に感銘を受けていただけに、早すぎる死が悼まれる。 本当に、大きい人だった。 ご自身が、コンピュータの将棋ソフトと対戦され、また将棋連盟会長として、棋士と将棋の棋戦を仕掛けるなど、新しい時代における将棋のあり方を考え抜かれた方だった。 米長さんのことで、どうしても書いておきたいことがある。 あれは十年くらい前だったか。対談させていただく機会があった。その際、米長さんに、将棋は男性と女性の棋戦が別で、女性棋士はなかなか男性に勝てないけれども、そのことについてどうお考えですか、とご質問した。 その時の米長さんの答に、私は大変深い感銘を受け、今でも忘れることができない。 米長さんはきっぱりと言われた。 「私は、男性と女性で、将棋の能力に差があるとは思っていません。将来、必ず、女性で男性と闘って名人位をとる人が出てくると思います。問題は
茂木健一郎 次の総選挙が近いと言われている。日本をよりよい国にするために、私たちが直面している政治的な課題は何か。今後の日本の道筋を見極めるために、直近の過去を振り返って整理しておきたい。 2009年の民主党による政権交代は、戦後ずっと続いていた自民党による長期政権に終止符を打ち、日本にも、世界の民主主義国で標準的な本格的な政権交代のスキームをもたらすものとして注目され、期待された。 課題になっていたのは、日本の統治機構の立て直しであった。戦後、長期政権が続いてきた中で、官の力が強くなりすぎたと多くの人が感じていた。民間の活力に基づく国の再生を図らなければ、日本の復活はないと考えられていたのである。 ここで、大前提として確認しておくべきことは、民主党が政権交代の課題として挙げた構造改革や、霞ヶ関の統治機構の立て直しは、統治機構をよりインテリジェントで「筋肉質」のものにするという意味で国の発
かつては、右だとは左だとか、リベラルだとか保守だとか、国際派だとか国家主義者だとか、いろいろなラベルが有効だったのかもしれないけれども、今や時代が複雑になりすぎて、ある見解だけで一人の人をラベル付けするのは困難だと感じている。 そもそも、人によって意見が違うのは当たり前。仮の10の政策があり、YES/NOの確率が1/2だとするとすべて一致するのは1024人に一人である。もちろん実際には分布に偏りも相関もあるわけだが、見解が異なる人と共生し、意見を交換していかなければこの世はもはや成り立たない。 以下に、私、茂木健一郎の見解を列挙します。 皇室 伝統を最大限に尊重。皇室典範の改正問題については、慎重に検討。何よりも今上天皇、皇族方のご意向が大切。 国旗 日の丸が、国旗 国歌 君が代が、国歌 教育条例 卒業式などにおける、国旗、国歌に対する特定の行動の形式的強制には反対。ちなみに、私自身は立つ
以下は、カリフォルニア州ロングビーチで開かれたTED 2012における、茂木健一郎によるトーク(2月29日、セッション5内)の全文です。 東日本大震災からの一周年の十日前、復興に向かう日本人の思いを、漁師さんの間に昔から伝わる「板子一枚下は地獄」(Under the board, there is hell)という言葉に託して、訴えました。 最後に、被災地である釜石からお預かりした大漁旗を、復興への思いをこめて、TEDの会場で思いきり振りました。 今回のトークを準備するに当たっては、岩手県釜石市の方々に本当にお世話になりました。 未曾有の大災害の悲しみ、苦しさにも負けずに、復興への努力を続けられている釜石の方々に、どれほど勇気づけられたかわかりません。 その思いを背負って、また日本人代表として、万全の準備を重ねて、一生懸命トークをいたしました。 漁師で、現在釜石市議会議員の木村琳蔵さんには
「新潮45」 連載 茂木健一郎 「日本八策 再生への処方箋」第一回より、「2、大学のガラパゴス化」をここに公開いたします。 「1、 日本の危機」、 「3、「ものづくり2.0」への不適応」 「4、「黒船」の正体」 「5、日本八策」を含めた全文については、現在発売中の「新潮45」2012年3月号 http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/ をご覧ください。 2、大学のガラパゴス化 一つの価値基準、一つの文脈から見れば優秀であるが、一方で柔軟性を欠くことになる。結果として、日本の国内市場の中では通用するけれども、グローバル化した世界では意味を持たない制度やシステムが温存されることになってしまう。これが、今の日本の危機の象徴である。 それを象徴するのが、「ガラパゴス化」という言葉。ある視点から見てすぐれた「部分最適」にはなっても、全体から見た「全体最適」にはならな
昨日発表された、ユニクロによる、「学年、新卒・中途、国籍を問わない」かたちでの「通年採用」の開始を、心から歓迎するとともに、ユニクロの英断に賛辞と敬意を表します。 ユニクロの方針は、社会に付加価値を提供し、自らも利益を上げ、仕事にかかわるものが人生を全うするという企業経営の合理性をつきつめた結果だと私は考えます。 日本の企業において一般的な「新卒一括採用」の慣習は、学生から貴重な勉学の機会を奪うだけでなく、多様なキャリア形成という今日の世界においてもっとも大切な価値を損ない、結局は企業の人的資源を劣化させるものであり、一日も早い是正が望まれます。 ユニクロの先端的な試みが日本の他の企業にも広がり、グローバル化する世界において、真に付加価値を生み出す企業が日本からさらに生まれていくことを、国を愛するひとりの人間として心から願うものです。 2011年12月21日 茂木健一郎 参照: ユニクロ、
日本八策 近代日本の夜明けにおいて重要な役割を担った坂本龍馬は、「船中八策」の想を練った。日本は困難な時代を迎え、新たな発展へのヴィジョン、改革の処方箋を必要としている。ここに、日本の未来を切り開くための「日本八策」の私案を発表する。 2011年12月13日 茂木健一郎 [email protected] 日本八策(1)インターネット、グローバル化という「偶有性」の文明の波が押し寄せる時代。福澤諭吉が「適塾」で示したような、寝食を忘れて猛勉強する精神を復活させる。「知のデフレ化」の逆転。吉田松陰が松下村塾で講じたように、現実の状況に安易に妥協せず理想を貫く「心の整え方」を磨く。 日本八策(2)記者クラブに象徴されるマス・メディアの守旧体勢、独占体制を改め、真のジャーナリズムを醸成するための方策を実現する。メディアを、既得権益層の自己保身の手段とせず、日本を先に進める改
自由が丘にいて、次のみなとみらいでの仕事まで数時間あった。どこかで作業をするという考えもあったのだけれども、突然思い立って歩くことにした。 田園調布を過ぎ、多摩川を渡り、武蔵小杉、網島、大倉山、菊名、妙蓮寺、白楽。 白楽あたりで、高いビルの赤い光が見えたときには、ほっとした。東横フラワー緑道を通ってゴール。高鳥山トンネルを抜けた。 道筋の、iPhoneでの表示は、18キロ。途中脇道にそれたり、公園をうろうろしたりしたからおそらく20キロくらい。所要時間は、4時間20分だった。 慶應の日吉あたりを通る時が、一番疲れていた。オロナミンCを一本飲んだ。 私は、人生の節目に長い距離を歩く。 もっとも、前後で劇的に何かが変わるわけではなく、ただ、歩きながら、いろいろと振り返るだけである。 なんてダサイことをやっているんだろう、情けないなあなんてあたりから始まって、科学上のアイデアや、現代についての認
新橋で、コロッケそばに温泉たまごを落として食べた。 それから、半蔵門のTokyo FMまで歩いた。日比谷公園を通る。だいぶ、葉っぱも色付いてきたな。 国会の前を通る。別になんでもないのに、信号で国会側に近づくとなんとなく緊張するのはなぜなんだろう。正門前で記念撮影をしている人たちがいた。小学生の列が、中を歩いていた。 ぼくも来たっけ。小学校の社会科見学。あれ以来、国会の敷地内に入ったことはない。 あのとき、国会はなんとはなしにキラキラして見えたな。立派な大人が、国のために一生懸命議論しているのだと思っていた。今でもそう思っていないわけではないけど、ずいぶんと見え方が変わっている。 どんな「国」も、その権威を保つために装飾を必要とする。だけど、情報化の波が、いろいろなものの見え方を変えている。権威と、もったいぶることの微妙な関係。実質的に、国のことを考えて立法や行政に疾走するんだったら、大き
勉強が苦手だとか、成績が伸び悩んでいる人たちの中には、勉強法がわからずに苦しんでいる人たちもずいぶんといるのではないかと思います。 以下、小学高学年の子どもでもわかるように、できるわけわかりやすく「勉強法」を解説したいと思います。参考にしてください。 なお、ここで解説する勉強法は、大人になってももちろん活用できます。脳は、「完成型」のない「オープン・エンド」。意欲さえあれば、何歳になっても新たな学びを積み重ねることができるのです。 6、1秒で集中する方法 はっと気付いた瞬間に、集中する。1秒で集中する。そんなことができたら、苦労しないよ、という子がいるかもしれません。 確かに、どれくらい集中できるかどうかには、個人差があります。一方で、それは、鍛えることができるものでもあります。生まれつきの「性格の差」で、集中できる、できないということが決まっているわけではありません。 腕立て伏せや、腹筋
日常が底光りする理由 茂木健一郎 最初に見た小津の映画は、「東京物語」だった。私はその頃大学院の学生で、講師のアルバイトをしていた塾の近くのレンタルビデオ屋で、正月休みに他の映画と一緒に借り出した。 当時、私は、ヨーロッパ映画ばかりを見ていた。西洋かぶれの青年だった。日本の映画に、ヴィスコンティやタルコフスキーに相当する人がいるとは、思ってはいなかった。もちろん、「東京物語」が傑作であるということは聞いていた。だからこそ、レンタルビデオ屋で目に止まったのだろう。しかし、「惑星ソラリス」や、「イノセント」に匹敵するような体験が、「東京物語」という作品の中に潜んでいるとも期待してはいなかった。 実際、最初に見た時の印象は、何だか良くわからないものに出会ったという感じだけだった。自分が何を見たのか、良くわからなかった。ただ、見終わった後に、何かわだかまりのようなものが残っていた。 それで、3月
小林秀雄さんの講演について 茂木健一郎 小林秀雄さんは、言うまでもなく日本における近代批評を確立した人である。その名前を私は小学生の時から知っていたが、私がこの批評家を深く愛するようになったのは、大学を卒業してかなり経った頃に、講演の録音を聴いたのがきっかけである。 今はCDになっているが、当時はまだテープだった。最初に入手したのは、「現代思想について」だったと思う。私自身の生涯の探究のテーマである心と脳の関係について、最も深い思索を積み重ねた者からしか出ない言葉が私の胸にひしひしと迫ってきた。 それから、夢中になって次々とテープを求め、気が付いたら全部聴き終えていた。 本居宣長。源氏物語。柳田国男。ベルクソン。文学。生きること。死ぬこと。愛すること。信じること。徒党を組まないこと。 小林さんがお話されるテーマの一つひとつが魂の中に深刻かつ愛しいかたちで入ってきて、一連の講演記録が、知らず
勉強が苦手だとか、成績が伸び悩んでいる人たちの中には、勉強法がわからずに苦しんでいる人たちもずいぶんといるのではないかと思います。 以下、小学高学年の子どもでもわかるように、できるわけわかりやすく「勉強法」を解説したいと思います。参考にしてください。 なお、ここで解説する勉強法は、大人になってももちろん活用できます。脳は、「完成型」のない「オープン・エンド」。意欲さえあれば、何歳になっても新たな学びを積み重ねることができるのです。 5、「はっ!」と気付いた瞬間から始めればいい。 勉強法を実践するにも、そもそも、勉強をする気が起こらない、なかなか勉強に身が入らないという人もいるのではないかと思います。 そのような人には、一つ、オススメの方法があります。それは、「はっ!」と気付いたら、即座に勉強を始めて、あっという間に集中するという方法です。 人間には、調子の波というものがあって、ついついだら
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