試作・審査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 16:19 UTC 版)
試作機は1940年(昭和15年)10月に初飛行したが、エンジンの性能不足で不具合も多かったため、各所に改良を施し、最終的には最大速度580km/h/3700m、外板の継ぎ目を目張りした状態では626km/hを記録した。しかし、従来の戦闘機に比べて旋回性能で劣り、大直径エンジンのために3点姿勢での前方視界が悪く、失速速度が高いため高速での着陸が求められた。反面、射撃テストでは優秀な命中率を示し、1941年(昭和16年)夏にドイツから輸入したBf 109 E-7との模擬空戦にてキ44の総合性能はBf 109 Eを上回った。そのため、欧米新鋭戦闘機に対抗可能な戦闘機として有用と位置づけられたが、軽快な格闘戦能力を理想とする多くの古参操縦者からは相変わらずの不評が多かった。
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試作・審査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:08 UTC 版)
詳細は「#飛行性能」および「#武装」を参照 引込脚以外の機体基本構造は前作の九七戦を踏襲したことから開発は順調に進み(反対に日本機にとって革新的なキ44には新技術や新構想が盛り込まれた)、供試体である試作0号機を経て1938年12月に試作1号機(機体番号4301)が完成、同月12日に利根川河畔中島社有の尾島飛行場にて初飛行している(操縦はテスト・パイロット四宮清)。エンジンは中島で開発されたハ25を、翼型はNN-2・翼端部はNN-21を採用(上反角6度・取付角2度・翼端部2度捩下)、またアルミニウム製燃料タンクができた時点で陸軍から防弾タンク(防漏タンク・防火タンク)化の指示がなされている(#防弾装備)。 試作1号機の胴体形状は増加試作機以降とは大きく異なり引込脚化された九七戦を引き伸ばした感じであり、風防は枠の無い曲面1枚物といった特徴がある(初飛行後に景色の歪みが問題とされ平面主用の3枚物に換装)。1939年(昭和14年)1月、立川陸軍飛行場に空輸されたキ43試作1号機は陸軍航空技術研究所による審査に移行。同年2月に試作2号機、3月には試作3号機が完成し審査に合流している。 航技研や明野陸軍飛行学校での審査の結果、キ43は九七戦に比べ航続距離は長いものの旋回性に劣り最大速度の向上は30km/h程度ということが判明したうえ、同年5月に勃発したノモンハン事件(主に前期ノモンハン航空戦)で九七戦が旋回性能を武器に活躍したこともキ43採用に対して逆風となっていた。同年11月、審査の結果を受け胴体以下各部を改め全体のスタイルがのちの制式機相当となった増加試作1号機(通算試作4号機)が完成したが、ノモンハン事件の戦訓として次期戦闘機には更なる高速化・武装強化・防弾装備が求められたこともあり、依然キ43の審査は長引いていた。 第三次審査計画を経て、軽戦派・重戦派の双方から中途半端とみなされたキ43試作機型をそのまま制式採用することは見送り、より強力なエンジン(ハ105)に換装して高速化を図った、キ43性能向上第二案の開発を進めることが決定された(第一案では固定脚化など徹底的な軽量化が行われたものの不採用)。速度と上昇力と航続距離の向上を重視する実用側の明飛校審査員間においてもこのエンジン換装案は支持され、直後の研究会においてキ43-II相当となる第二案の開発が確定した。このため、中島のキ43設計主務者小山技師もキ43再設計を開始している。
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