その日もわたしは新聞の死亡者リストを長めながら、なぜこの中に私がいないのだろうと不思議がっていた。世の中の人々は今日もいっぱいしんでいる。なぜ私は選ばれなかったのだろう。コーヒーに砂糖をいれながら、私は暗澹たる気分であった。世界は損をしている。他の人よりも何よりも、私は死ぬべきである。自意識過剰であるということは私も分かっていた。
テレビのニュースが流れている。テレビ番組というものは得てして流れているものである。一時停止ボタンで止める気にもなれず、私はじりじりとテレビを流しながら生きる。死ぬことは果てしなく難しい。痛いし怖いのは嫌なのだ。痛いし怖いであろう未来に怯えたとしても、逃げ道は必ず痛く怖いのだ。私は快楽主義者である。一瞬の快楽が持続すればいいと願い、その他は恐ろしいだけだ。
私は神がいるのなら、それが目の前に姿を表したのなら、土下座をしたい。仏でもいい。額を地面にこすりつけ、生まれてきてすいませんと喚きたい。
難しいものである。なぜ私は生まれてきたのか。前回の神経衰弱の際には縋るように考えたそれは、今回はなぜこんな愚物を生み出したのかと見下すような思いに変わっていた。
空から隕石が落ちてくるのなら、どうか私が家にいる時に私の部屋に落としてくれないものか。
それでも飯を食わねばヘロヘロになって無様に生きるため、洗いきれない食器を置いて外へと出かけるわけである。
醜く生きている。彗星のように死にたいものである。まだまだこれからだったのにと失われた未来を過大評価してもらいたいものである。死ぬならまだおおごとになっていない今のうちだ、今なら格好がつく。
とはいえ、本当のことを言うとすべて言い訳に過ぎないのだ。私はあなたが考えている通りの愚痴の多いゴミに過ぎないし、努力の足りない愚か者だ。
言い訳をしながら生きている。惨めに無様に生きている。どうかここいらで誰かが殺してくれないものか。そこまで人任せでいい加減なのである。
そんなことを思ったり思わなかったりしながら飯を食う。自分の作った食事のまずさにドン引きしながら食う。卵をわざわざ別の器に入れて溶くのがめんどくさいという人間が、ろくな飯を作れるはずが無いのだ。そのくせ、コンビニ弁当がまずいと思うことがある。食材も使いきれない。それで腐らせることの言い訳なのか、体感なのかは知らないが、食材を買う気にもなれない。冷蔵庫の中身が自分の内蔵であるような気がしてくる。カビらせるよりかは、空っぽの方が幾分かマシであろう。
まるで落ち込んでいないような顔をして、凹んでばかりいるから私はダメなのだ。ちぐはぐに私は生きている。ああ神様、私を楽に殺してください。
山に行って見つけたキノコ片っ端からとってきて鍋にして食べる
おれ神なんだけど殺して欲しいの? よく読んでないけど若い女だったらセックスしてやろうか?
最近こういう文学風なネタを投下し続けてるのは全部同じ増田なのかな? ネタ的にはわりと好きなんだけど表現が過剰な箇所が目立って 文章全体のバランスにちぐはぐ感があるのがす...
トイレの神様でも ええのんかぁ?
トイレの神様は女でキレイなねーちゃんなんやろ?(つまりある種のビッチであるわけだが)人によってはそれに殺されるのなら結構赦せるようにも思うわけだが。
小保方さん?