水野敬也さん著 「夢をかなえるゾウ」--2-- あなたのベクトルは
水野敬也さん著 「夢をかなえるゾウ」のご紹介、2回目です。
前回、「人間は意識を変えることはできない」って話と、でも意識(意志)が“欲望”になれば、それは強いですよって話、またこの“欲望”も“夢”も、ワクワクするようなものでなくては意味が無いよって話を紹介しました。
今回は、自分の“意識”がどこに向いているのか、何を土台に考えているのかってところから始めましょう。
だから、人のいいところを見つけてホメるということは、成功する上で必要不可欠なんです。なぜなら、人は自分一人で成功することはできないから、人の助け無しに成功することは出来ないからです。
ガネーシャに言わせると、「もう、なんや、大事とかそういうレベル通り越して、呼吸や。呼吸レベルでやれや!」ってことになります。
でも、「ホメる」ということを実行しようとすると、これは意外と難しいのです。
一つには、「ホメる」ということは、相手をよく見て、相手をよく知り、素晴らしいと思える部分について正確に言わなければならない(上辺だけ見たオベンチャラではないってこと)ので、普段から他人をよく観察しておかないと出来ません。
難しさのもう一つの面は、「面と向かってホメるのは照れる」ということがあります。
これはどちらも、「ベクトルが自分に向き過ぎてる」から難しくなるんだって著者は言います。
ベクトルって、「大きさと向きを兼ね備えた量」を表しているのですが、自分の思考とか意識の向かう先が、多くの人は自分自身に向かっているってことを言いたいのでしょう。
世の中のほとんどの人間は、“自分”にサービスすることばっかり考えています。自分の事しか考えていないってことです。もっと言えば、自分の“欲”ばっかり考えているんです。
「腹へった」とか「寒い」とか「嫌だ」とか「やりたくない」とか。どうかすると、人と話してるときでさえ、考えているのは自分のことばかりなのかもしれません。
これが、「ベクトルが自分に向き過ぎてる」ということです。
「4つのタイプの人間」という題なのですが、人は次のような4つのタイプに分かれるそうです。
2.の人は、常にトラブルや問題を回避し、いつもいつも保身に意識がいっているので、自分から何かをしようとはしません。指示されたことしかやらない“指示待ち族”の人たちです。
3.は、自分が大事にしてもらうことしか関心が無く、いつも待ちの姿勢で、人からやってもらうことばかりを考えている人です。口癖は「~してくれない」という、いわゆる“くれない族”です。
4.は、不平不満が多く、自分に起こる悪い結果を他の人や環境のせいにする人です。
3.の人などは、典型的な「ベクトルが自分に向き過ぎている人」なんだと思いますが、1.も2.も3.も、多かれ少なかれ皆「ベクトルが自分に向き過ぎている人」に分類されるのでしょう。
4.の人だけが、ベクトルが“周りの人”に向いていますよね。人の自尊心を満たすことができ、その人の周りにはいつもたくさんの人が集まっていることでしょう。
著者はこう言います。
この方程式が体に染み込んでたなら、あとはほっといても成功するよって。まさに守正さん言うところの「4.経営者発想タイプの人」ということなのでしょう。
これね、本当に重要だと思います。何でかって言うと、普通はどうしても自分の意識は自分に向かってしまうから。意識していないと、もう確実に自分のことしか考えなくなってしまいます。これって、程度の差こそあれ“自己中”なんだと思うんですよ。
そして、自分を中心にして考えてしまうと、大概の事はうなくいかないってのは、皆さんご存じではないでしょうか。
自分自身、なんか最近うまくいかないなって思って、自分の行動とか考え方とかを振り返ってみると、「ベクトルが自分に向いていたわ」って気が付くんです。
ガネーシャが言うように、「人を喜ばせるという目的に照準が合っていたら」恥ずかしさなんか感じないはずなんです。
電車の中で立っているお年寄りに席を譲ろうかと思って、でも断られるとイヤだなとか、恥ずかしいなってのは、自分に意識が向き過ぎてるんですね。
席を譲ろうというのは、「相手を喜ばそう」という思いです。意識は相手に向かっています。そのお年寄りが、あなたの意識(席を譲る)を受け取るかどうかは相手の勝手なんですよね。受け取ってくれれば嬉しいし、受け取ってくれなくても、(相手に意識が向いていれば)それはどうでもいいことなんです。
この“ベクトル”のお話、自分に思い当たる点が多々あるため、つい書き過ぎてしまいました。二回で終わる積りでしたが、次回に続きます。
前回、「人間は意識を変えることはできない」って話と、でも意識(意志)が“欲望”になれば、それは強いですよって話、またこの“欲望”も“夢”も、ワクワクするようなものでなくては意味が無いよって話を紹介しました。
今回は、自分の“意識”がどこに向いているのか、何を土台に考えているのかってところから始めましょう。
自分にベクトルが向き過ぎ?
人は自分の自尊心を満たしてくれる人のところに集まってきます。シンプルに言えば、自分の事をけなす人よりも、ホメてくれる人の方が好きってこと。当たり前ですよね。だから、人のいいところを見つけてホメるということは、成功する上で必要不可欠なんです。なぜなら、人は自分一人で成功することはできないから、人の助け無しに成功することは出来ないからです。
ガネーシャに言わせると、「もう、なんや、大事とかそういうレベル通り越して、呼吸や。呼吸レベルでやれや!」ってことになります。
でも、「ホメる」ということを実行しようとすると、これは意外と難しいのです。
一つには、「ホメる」ということは、相手をよく見て、相手をよく知り、素晴らしいと思える部分について正確に言わなければならない(上辺だけ見たオベンチャラではないってこと)ので、普段から他人をよく観察しておかないと出来ません。
難しさのもう一つの面は、「面と向かってホメるのは照れる」ということがあります。
これはどちらも、「ベクトルが自分に向き過ぎてる」から難しくなるんだって著者は言います。
ベクトルって、「大きさと向きを兼ね備えた量」を表しているのですが、自分の思考とか意識の向かう先が、多くの人は自分自身に向かっているってことを言いたいのでしょう。
世の中のほとんどの人間は、“自分”にサービスすることばっかり考えています。自分の事しか考えていないってことです。もっと言えば、自分の“欲”ばっかり考えているんです。
「腹へった」とか「寒い」とか「嫌だ」とか「やりたくない」とか。どうかすると、人と話してるときでさえ、考えているのは自分のことばかりなのかもしれません。
これが、「ベクトルが自分に向き過ぎてる」ということです。
あなたは「経営者発想」、それとも「お客様発想」、それとも?
少し前に、松本守正さんのワークショップに参加してって話を4回に渡って紹介しましたが、その守正さんのブログを拝見していたら、興味深い記事を見つけました。「4つのタイプの人間」という題なのですが、人は次のような4つのタイプに分かれるそうです。
- 経営者発想
- 従業員発想
- お客様発想
- 被害者発想
2.の人は、常にトラブルや問題を回避し、いつもいつも保身に意識がいっているので、自分から何かをしようとはしません。指示されたことしかやらない“指示待ち族”の人たちです。
3.は、自分が大事にしてもらうことしか関心が無く、いつも待ちの姿勢で、人からやってもらうことばかりを考えている人です。口癖は「~してくれない」という、いわゆる“くれない族”です。
4.は、不平不満が多く、自分に起こる悪い結果を他の人や環境のせいにする人です。
3.の人などは、典型的な「ベクトルが自分に向き過ぎている人」なんだと思いますが、1.も2.も3.も、多かれ少なかれ皆「ベクトルが自分に向き過ぎている人」に分類されるのでしょう。
4.の人だけが、ベクトルが“周りの人”に向いていますよね。人の自尊心を満たすことができ、その人の周りにはいつもたくさんの人が集まっていることでしょう。
著者はこう言います。
『人の欲を満たすこと=自分の欲を満たすこと』
この方程式が体に染み込んでたなら、あとはほっといても成功するよって。まさに守正さん言うところの「4.経営者発想タイプの人」ということなのでしょう。
「みんな自分にサービスすることばっか考えとるやろ。自分のエゴや欲を満たすことしか考えとらんやろ。でもな、もっと他人にサービスすること考えて、そのことを自分の喜びにしてかんとあかんで。人を喜ばせるという目的に照準が合っていたら、人のことをホメることに恥ずかしさなんて感じひんのや」
電車の中で立っているお年寄りに席を譲ろうと思うのは
自分の意識がどこに向かっているのか? 内向きなのか、外向きなのか?これね、本当に重要だと思います。何でかって言うと、普通はどうしても自分の意識は自分に向かってしまうから。意識していないと、もう確実に自分のことしか考えなくなってしまいます。これって、程度の差こそあれ“自己中”なんだと思うんですよ。
そして、自分を中心にして考えてしまうと、大概の事はうなくいかないってのは、皆さんご存じではないでしょうか。
自分自身、なんか最近うまくいかないなって思って、自分の行動とか考え方とかを振り返ってみると、「ベクトルが自分に向いていたわ」って気が付くんです。
ガネーシャが言うように、「人を喜ばせるという目的に照準が合っていたら」恥ずかしさなんか感じないはずなんです。
電車の中で立っているお年寄りに席を譲ろうかと思って、でも断られるとイヤだなとか、恥ずかしいなってのは、自分に意識が向き過ぎてるんですね。
席を譲ろうというのは、「相手を喜ばそう」という思いです。意識は相手に向かっています。そのお年寄りが、あなたの意識(席を譲る)を受け取るかどうかは相手の勝手なんですよね。受け取ってくれれば嬉しいし、受け取ってくれなくても、(相手に意識が向いていれば)それはどうでもいいことなんです。
この“ベクトル”のお話、自分に思い当たる点が多々あるため、つい書き過ぎてしまいました。二回で終わる積りでしたが、次回に続きます。
- 関連記事
-
- 山本周五郎著 「かあちゃん」
- 水野敬也さん著 「夢をかなえるゾウ」--3-- 実行する
- 水野敬也さん著 「夢をかなえるゾウ」--2-- あなたのベクトルは
- 水野敬也さん著 「夢をかなえるゾウ」
- 時代小説が大好き!