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今年の「#文学」
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もともと「海外文学アドベントカレンダー 2022」の記事として、「海外文学の新刊まとめ2022」を書く予定だった。 ところがうっかり、不可避の寝不足が続いて執筆計画が破壊されたので、ブログの下書きを掘り返し、数年前に書いたまま眠っていたものを、代打として出すことにした。 なお、「海外文学の新刊まとめ2022」は、12月中か1月には公開予定。 それでは本編。 ■マンションポエム マンションポエムとは、高級マンション広告に添えられたキャッチコピーである。 2015年頃から注目を集め、Web記事でもたびたび取り上げられ、現在ではすっかり定着した感がある。たとえばこういうやつだ。 洗練の高台に、上質がそびえる (プラウドタワー南麻布) 世田谷、貴人たちの庭。 (シティハウス用賀砧公園) これらのキャッチコピーは、土地に住むイメージを、抽象的で装飾過多な言葉選びで表現する。 マンションの詳細情報は、
共産党はキリストの弟子だということを知っているかい? ――閻連科『心経』 多くの現代日本人は、宗教のことなどわからない、と言う。一方で、クリスマスと仏教式葬式とお参りを熱心に行う。不確かな未来を生きるための指針として、占いは大人気コンテンツで、巨大産業だ。 日本では、宗教共同体の形は目立たずとも、「ご利益」「未来の行動指針」「見えない力」への信仰が根強く、日常生活に溶けこんでいる。多神教をベースにした、「アジア的混沌」とでもいえる宗教観だと思う。 では、中国共産党が支配する中国では、宗教はどういう立ち位置なのだろうか? 「タブーの作家」と呼ばれる作家は、「中国×宗教」のテーマで、驚くべき宗教カオス小説をつくりあげた。 心経 作者:閻 連科 河出書房新社 Amazon 舞台は、北京にある「五大宗教研修センター」。政府が活動を認める五大宗教(仏教、道教、イスラム教、カトリック、プロテスタント)
銃弾と成り行きはさまよい、今もまだ不意をついてわたしたちの身体に降りかかる。 ーートミー・オレンジ『ゼアゼア』 銃弾によって開幕し、銃弾が重要な役割を果たす小説『ゼアゼア』は、小説そのものも銃弾のようだ。 銃弾のような言葉には、信念、理想、怒り、呪い、これらの激情がこめられていて、不意打ちのように現れては、読み手を貫く。 ゼアゼア 作者:Tommy Orange 五月書房新社 Amazon 21世紀のカリフォルニア州オークランドに住む、都市インディアンの群像劇である。 都市インディアンは、都市部に暮らすアメリカ先住民族だ。狩猟経験もテント生活も経験がなく、大自然よりも都市の騒音と高層ビルに慣れ親しんでいる。名前や顔立ちはインディアンで、インディアンとしてのアイデンティティはあるが、祖先の文化はWikiやYouTubeから学んでいる。 インディアンでありながら、保留地に暮らすインディアンほど
「家、どこにあるか覚えてる?」 「覚えてるわ」アンヌシュカは言った。「クズネツカヤ通り四十六番地、七十八号室」 「それ、忘れなよ」 ーーオルガ・トカルチュク『逃亡派』 10代の頃からずっと、「逃亡」へのゆるやかなオブセッションを抱え続けている。 ここではない別の場所へ行きたい、違う場所へ移動したい、という思いは、自分の意志と資金で行動できる年齢になった時、「旅行」という形で現れた。 10代から20代前半にかけて、移動への引力に引きずられるようにして、旅をしていた。すぐ移動しなくては、と発作のように思いつくので、友人と計画を練る暇などなく、だいたいは1週間以内にぱぱっと目的地を決めて計画をつくって実施する一人旅だった。いつ移動発作がきてもいいように、目的地不明の旅行資金口座を持っていた。 目的のない旅、逃げる対象があいまいな逃亡、移動そのものへの欲求。『逃亡派』にも、こうした移動と逃亡の引力
2021年は、海外文学の新刊を読みまくった。 『本の雑誌』の新刊ガイド連載「新刊めったくたガイド」の海外文学担当になったからだ。 「新刊めったくたガイド」は、ジャンルごとにわかれて、毎月4冊以上の新刊を紹介する連載だ。日本文学、海外文学、SF、ミステリ、ノンフィクションと、ジャンルごとに担当者が書いている。 本の雑誌463号2022年1月号 本の雑誌社 Amazon これだけ新刊まみれになるのは人生はじめての経験だったので、記憶が飛ばないうちに、読んだ海外文学の感想を書いておくことにした。 ここで言う「新刊」の定義は以下のとおり(『本の雑誌』ルール)。 ・2021年に発売した、海外文学の翻訳 ・新訳、復刊は対象外 目次 ■2021年のアイ・ラブ・ベスト本 【アメリカ】ローレン・グロフ『丸い地球のどこかの曲がり角で』 【アメリカ】 ジェニー・ザン『サワー・ハート』 【ポルトガル】 ゴンサロ・
かつて、ドイツ国民の多くがホロコーストや絶滅収容所を知らず、過去を見ないようにしようとする時代があった。 現代ドイツでは、国民は皆、ナチとホロコーストの歴史を学び、ホロコースト否定やナチ礼賛は犯罪と見なされる。 この姿勢から、ドイツは過去と向き合う国家だ、との印象があるが、こうなるまでのドイツは戦後20年近く、うやむやのままに過去を水に流そうとしていた。 『ドイツ亭』は、ドイツ国民にホロコーストと絶滅収容所を知らしめた歴史的な裁判、1960年代の「アウシュビッツ裁判」を描く。 なにが歴史的なのかといえば、ドイツ人がみずからの手でナチ犯罪を裁いた最初の裁判で、ドイツの歴史観や司法に決定的な影響を与えた裁判だからだ。この裁判なくして現代ドイツはありえない、といっても過言ではない。 舞台は、第二次世界大戦から20年近くが経った、1960年代ドイツ。 町の小さな食堂の娘エーファが、偶然のなりゆきで
「お前が好きだ!」彼は言った。 「あなたはわたしのいのちよ!」彼女が答える。 ーーウラジミール・ソローキン『ロマン』 ソローキン初期代表作のひとつ『マリーナの三十番目の恋』を読んだので、10年ぶりに、初期代表作『ロマン』を読もうと思い立った。 10年前は、読書会の参加者たち全員が『ロマン』を読んでロマニストになっていたものだが、皆がロマニストになってしまったので、もうしばらく『ロマン』のことを忘れていた。『マリーナの三十番目の恋』が『ロマン』と同時代の作品だったので、続けて読んでみたらどうだろうと思いついた。 注:初期ソローキン作品はうかつにしゃべると粛清されるので、本エントリは粛清フリー(核心への言及なし)で書いている。 舞台は19世紀末の帝政ロシア。村の名士出身の青年ロマン・アレクセーヴィチが、都会暮らしに飽きて、故郷の村に3年ぶりに帰郷する。 彼の暮らしは優雅そのものだ。叔父叔母と狩
「僕を見てください! 僕を見てくださいよ!」 ーーラルフ・エリスン『見えない人間』 感情と尊厳を持つひとりの人間として扱われたい。おそらく誰もが持つであろう願いだが、実現は思いのほか難しい。人種、性別、特徴、そのほかさまざまな理由で、人や社会は、自分とは異なる人を「人間ではないなにか」としてぞんざいに扱う。 「僕は見えない人間である。僕の姿が見えないのは、単に人が僕を見ないだけのことなのだ」 「見えない人間」とは、無視されるか、都合のいい道具として利用されるかして、ひとりの人間としては扱われないことだ。 1930年代、ニューヨークの地下どこかにいる黒人青年が、怒りをあらわにしながら、都合のいい道具として扱われてきた過去を饒舌に語る。 彼は奨学金を勝ちとって大学に進学したものの、白人の有力者がらみの事件で目をつけられて、大学を追放されてしまう。地元を離れてニューヨークのハーレム(黒人街)に流
「豚のパスタ」 豚の肉とあばら骨の入ったトマトソースをとろ火でじっくり煮込んで、大量のミートボールを作ってから、ジティ(パスタ)とまざあわせる。 パスタとソースがまるで恋人どうしのように寄り添い、全員がとろけるキスの代わりにたっぷりのチーズをまぶして、互いの見わけもつかなくなるまで混ぜる。 ーーアバーテ・カルミネ『海と山のオムレツ』 海外文学を読んでいる時、ごはんシーンはとりわけ好きなもののひとつだ。食べることが好きだし、異国の料理も好き。だからもちろん海外文学の料理シーンも大好きだ。 食べたことがない料理、素材がわからない料理、味を想像できない料理といったセンス・オブ・ワンダー料理もいいし、食べる者みながアーとうめく絶品料理の描写も最高だ。ごはんシーンが出てくると、速度を落としてゆっくりと読むことにしている。 イタリアうまれの作家が書いた『海と山のオムレツ』は、食べることと食事にまつわる
青山ブックセンター本店で、2020年秋に書いた「アメリカ大統領選挙の支持地盤で読むアメリカ文学フェア」を開催してもらっている。 1月末まで開催予定で、その後のフェア開催予定によってはもうすこし伸びる、あるいは場所を移動して続行とのこと。 35冊ぐらい選書して、30冊分ぐらいポップ文章を書いた。 ブログ記事に書いた紹介文は長いので、文字数制限をつけて、ぜんぶ書き直した。 書店フェア向けのポップ文章を書いたのは、2015年の「はじめての海外文学」フェア第1回以来なので、じつに5年ぶり。 文字数制限があるぶん難しくなるけれど、私は昔からわりと文字数制限がある紹介が好きだったことを思い出した。30冊一気にポップをつくる体験ははじめてで楽しかった。 青山ブックセンターのフェア担当の人が、フェア棚を組んでくれて、フェアタイトルなどを作って飾ってくれた。しかも、ブルーステート、レッドステート、スウィング
ブルーム夫妻は大量に、膨大に、薬を持っている。彼女はアッパー、彼はダウナー。男ドクターは"ベラドンナ"の錠剤も持っている。何に効くのか知らないけれど、自分の名前だったら素敵だと思う。 ーールシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』 私がコインランドリーを偏愛するようになったのは、フィルムカメラを持って町をうろついている時だった。 コインランドリーは、とりたてて美しいわけではない家事をやる場所なのに、写真で撮ると不思議と美しい場所になる。整然と並ぶ洗濯機の丸い扉、ぐるぐると回るカラフルな衣類、洗剤のにおい、自分の服を待つ人たちが座る姿、家でおこなわれる家事が公共の場でおこなわれている空間は、家にも学校にも町にも他のどこにもない、特別な雰囲気があった。 その不思議さが好きで、私はコインランドリーを偏愛していて、コインランドリーが出てくる作品は好感度があがる。 だから、ルシア・ベルリンの短編集は
「あんたただ一人だ」と彼は夢見るように言った。「あんただけだ」 ーーカーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』 マッカラーズ『心は孤独な狩人』を知ったのは7〜8年ぐらい前、評論かエッセイかなにかを読んでいた時だった。『心は孤独な狩人』”The Heart Is A Lonely Hunter"というタイトルの響きに惹かれた。ただ日本ではもう長らく絶版で、当時は電子書籍版もなかったので、原書で少しずつ読んでいた。 マッカラーズが描くさびしさがつくづく胸に迫るので、なんでこんないい小説が絶版のままなのだろうと思っていたら、なんと村上春樹訳で復刊した。しかも出なかった理由が「村上春樹の最後のとっておき」だからだなんて! ぜんぜん予想と違っていて、びっくりした。 そんなわけで、マッカラーズ『心は孤独な狩人』新訳での復刊は、私にとってはけっこうな慶事なのである。 こんなに混み合った家の中で、人がこんな
「警官とまぐわうのは山の中でその山とまぐわうようなもの、密売人とまぐわうのは砂漠の空気とまぐわうようなもの、ってこと?」 「まさにそうなの。密売人に抱かれると、いつも嵐のなかにいるみたい」 ーー ロベルト・ボラーニョ『2666』 年に1〜2回ほど、気まぐれに開催する海外文学読書会 鈍器部の、2020年最初にして最後の課題本がボラーニョ『2666』だった。 『2666』について考えると、最後に開催した読書会のことを思い出す。寒い冬の日だった。あの頃はまだ皆で集まって話して、それぞれの本を積んで写真を撮っていた。そういうことができていた時だった。 メキシコでは、文学は幼稚園や保育園みたいなものなんです。理解していただけるかどうか。 全5章、900ページ弱、すべての章で登場人物とプロットと書き方が異なる独特のスタイルのこの小説は、大きな軌道を描いて核心に近づいていき、核心をかすめて消えていく、巨
小澤みゆきさん(@miyayuki777)主催の「文芸アドベントカレンダー」に登録して、なにを書こうかなーと考えながらぼんやり生きていたら、「今年に読んでよかった/印象深かった文芸作品を紹介する」とテーマが決められていたことに昨日、気がついた。 自分が主催する「海外文学アドベントカレンダー」が「海外文学のアトモスフィアを感じるエントリ」とゆるいテーマに設定していたため、なんとなく「文芸のアトモスフィアを感じるエントリ」がテーマだと思いこんでいた。よく読まずに応募する癖が今回も遺憾なく発揮されて大変遺憾である。 とはいえ、テーマがきっちり決められていると、悩まなくてよい。過去のことは水に流そう。そんなわけで、「今年に読んでよかった&思い出深い海外文学3冊」。 ロベルト・ボラーニョ『2666』 2666 作者:ロベルト ボラーニョ 発売日: 2012/09/26 メディア: 単行本 2019年
noteからの移行先を探している声をTwitterでよく見る中、「codoc(購読ウィジェットサービス)+ブログサービス」で、noteみたいな購読ができるらしいと聞いた。 人に勧めてみるからには、自分でまずやってみないといかんと思い、とりあえずなにか有料コンテンツを作ってみることにした。 サポートしたら選書リクエストできる企画 選書リクエストしたい人 リクエストしないけど他者のリクエストが気になる人 まとめ サポートしたら選書リクエストできる企画 有料コンテンツとして「サポートしたら選書リクエストできる企画」をつくってみた。 400〜1000円をサポートしたら、1〜3冊の選書リクエストができる企画。リクエスト料金は下記。 ・1冊リクエスト:400円 ・3冊リクエスト:1000円 独立系書店の有料選書サービスを参考にした。 一万円選書とは - (有)いわた書店 【カウセリング選書サービス】レ
これまでたくさんの小説に挫折してきた。いったいどれほどの本を手に取り、本棚に戻したことだろう。 これは、私と、私と本棚を共有してきた妹による、とりわけ思い出深い「挫折した海外文学」の記録である。 この記事は、主催している「海外文学・ガイブン アドベントカレンダー」12月1日分として書いた。12月1日から25日まで、ガイブンにまつわることを、いろいろな人が書いてくれる予定。 海外文学・ガイブン Advent Calendar 2020 - Adventar マルセル・プルースト『失われた時を求めて』 ウィリアム・ギャディス『JR』 ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』 ナサニエル・ホーソーン『緋文字』 ウィリアム・ フォークナー『響きと怒り』 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 まとめ:人によって感想と挫折は違う。挫折もまた読書である みんなの #挫折した海外文学選手権 マルセル
一般に、地図の用途といえば、経路や地形を調べることだ。旅の手引きともなる。だが、歴史を振り返ると、こうした用途ばかりではないことがわかる。 ーーアン・ルーニー『地図の物語』 かつて地図が小説に似ていた時代があった。 「地図」といえば、今ならメルカトル図法の地図やGoogle Mapが思い浮かぶ。これらの地図は世界共通で、国や人や文化によって変わるものではない。 しかし、世界共通の地図になったのは、ここ数世紀のことだ。人類の歴史の長いあいだ、地図は独創的で個性的な、想像力の住処だった。 本書は、紀元前から21世紀まで、人類が残してきた世界中の地図140点をフルカラーで紹介している。 本書を読んでいると、古代の地図は現代よりもずっと多様で独創的だったことがわかる。 たとえば、アステカ文明の地図には、地形だけではなく、歴史や文化の情報、つまり「積み重ねた時間」の情報が描かれている。 マーシャル諸
自分はどこの人間でもない。あそこは、自分が生まれたあの土地は、寒かった。あの狭い道、向かい風と荒天のなか、頭を低くして歩く人々の姿を鮮明に思い出した。自分のことを待つ人はどこにもいない。 ーージョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ『忘却についての一般論』 30年近く続いた内戦を籠城し続けて生き延びた、驚くべき女性の話である。 舞台は、アフリカ大陸の南西海岸に位置するアンゴラの首都、ルアンダ(ルワンダではない、ルワンダはアフリカにある別の国だ)。 姉の結婚とともにアンゴラに移住したポルトガル人女性ルドは、いわば「アンゴラの引きこもり」だ。彼女は外を歩くことが恐ろしくてたまらず、家の中から出られない。 ルドが部屋で静止した時間を生きている中、アンゴラは激動する。ポルトガルから独立して、そのまま泥沼の内戦へと地すべりしていく。国外退去どころか部屋から出られないルドは、愛犬とともに、引きこもりサバイバ
2020年アメリカ大統領選挙は激戦だった。2016年大統領選挙以降、世界中で、共和党と民主党それぞれを支持する「支持州」と「支持層」に注目が集まったように思う。 アメリカの大統領選挙は、人口ごとに選挙人数が割り振られ、州ごとにどちらかの政党を選ぶ「勝者総取り方式」が大半だ。そして州ごとにどちらかの政党を選ぶ傾向があり、この傾向は「土地」と「社会構成」を反映するため、多くのニュースやエッセイが問いを投げかける。 各政党の支持地盤はどんな地域か、どんな歴史があるのか、どんな人たちが住んでいるのか? この問いにたいする論考やエッセイ、書籍はすでにたくさんあるが、「アメリカ文学」もこの問いにたいして答えのひとつを持っている、と思う。 文学は、土地と社会と人によって育まれる。「どんな人たちなのか」「その人たちが生きる土地はどんな場所か」「その土地はどんな歴史を持っているのか」を知るには、うってつけだ
「トショカンってなに?」 「本をしまってある場所。本でいっぱいの部屋が、たくさん、たくさんある」 「それって、邪なもの?」わたしは訊いた。「そこにある本って?」わたしは部屋いっぱいに爆発物が詰めこまれているさまを想像した。 ーーマーガレット・アトウッド『誓願』 女性が男性に徹底服従させられるアメリカを描いた胃痛抑圧ディストピア小説『侍女の物語』は、赤い小説だった。赤は、高位男性に仕える侍女たちが着る服の色、血の色、妊娠の徴の色、怒りの色、警告の色、不穏の色で、表紙から中身まですべてが赤に染まっていた。 34年ぶりに出た続編『誓願』の表紙は、赤の補色(反対色)、緑である。『侍女の物語』続編が出ると聞いた時、またあの不穏で孤独なつらさを味わうのかと思っていたが、表紙の色を見た時に、これは希望が持てるのかもしれない、と思った。 舞台は『侍女の物語』から15年後のギレアデ共和国。ギレアデ建国時の動
ヴェネツィアは、なによりもまず私をなぐさめてくれる島だった。 ーー大竹昭子 『須賀敦子のヴェネツィア』 イルマ・ラクーザ『ラングザマー』、アンリ・ドレニエ『ヴェネチア風物誌』と続けてヴェネツィアにまつわる本を読んだので、さらにもう一歩、ヴェネツィアの路地裏に迷うことにした。アンリ・ドレニエのヴェネツィアは喜びと愛に満ちていた。須賀敦子のヴェネツィアは、悲しみと追憶に満ちている。 須賀敦子のヴェネツィア 発売日: 2001/09/01 メディア: 単行本 かつて須賀敦子と交流があった著者が、須賀敦子の描いたヴェネツィアの痕跡を探しに、写真と文章でヴェネツィアをめぐるエッセイである。 須賀敦子は、イタリア人の夫とともにイタリアに暮らし、多くのイタリア翻訳小説とエッセイを残した。 夫ペッピーノとの幸福な結婚は、夫の突然の病死によって終わりを告げた。彼女は日本に帰国してから、悲しく懐かしいヨーロッ
「ほとんど五十歳って、変な感じだろ? ようやく若者としての生き方がわかったって感じるのに」 「そう! 外国での最後の一日みたいですよね。ようやくおいしいコーヒーや酒が飲める場所、おいしいステーキが食べられる場所がわかったのに、ここをさらなければならない。しかも、二度と戻って来れないんです」 ーーアンドリュー・ショーン・グリア『レス』 『レス』は、失恋の悲しみを泣き笑いで語る、失恋コメディだ。失恋三重苦ーー 過ごした時間が長い、相手がいきなり別の人を好きになった、歳をとっての失恋と、ひとつだけでもつらい失恋の苦しみが、3つまとめてやってくる。 レス 作者:アンドリュー ショーン グリア 発売日: 2019/08/20 メディア: Kindle版 50歳間近でゲイの小説家アーサー・レスは、9年ともに過ごした年下の恋人から「別の相手と結婚するから」と別れを告げられ、結婚式の招待状が届く。レスは絶
真のカトリック小説は、人間を決定されたものとは見ない。人間を、まったく堕落したものと見ることはない。かわりに、本質的に不完全なもの、悪に傾きやすいもの、しかし自身の努力に恩寵の支えが加われば救済されうるものと見るのである。 ――フラナリー・オコナー『秘義と習俗』 小説家が、作品の意図や背景について語ることはめずらしい。小説家は小説で語り、読みは読者にゆだねる存在だと思っていた。ところがフラナリー・オコナーは『秘儀と習俗』で、自分の作品に通底するものや背景、作品の意図についてびっくりするほど率直に語る。 秘義と習俗―フラナリー・オコナー全エッセイ集 作者: フラナリーオコナー,サリーフィッツジェラルド,ロバートフィッツジェラルド,Flannery O'Connor,Sally Fitzgerald,Robert Fitzgerald,上杉明 出版社/メーカー: 春秋社 発売日: 1999/1
「そんな腹になるまで地下鉄に乗って働くような人が、何で子どもなんか産むのさ」 突然、どっと涙があふれた。私ってそういう人なのか。そうまでして稼がなきゃならない人。おなかが大きくなってまで、地下鉄に乗って。 ーーチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』 しばらく友人たちに貸していたこの本がようやく手元に戻ってきた。ふだんあまり海外文学を読まない人から「これ話題だけど持ってる?」と聞かれることが多かったので、読む前にいろいろな人に貸していたのだった。なるほどこれが社会現象となる小説、と思う。 82年生まれ、キム・ジヨン (単行本) 作者:チョ・ナムジュ 出版社/メーカー: 筑摩書房 発売日: 2018/12/07 メディア: 単行本(ソフトカバー) 82年うまれのキム・ジヨンという30代女性が、他人が憑依したような、奇妙な言動を見せる。精神科にかかったキム・ジヨンのカウンセリング調書として
出直しなんてできないんだ。そういう話だよ。きみのどの一歩も永遠に残る。消してしまうことはできない。どの一歩もだ。言ってることわかるかい? ーーコーマック・マッカーシー『血と暴力の国』 『悪の法則』と『血と暴力の国』は異なる手法で同じマッカーシー・ワールドを描いていると思う。 どちらも中心にあるのは「とめられない災厄」「選択がもたらす、変えられない運命への突進」だ。『悪の法則』では複数組織のルール、『血と暴力の国』ではひとりの殺戮者が、命を刈り取る災厄として登場人物の前に立ち現れる。 血と暴力の国 (扶桑社ミステリー) 作者:コーマック・マッカーシー 出版社/メーカー: 扶桑社 発売日: 2007/08/28 メディア: 文庫 ベトナム帰還兵のモスは、アメリカとメキシコの国境近い荒野で、偶然に銃撃戦にあった麻薬組織の車を見つける。死体と麻薬、そして240万ドルの大金を見つけたモスは、金を持ち
自覚しておいてほしいのはあんたの運命はもう固まってるってことだ。 ーーコーマック・マッカーシー『悪の法則』 たとえば国境をわたる時、私たちはたいてい、自分の歩く道は自由に行き戻りできる双方向の道で、ちょっと冒険に出てもすぐに戻ってこられると信じている。私たちが知らない道を安心して気軽に歩けるのは、世界が「自分が知るルール」で動いていると信頼しているからだ。 その信頼はだいたい合っているが、たまに例外がある。自分の知るルールが適用されない世界、簡単に行って戻ってこれると思っていたら二度と戻れない道がある。 悪の法則 作者:コーマック マッカーシー 出版社/メーカー: 早川書房 発売日: 2013/10/10 メディア: 単行本 アメリカ人男性「弁護士」の人生は順風満帆だった。仕事でうまくいっていて、最愛の恋人がいる。なにも不自由はない。しかし、もっと金が欲しいと欲が出た弁護士は、裏社会につう
「なにを言うの! 田舎の善人は地の塩です! それに、人間のやりかたは人それぞれなのよ。いろんな人がいて、それで世の中が動いてゆくんです。それが人生というものよ!」 「そのとおりですね。」 「でも、世の中には善人が少なすぎるんですよ!」 ーーフラナリー・オコナー「田舎の善人」 2019年は、前半に「重力」と言い続けて、後半は「恩寵」と言い続けた年だったように思う。飲み会では「タイムラインが恩寵だらけになった」「『重力と恩寵』はふくろうの妄想だと思っていたら、実在する本だったので驚いている」と言われた。このような恩寵モードになったのは、『フラナリー・オコナー全短篇』を読んだからだ。 恩寵とは、人間に与えられる神の慈愛、神の恵みのことで、熱心なキリスト教徒であるオコナーは「恩寵の瞬間を描く作家」と言われている。だが、オコナーが描く恩寵は、恵みや慈愛といったあたたかいイメージとはほど遠く、血と暴力
この上昇は<重力>に知られるだろう。だがロケットのエンジンは、脱出を約束し、魂を軋らせる、深みからの燃焼の叫びだ。生贄は、落下に縛り付けられて履いても、脱出の約束に、予言に、のっとって昇っていく…… ーートマス・ピンチョン『重力の虹』 これまでの人生で、読書会を開催したのは2回だけ。1回目は2015年『重力の虹』読書会、2回めは2019年『重力の虹』読書会だ。来年からは「ガイブン読書会・鈍器部」として『重力の虹』以外の読書会もやるつもりだが、きっと『重力の虹』読書会はまた開催するだろう。『重力の虹』は、こんなふうに私をパラノイア的に熱狂させる。 トマス・ピンチョン 全小説 重力の虹[上] (Thomas Pynchon Complete Collection) 作者:トマス ピンチョン 出版社/メーカー: 新潮社 発売日: 2014/09/30 メディア: 単行本 トマス・ピンチョン全小説
今は嘘と欺瞞の時代です。ぼくは、存在か、それともイメージなのか。肉体か、それとも権威なのか。枯れた庭の石か、それとも動かぬ木ですか。言ってください。ぼくは何者なのか。 ――ターハル・ベン=ジェルーン『砂の子ども』 私の心にはおそらくずっと地平線と水平線があって、折に触れて、まったいらで人間のことなどなにも考えてない、静かに圧倒的な線を見に行きたくなる。思いかえしてみれば、10年前は砂漠を求めて、砂漠のような書物、砂漠のような物語を読んでいた。 モロッコの旧市街を舞台にした小説『砂の子ども』は、砂漠を求めていた当時を思い出させる。 砂の子ども 作者: ターハルベン=ジェルーン,Tarhar Ben Jelloun,菊地有子 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店 発売日: 1996/06/01 メディア: 単行本 クリック: 15回 この商品を含むブログ (14件) を見る 舞台は、モロッコの旧市
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