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大そうじへの備え
tukinoha.hatenablog.com
屋上屋を架すつもりはないので、最近話題の論点からはやや外れた部分について書きます。「一言」といっておきながら全然ひとことで終わらないのはお約束ということで。 1.国家間の問題?被害者はどこにいった? 90年代における「アジア国民平和基金」が挺隊協のような慰安婦支援団体からも批判されたことは有名ですが、この基金を推進した側としては元「慰安婦」は高齢化しているので、たとえ拙速であっても今のうちに補償しなければならないという判断がありました。これに対して挺隊協などは民間基金ではなく政府による公的な基金でなければならないとして、元「慰安婦」の利益よりもむしろ「政治的な筋を通す」ことを優先したわけです。私としては前者の立場により共感します。 2000年代以降では現在がもっとも「慰安婦」問題に注目が集まっているように思うのですが、その割には、みなさん妙にのんびりしているように感じるのは私だけでしょうか
一般個人が適当なことをつぶやくのはともかく、メディアがそれを鵜呑みにして適当な情報を拡散させるのはいかがなものかと。 ツイートによると、「変」は「成功したクーデター。成功して世の中が変わった、という勝者の視点から」、「乱」は「失敗したクーデター。反乱が起きたものの鎮圧した、というこれも勝者の視点」とのこと。あと、ほかに「○○の役」というのもあり、こちらは「他国や辺境での戦争。他国からの侵略(元寇=弘安の役)でも使われる」だそうです。 「○○の変」と「○○の乱」の違いって? 日本史の勉強が捗る豆知識ツイートが話題に - ねとらぼ ぱっと思いつくだけでも「壬申の乱」「応天門の変」「禁門の変」など上記の定義にあてはまらないものが多いようです。ただ、同じ事件を扱っていても教科書によって呼称が違うケースも多く存在し(「薬子の変」を「薬子の乱」と書く教科書もあるし、「禁門の変」を「蛤御門の戦い」と書く
17: ジャーマンスープレックス(SB-iPhone):2013/07/31(水) 16:56:54.26 id:yR0+anU9P 公共の場での化粧は、外国でやると売春OKのサイン。 中国行った時、高級ホテルのロビーで化粧してた日本人観光客の集団が、従業員に注意されてたわ。 http://news.2chblog.jp/archives/51758634.html 電車のなかで化粧をする女性を批判する文脈で上記の話がしばしば引用されるのですが(特にここ数年頻繁に目にします)、実際に海外で日本人女性が人前で化粧をしたとしても売春婦に見られるわけではなく、せいぜい「不作法」「行儀が悪い」と思われる程度であることはすでに複数の人が指摘しています。 この“人前で化粧”という行為は、海外では本当にそこまで意味深なものなのでしょうか? 丸山さんによれば、海外で日本人女性が人前で化粧をしたとしても、ネ
明治42年(1909年)10月、ロシア帝国蔵相ウラジーミル・ココツェフ(ココフツォフ)と満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、大韓帝国の民族運動家・安重根によって射殺された。このとき伊藤は「3発あたった。相手は誰だ」と叫んだという。安はロシア官憲にその場で捕縛された。伊藤は絶命までの約30分間に、側近らと幾つか会話を交わしたが、死の間際に、自分を撃ったのが朝鮮人だったことを知らされ、「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と呟いたといわれる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87 最近2chまとめブログで「韓国併合に反対だった伊藤を暗殺した安重根は馬鹿だし、その安を英雄扱いしている今の韓国政府も馬鹿」みたいな話をよく目にするのですが、その論拠になっているのが(たぶん)上記のwiki
最終更新2014/10/5 ざっくりした通史 http://togetter.com/li/527959 大正時代の「社会の発見」について以前書いたもの http://d.hatena.ne.jp/tukinoha/20110128/p1 大正時代の分は以下に移行。 http://d.hatena.ne.jp/tukinoha/10000109 【方法について】 ・左古輝人「社会概念の再検討」『人文学報』43号(2008年) ・「社会を定義すること」と社会概念史の違い 彼らは〈社会〉を定義するとすぐに、そそくさと自ら定めた規約から見えてくる対象の観察へと向かってしまうのが常なのである。いわんや社会学者が用いる〈社会〉の諸概念が自然言語における〈社会〉とのあいだに持つ関係についてなど、管見する限り一度も考察されたことがない。 〔中略〕 問題は《〈社会〉をどう定義するか》ではなく、《〈社会〉が
近代日本の右翼思想 (講談社選書メチエ) 作者: 片山杜秀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/09/11メディア: 単行本購入: 10人 クリック: 210回この商品を含むブログ (43件) を見る日露戦争後から第二次大戦までの右翼思想を包括的に扱おうと試みた、意欲的な一冊。あまりに包括的すぎるため、頁が進むにつれて無理が目立つようになるが、無思想・大衆迎合的と見做される傾向の強い蓑田胸喜や三井甲之といった「原理日本社」の連中をきちんと思想史の中に位置づけたことは大いに評価されるべきだろう。もっとも、蓑田が無思想だと思われてきたのは、滝川事件において滝川教授を私怨によって批判したと思われる節があるためで、同情には値しないだろうが…… 内容を要約すると以下のようになる。著者の言う右翼とは、すなわち「失われた過去に立脚して現在に異議を申し立てる」ものであり、日露戦争後の社会不安の増大
世の中のほとんどの人間は、馬鹿でもない代わりにさほど賢くもなく、独創的なこともしない代わりに独りよがりなこともしない、ということは我々が日々実感するところですが、こと歴史に関しては「名君/暗君」「文明/野蛮」「進歩/退嬰」の二分論で切り分けたくなるのもまた然り。専門の歴史学者もこうした二分論から完全に自由にはなっていないのですが、しかし、これはちょっと如何なものかと。 いま使われている歴史の教科書では聖徳太子の事績や実在に疑問がつけられたり、鎌倉幕府の成立が1192年ではなくなっている。「いいくに作ろう鎌倉幕府」は今や「いいはこ(1185年)作ろう鎌倉幕府」になっているのだ。 そして、教科書の変化で目に付くのは、人物評価の「上がった人」「下がった人」の明暗である (中略) 劇的に評価が上がったのが、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉である。1988年版にはこうある。 〈生類憐みの令をだして犬や鳥
個人的には今までで一番良かったと思うのですが、皆さんはどうでした? 扱われているそれぞれのネタは既視感があるというか、いつものロミオ節だなという感じなのですけど、組み合わせ方が抜群にうまいですね。第7巻の学級崩壊に関する話があまりひねりのない話だったので、第8巻の序盤でヤンママが出てきたときは「またか」と思ったのですが、まさか最後にあんな展開になるとは……。ちょっとほろりとくる、ある意味『人退』っぽくない話です。 人類は衰退しました 8 (ガガガ文庫) 作者: 田中ロミオ,戸部淑出版社/メーカー: 小学館発売日: 2013/02/19メディア: 文庫購入: 6人 クリック: 29回この商品を含むブログ (27件) を見るところで。 『人退』が衰退しつつある未来の社会を舞台にした現代社会の風刺劇であることは明らかであるとして、「普通ではない例外的な状況のなかにこそ物事の本質が現れる」というひ
なんとなく最近某ゼミで報告した際のレジュメを編集して公開します(ほとんど勉強ノートですが)。 取り上げているのはフランスの現代思想家ジャン=リュック・ナンシーとイタリアの文芸評論家兼思想家のジョルジュ・アガンベン。共通点はドゥルーズの影響を強く受けていること、主体subjectの再定義によって「共通点をもった人々の集まり」と捉えられがちな共同体communityの再定義も可能になると考えていること、ですね。ナンシーはのちに心臓移植をうけて「身体」を議論の中心にもってくるようになるのですが、それでますます「むき出しの生」を論じるアガンベンとの距離が縮まっていきます。なので、このレジュメでも両者の違いは論じません。 なお、このレジュメでは結構肯定的に書いていますけど(理解することが目的なのでそうなってしまう)、私はこういう「存在論から言語や労働を解き明かす」というやり方に対しておおむね否定的で
よほど売れているのか近所の書店では全然見かけなかった、丸戸史明のラノベ『冴えない彼女の育てかた』をようやく読了。私には正直合わなかったのですが、オチはものすごく丸戸らしかったですね。 冴えない彼女の育てかた (富士見ファンタジア文庫) 作者: 丸戸史明,深崎暮人出版社/メーカー: 富士見書房発売日: 2012/07/20メディア: 文庫購入: 8人 クリック: 186回この商品を含むブログ (60件) を見るところで最近、虚淵玄の『まどか☆マギカ』、田中ロミオの『人類は衰退しました』と、ゲームやアニメにおける「ご都合主義」の存在を擬人化したり象徴化したりする作品が目につきますが、丸戸『冴えない彼女の育てかた』もその系列に入るのではないかと思います(あと伊藤ヒロの『アンチ・マジカル』)。奇しくもエロゲのシナリオライター、それも有名どころが勢ぞろいの観がありますけど、似たようなモチーフのなかに
大阪市平野区の自宅で当時46歳の姉を刺殺したとして、殺人罪に問われた無職大東一広被告(42)の裁判員裁判で、大阪地裁は30日、求刑の懲役16年を上回る懲役20年の判決を言い渡した。 判決理由で河原俊也裁判長は、約30年間引きこもり状態だった被告の犯行に先天的な広汎性発達障害の一種、アスペルガー症候群の影響があったと認定。その上で「家族が同居を望んでいないため社会の受け皿がなく、再犯の可能性が心配される。許される限り刑務所に収容することが社会秩序の維持にも役立つ」と量刑理由を説明した。 ――「姉殺害に求刑超え懲役20年判決 発達障害で「社会秩序のため」」『47news』2012年7月30日http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012073001002297.html―― このニュースを読んで思い出したことを少し。 犯罪人類学という、いまやほとんど忘れ去られた、法
以前、ロナルド・トビ『「鎖国」という外交』を本屋で見かけたときは、上手いこと言うなぁと感心したものでした。 「鎖国」という外交 (全集 日本の歴史 9) 作者: ロナルドトビ出版社/メーカー: 小学館発売日: 2008/08/26メディア: ハードカバー クリック: 46回この商品を含むブログ (20件) を見るところで最近では「鎖国」という言葉が、江戸時代の実態を表す言葉として適切なものではなく、いわゆる「四つの口」(対馬・長崎・薩摩・蝦夷地)を通した、それなりに豊かな交易関係を築いていたことは広く知られるようになってきました。中高レベルの日本史教科書でも、近年のものであればこの辺の事情にはだいたい言及しているのではないでしょうか。先月刊行された田中優子『グローバリゼーションの中の江戸』も、啓蒙的な本ではあるのですが、上記の意味であまりインパクトはないかもしれません。むろん、オランダとの
もし、「現実に生きられた歴史の記憶と主体性の有する非連続的なエネルギー」にふさわしいナラティヴをあたえることができるならば、ネイションを解釈する現世内的な言葉によって、その水平で批判的な眼差しは克服されていくことになろう。私たちが必要としてるのは、エクリチュールがもたらすもうひとつ別の時間なのだ。 ――ホミ・バーバ「散種するネイション」―― 1 ロラン・バルトが「作者の死」を宣告してから40年以上経過した現在、「作家論」は括弧付のものでしかありえないだろう。それを「作品論」といいかえても、あるいは出来事(歴史)を語ること一般に敷衍したとしても、事情は変わらない。あらゆる言葉は事物や出来事に着陸することなく、どこまでも上滑りしていくように思われる。だが、作者という概念を完全に手放したとき、作品を語ることは出来ても、誰かと「同じ」作品を語ることは出来なくなる。作者とは、作品を読む人々が互いに差
Rewrite 初回限定版 出版社/メーカー: KEY発売日: 2011/06/24メディア: DVD-ROM購入: 11人 クリック: 449回この商品を含むブログ (82件) を見る今回はTerra編。この作品のクライマックスであり、白眉。文明史であり、割と素直な恋愛物語でもある、という二面性が素敵ですね。文明と恋愛がどこでどう繋がっているのか、少し考えてみる必要があるでしょう。ちなみに私の好きな台詞は、篝「考えるべきはヒトの役目。/知性の責務を、いつになったら果たしてくれるのですか?」 ・世界の狭さ 瑚太郎「人は必ず敵対する。必ずだ。どんな状況からでも相手のすることにケチをつける。/なぜだか、それはどんなに文明が発展しても、起こる。受け入れがたい相手が必ず出てきてしまうんだ」 篝「不合理すぎます」 瑚太郎「そういう反発する力が、進化には必要だったんじゃないかな…よくわからんけど。/け
Rewrite 初回限定版 出版社/メーカー: KEY発売日: 2011/06/24メディア: DVD-ROM購入: 11人 クリック: 449回この商品を含むブログ (82件) を見るサボっているあいだに原稿の締め切り直前となってしまったので、ペースを上げていきます。今回は個別ルート。 個別ルートは物語全体のなかでの位置づけが難しい。というのも、後のTerra編で明らかとなるように、個別ルートに入ってしまったことがそもそも失敗であるのですが、その一方でTerra編に至るために必要な条件(つまりMoon編の瑚太郎を構成する要素)のいくつかがここで満たされるからです。 ・特別でない自分 特別だと思っていた自分が、実は全然特別ではない。それが最も露骨に示されるのが『AURA』なのですが、『Rewrite』ではそこからふたつの教訓が導き出されます。1.組織を作ること。2.他者とのかかわりのなかで
だいぶ間が空きましたが、前回の続きです。 前回は大正15年までを調査し、その結果 1.「社会人」という言葉自体、あまり使われない。 2.使われたとしても(監獄の囚人などと区別される)「一般社会で生きている人」くらいの意味。 3.戦後の早い時期に「社会人=職業人」という用法が確立する。 4.ということは昭和戦前期あたりに用法の転換がありそうだが、「特殊領域」と「一般領域」を区別しその一方を指す、という風にみれば用法は一貫しているのかもしれない。 ということが判明しました。 ところで前回の記事を書いたあと、近代デジタルライブラリーに昭和戦前期の資料が追加され、検索をかけるだけでこの時期における「社会人」の用法を追うことができるようになりました。いやー、便利な時代になりましたね*1。 (1)信濃教育会編『支那の事情』昭和2年 第4章「支那社会と其の組織」第1節「現代社会人と政治」 用法は明瞭で、
Rewrite 初回限定版 出版社/メーカー: KEY発売日: 2011/06/24メディア: DVD-ROM購入: 11人 クリック: 449回この商品を含むブログ (82件) を見る今回は共通パート、すなわちオカルト研究会の結成〜崩壊までを取り上げます。ストーリィダイジェストをするつもりはありませんが、未読者に配慮するつもりもないので、その旨ご了解ください。ちなみに今月号の『メガストア』のインタビューで田中ロミオは『Rewrite』のシナリオ分担について「担当キャラクターのシナリオを各自が書き進めていく形」なのだけど「私はそれとは別に序盤のベースシナリオを描いていて、これに各ヒロインシナリオからイベントを持ち寄って再構成する形でまとめてもらったものが共通ルート」であり、「私のテキスト含有量は高め」と語っています。 ・森の暗さ、命の不気味さ 神戸小鳥「命って、汚くてくさくて、不気味なもの
無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考 作者: ジャン=リュックナンシー,西谷修,安原伸一朗出版社/メーカー: 以文社発売日: 2001/06/15メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 51回この商品を含むブログ (29件) を見るOutline:バタイユ、ハイデガーの読み直しを通して、「個人」や「主体」に還元されない人間の単独性=特異性Singularityのあり方を解き明かし、かつ、それとの関連において共同体Communityの概念を再定義する。 ・ノスタルジアとしての共同体 近代とは、一般的に、「共同体」が解体された時代として定義されている。このとき想定される「共同体」とは、「ある同一性identityが複数性pluralityのうちに分有され伝播diuuysionされ、浸潤impregnationされることによって作られるのであり、その複数性を形成する各成員はまさにそれゆえに
自己と異なる他者に異なるものを発見し、異なるがゆえにそれを讃える人類学者は、自己の集団から遠く離れ、他者の集団にも決して同化することができないような存在である。そして彼の観点や方法は、あくまで彼の出自を決定している西欧の体制と歴史に属するのだ。 『悲しき熱帯』という書物が感動的なのは、このような引き裂かれたままに、どんな図式も解決も与えずに示しているからだ。この人類学者は差異について考えるばかりか、差異をとらえる方法やそのことの意味まで問うている。残念ながら文化人類学を新しい学や知として読む人々にはそれはどうでもいいことだった。 (宇野邦一『反歴史論』せりか書房、2003年、46頁) 田中ロミオの作品からは、文化人類学の香りがする。彼が都市や社会の形態を描く際にはその法則性や合理性が強調されるが、それは誰かの意識によって設計されたためではなく、人間にとっての自然(そこには無意識も含まれる)
更新をさぼっている間も今季のアニメを見たり、少し前のアニメをDVDで見たりしていたのですが、その中で一番いいなぁと思ったのがこの作品。ギリギリセーフ、いや、アウト?な性描写で話題をさらっていったという点で記憶に新しいのですが、これ、普通によく出来た作品ですよね。私からすれば、性描写で話題になったことは逆にもったいないなぁ、とさえ思ってしまう(余計なお世話ですが)。 まず、OPが秀逸。演出家の作家性は短い作品でこそ発揮されるものですから当然なのでしょうが、本編の演出から受ける印象がぎゅっと濃縮されています。OPを見て気に入ったのなら、本編もおそらく気に入るでしょう。タイトル通り「空」が印象的。OP曲のサビに移るときに現れる青空、本編の物語が佳境を迎えた時に現れる夕焼け空、結末の夜空。淡々と、しかし抒情的な演出のなかに挟み込まれる、吸い込まれるような「空」の描写には、思わずはっとさせられます。
最近、東京都副知事にして作家(!)であらせられる猪瀬直樹氏が、twitterで以下のようなに呟いていました。 仕事をしない専業主婦は、パートでもなんでも仕事をして社会人になってください。(放射線量の:引用者)数値の意味がわかるようになるしかありませんから。不確かな気分で子どもを不安にさせてはいけません。 http://twitter.com/#!/inosenaoki/status/60776864368693248 この文章でもっとも重要な単語が「社会人」であることは明らかでしょう。「社会人」とは仕事をしている人間であり、また、市民としてふさわしい理性を身に着けた存在である。裏返せば「仕事をしていない主婦は馬鹿だ」というわけです。 (東京都民でもない私としては)この発言にとやかく言うつもりはないのですが、「社会人」という言葉が他人を罵倒するうえで「有無を言わせない」便利な言葉として使われ
今回は創価学会の話をしましょう。なんでこの連載で創価学会?関係ないだろ、と思われるかもしれませんが、ど真ん中です。取り上げるのは、創価学会の前身・創価教育学会の設立者である牧口常三郎、そして大正期を代表する哲学者・左右田喜一郎です。 牧口が北海道尋常師範学校を卒業し、小学校教員として就職したのは1893年のことでした。それ以来、牧口は教育者兼教育学者としてのキャリアを歩いていきます。1928年に日蓮正宗に入信し「宗教と教育」を2本柱とした活動を展開していきますが、その根本にあるのは、明治末〜大正にかけて流行したカント哲学、正確にはドイツの新カント学派を経由したカントを牧口なりに解釈した教育理論でした。では、「新カント学派を経由したカント」とはいかなるものなのか。簡単に言えば、科学を価値哲学によって基礎付けたカント、ということです。というわけで、牧口の教育理論のキーワード「価値の創造」(ひっ
人間は考える芋だと思いました。いつだって芋蔓式だから。 ―93頁― 人類は衰退しました 5 (ガガガ文庫) 作者: 田中ロミオ,山崎透出版社/メーカー: 小学館発売日: 2010/01/19メディア: 文庫購入: 17人 クリック: 496回この商品を含むブログ (132件) を見る今巻には主人公の学生時代を描いた「妖精さんの、ひみつのおちゃかい」、オールドゲーマー向けのパロディを散りばめた「妖精さんたちの、いちにちいちじかん」の2話が収録されています。後者の話もそれなりに興味深いのですが、今回は前者の話に注目してみましょう。ある意味、いままででもっとも「ロミオらしい」話になっています。 ロミオ作品では、ちびっ子はいじめられると相場が決まっていて、学生時代の主人公もその例に漏れずいじめられてしまいます。今回の妖精さんの役目はふたつ。ひとつは主人公との交流のなかで、主人公自身を客観化する「鏡
「暴れカンガルーだーっ!暴れカンガルーが出たぞーっ!」 ヒロイン(狭義の意味)の天上ウテナは、昔自分を助けてくれた王子さまに憧れるあまり、自分が男装の麗人になってしまった中学生。宝塚スターのように黄色い声援を浴びていたところ、偶然なのか運命なのか、エンゲージ(よくわかんない)すると「世界を革命する力」という、これまたよくわからない力が手に入る少女を奪い合うエンドレス決闘ゲームに巻き込まれてしまいました。 ウテナの運命やいかに! ……という時代がかった引き方をしつつ、こんなの見ましたと言ってみる。 少女革命ウテナ L’Apocalypse:1 [DVD] 出版社/メーカー: キングレコード発売日: 1998/12/27メディア: DVD クリック: 41回この商品を含むブログ (50件) を見るまだ途中なのでストーリィの感想は次回に回しますが、演出面についてだけ言及します。 wikipedi
ところで、我々の関心の対象である「社会」は、その抽象性ゆえに実証主義的な手続きで研究を行うことが困難な代物です。社会はその誕生と消滅を外部の制度によって保障されておらず、また、社会それ自体を具体的な制度に還元することもできません。そうであるがゆえに「社会はあるとも言えるし、ないとも言える」という何も言ってないに等しい言明が通用してしまうわけです。 歴史学における「理論」の必要性とは、このような存在を取り扱うことにあると言えるでしょう。非研究者にとっては往々にして、実証主義になじみにくい存在のほうが重要であり、研究者がそれを放棄すれば、神話やイデオロギーによる解釈がそれを占領してしまう。戦後のドイツに現れた社会構造史学派が、社会全体の構造を解き明かすことと、歴史学における理論の重要性を強調したのも、大まかに言えばこのような問題関心に基づいています。 〔社会構造史学派の基本的な立場とは〕考察対
人類は衰退しました (ガガガ文庫) 作者: 田中ロミオ,山崎透出版社/メーカー: 小学館発売日: 2007/05/24メディア: 文庫購入: 37人 クリック: 621回この商品を含むブログ (569件) を見る今後また、それなりの分量の田中ロミオ論を書く予定が出来たので、「最近のロミオ」についての見当をつけるために『人退』シリーズを読み返してみることにしました。 第1巻の前半は舞台設定の解説とキャラクタの素描が主で、その後の巻に比べればやや退屈。とはいえ、さすがに手際よく解説していきます。人類をはるかに上回る知性をもつ「妖精さん」。多少なりとも警戒感を抱いてしまうのですが、主人公の先任者が妖精さんに毎日ビフテキと酒をごちそうになって肝硬変で死んだ、というくだらない話で主人公と読者を安心させる、とか。 最近『C†C』の公式設定資料集を見て、ロミオが「私は明確なテーマを決めて書いているわけで
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006825822 最近初めて読みましたが、傑作ですね。ポスドク問題の「救いのなさ」を、元当事者の視点から鋭く切り取ったエッセイです。ポスドク本人、大学、行政、社会の無理解、そのどれかに責任を押しつけて済むような単純な話ではなく、深刻な構造的な問題であるということがよくわかります。 「良い研究ができれば気分の問題などは関係なくなる」 確かに一つの真理であるが、残念ながらこれは気分の問題などではない。 「自分の若い頃はそれは大変な苦労をしたものだ」 一円あればタクシーで東京中を走り回れた時代の話などは誰も聞いていないのだし、そもそも何の関係もない。 今の大学はただ常識的に生き続けることさえ困難な体制に移行しつつある。ただ、生き延びられる人が生きて研究を続けられることを祈るだけだ。多分、この言も定年までの任期を持つスタッフの方々の心には響
1 近代日本において「社会」という概念装置がどのような社会的状況の中から現れ、そしてどのような役割を果たしたのか。このような問いにたいして、人によっては1920年代における吉野作造の思想的転回について想起するのではないか、と思われます。 吉野は明治38年の時点において「吾人の観る所に依れば国家といふも社会といふも全然別個の観念にあらず。……統治なくしては社会は成り立たざるが故に……社会と国家は別物に非ず」と述べていますが、要するにこの時点の吉野にとっての社会とは、国家という全体性を前提としたうえで、そこから零れ落ちてしまう余剰のようなものでしかなかったと言えるでしょう。それが1920年代に入ると「法律と武力即ち一言にして言へば権力」を根本原理とする「国家」と、それよりも広いカテゴリとしての「社会」とが明確に区分されるようになる[吉野1921]。それをより広い文脈に位置づけるならば、明治期の
ジャック・ドンズロ『家族に介入する社会』のあとがきに、ドゥルーズが「社会的なものの上昇」という短い書評を寄せています。近年の社会思想史研究で注目を集めている「社会的なもの」についての基本文献といえるこの書評のなかで、ドゥルーズは以下のように述べています。 社会的な領域は、司法領域に新しい拡がりを与えるとしても、それと混同されることはない。・・・・・・というのは、社会的なものがまさに社会経済のすべてを作り、新しい基礎に基づいて富裕なひとと貧しいひとを区別するからである。社会的なものは、公的な領域とも、私的な領域とも混同されない。なぜならば、社会的なものは、逆に公的なものと私的なものの新しい雑種的なかたちを導入し、そしてそれ自体が、国家の介入とその撤退、国家の負担とその軽減の再分配と独自のからみ合いを作り出すからである。*1 社会的な領域とは公的なものと私的なものの雑種的な領域であり、それは1
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