2024-12-28

今年、心療内科に初めて行ってから現在に至るまでの変化を、吐き出しておく。

自分にはひどい先延ばし癖があって、学校を退学した過去がある。

今年前半にその悪癖が悪化した。また同時期に就寝時間睡眠時間の乱れが悪化した。

そうして仕事にも無視できない影響が出てきた。そこで、初めて心療内科に行くことにした。

初診で何かテストのようなものを書いて、その後診察を受けたが、うつ状態ではないと言われた。

当時自分としても自身うつ状態だとは思っていなかった。

なんらかのアドバイスや処方によって、先延ばし癖を少しでも改善できたら儲けもの程度に考えていた。

それほど長くないやりとりの結果、抗精神病薬抗不安薬睡眠導入剤が処方された。

抗不安薬については、その後増量したり種類を変えたりしたが、効果を実感できたことは一度もなかった。頓服の処方なので現在は飲んでいない。

睡眠導入剤については、とても効果を実感できた。飲んでからホットアイマスクをして横になれば、夜明けまで寝付けないということはほぼ無かった。

自分に一番影響を与えたのは、抗精神病薬だったのではないか認識している。

飲みはじめて最初に現れた変化は、横になったとき、じっとしているとむずむずして、身体を動かしたくなってしまうことだった。

それは耐えられないほど苦痛というわけでもなく、睡眠導入剤があれば寝ることもできていた。そういうこともあるのか程度の印象だった。

その後の通院で相談してみたところ、ひとによっては、いずれその症状はなくなるとのことで、様子を見ることになった。

またしばらくした後の通院で、効果が実感できないことを伝えると、抗精神病薬を増量してみようと言われる。

いくらか経ったあと、新たに2つの変化を実感することができた。

1つは身体を動かすことが苦じゃなくなったこと。隙間時間筋トレを挟んだり、買い物に出掛けるとき無駄に走ってみたり、そういったことが抵抗なくできた。

1つはネット時間を潰すことが苦痛になったこと。暇なときネット時間を潰そうとしても全然長続きしなくなり、それへの興味自体がとても薄れていった。

このとき自分は、もうこの薬とずっと付き合っていこう、薬があってはじめて人並みの責務をこなせるようになるんだと、そんなことを考えていた。

けれどこれらの良い変化は長続きしなかった。いつから不安希死念慮が襲ってくるようになったからだ。

抗精神病薬を増量したことが、時間差で悪影響を及ぼしたのか。もともとこの抗精神病薬自体自分に合っていなかったのか。それはわからない。

自分は高さ20m以上はあるであろう階に住んでいるのだけれど、ベッドのすぐ近くに窓があり、ベランダなど無いので開けて見下ろすとただコンクリの地面が見える。

それが非常に辛かった。すぐ近くにある窓を開けて乗り越えるだけで、全ての不安から解放される。何かのはずみで、そんなことを行動に移してしまわないか怖かった。

楽しいことやりたいことは、なにもなくなってしまい止めた。食事をとらない日が増え始め、部屋も散らかりだし、入浴できない日が生じるようになった。

集中しようにも頭が回らず手が動かない。幸いにして仕事が忙しい時期ではなく、職場のひとに恵まれていたので、そこは大事にはならなかった。信用は喪ってしまっただろうけれど…

そんな中、以前から入っていた予定があった。気の知れた同性の友人と、仕事終わりの時間に、近所の居酒屋食事をする。ただそれだけ。

それだけなのに、家から出るのに、大きな負担を感じていた。なんだか息が荒くなるし、説明できない不安がやってきて、ベッドの上で丸まっていた。

でも、ここで逃げてしまっては、もう何もできなくなるのではないかという恐怖もあった。それまでも散々逃げて、やることを止めたり後回しにしてきたから。

どこかに残っていた勇気を絞り出して外に出たとき自分人生で指折りに大きな達成感を覚えた。

とはいえ先延ばし癖がある自分人生を振り返っても大したことは何も為せていない。なので、多くの人にとっては取るに足らないような達成感だったかもしれない。

そんなようなことを、通院のときもっと詳しく話して、親身に聞いてもらい、何らかの言葉が欲しいと思った。

実際は、ほんの上辺のことしか話せずに、あるいは聞いてもらえずに、それはうつ状態ですねと言われた。抗精神病薬の種類を変えますと言われた。

そのときになってようやく、自分選択を間違えてしまったのかもしれないと深刻に考えるようになった。選択の是非については、いまだに判断がつかない。

新しい抗精神病薬を飲みはじめてしばし経過したいまでも、あのとき襲ってきた不安希死念慮が落とした影を拭いきれていない。

なにが楽しくて、なにがやりたくて、生きるなんてことを続けているのか。そんな考えに囚われてしまい、ずっと抜け出せない。

これまでそんな考えを抱かずに、漫然と日々を過ごすことができていたのに。

振り返ってみると、これほどまでの苦悩は久し振りだった。学校を退学して以来かもしれない。

年に半分以上のひとが辞めるような職場に居た時も、半年近く失恋したような気持ちを引きずっていた時も、ここまで深い苦悩ではなかったように思う。

しかたらこうやって悩んだことは糧になるかもしれない。学校を退学するまでの悩みは糧になってなさそうだけれど…

来年は素敵な経験をたくさんして、今年こうやって悩んだのも全部が全部悪いだけではなかったんだと、折り合いを付けられると良いな。

  • 素敵な経験が希死念慮をかき消すって考え方は良くないんじゃない。 俺達は物質で時間と共に生きているフリをするだけのゾンビ。生死、思考何もかも意味がない。 ただ、それらが前向...

  • 一年後にまた書いてね

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