その原因的な部分の考察なのですが、出版というのは非常に小さな仕事なんですよ。
コミカライズやゲーム化、アニメ化の起点となる事が多いのでイメージだけは大きいですが、客観的に見てみれば、作者が書いて編集者が編集し、出版社が印刷費を出せば本はできるのです。取り次ぎや営業も定型化されているので、すごいことをしなければ、工夫も費用も余り必要ありません。
ライトノベルやその周辺ジャンルでは絵師さんがさらに必要ですが、美少女ゲームに比べれば必要な絵の数は数十分の一です。しかもほとんどがモノクロなので塗り師さんもいりませんし背景師さんもいりません。
なにが言いたいかというと、ラノベ出版は、美少女ゲームに比べ費用がかかりませんし関係するスタッフも非常に少ないのです(結果、完成商品の単価も安いです)。
その結果どうなるかというと、ある任意の一冊のラノベ出版が失敗をしても、その傷は浅くて済むのです。
もちろんそれが十冊二十冊と積もれば別ですが、単体の本がこけてもそこまで致命傷にはならない。
なんというか、総体としては大ダメージを受けないんですよ。もちろんその人が関わった作品は不作になる確率が高いでしょうが、ラノベ出版界隈全体がいつかしっぺ返しをくらうかといえば、くらわない。被害が限定的なんです。ラノベ出版界隈全体どころか、おそらく、そのレーベルすらくらわないでしょう。
こういう状況下では「内容的にはランダムなものを手当たり次第に出して儲かったものの続編を書いてもらう」という戦略が可能になります。
以上が、「あきらかにわかってない人間が作品制作に関わってる」、そしてそのままいられる理由です。
出版業界には「その本がどれくらい売れるかはバクチだよね」という文化があります。この文化はよい面も悪い面もあるのですが、元増田さんがあたった編集者の存在、そういう人が生存できる風土というのは、この文化の負の側面の代表例ですね。
もちろんこれらはよいことではありませんが、なくなる方向には動かないかと思います。
追記:
Webなんかでは「ラノベはそもそも自由に書けない/編集のいいなりになって書くしかない」というような意見を時に見ますが、それは間違いだと思いますよ。もちろん編集者からその種の圧力とも取れるアクセスがあることはありえますが、屈服を強要されるストレスというのは非常に大きいのです。そんなものに晒されながら長い間書ける人は多くありません。特殊だと言えるでしょう。現在本が出せている作家さんのほぼすべては、編集者からのリクエストに、内容面で折り合いをつけられている(編集さんのリクと自分の書きたいものを両立させられている)のです。また元増田さんは断ったわけですよね。断る場合、当然本は出ないんで書店店頭という意味では可視化されませんが、そういう事例も非常に沢山あるわけです。つまり、本が出ていて出続けている作家さんは、何らかの形で折り合ってるんです。折り合ってない場合、そもそも本が出ないもしくは、引退と言うことになります。ラノベ作家業=奴隷的労働で賃金をいただくというイメージは間違いですよ。