初飛行後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 02:57 UTC 版)
飛行テストを行なわなくなった後も、ハーキュリーズはヒューズによって、誰の目にも触れさせずに保管されていた。1953年の洪水で機体が損傷した際には、2年をかけて完全に修復を行なっている。 ハーキュリーズの所有者は発注主である国であり、所有権は国防工場公社が有していた。その後、国防工場公社の上部組織である再建融資公社に所有権が移された後、一般サービス管理局 (GSA) に移管され、ヒューズはそこからハーキュリーズをリースするという状態であった。リース料は月額3万7500ドルとも、月額800ドルともいわれている。ヒューズがハーキュリーズに投じた金額は、最終的に5000万ドルとも推測されている。 1970年代になると、GSAはハーキュリーズをスミソニアン博物館に寄贈することを検討したが、輸送費用が過大になる上に、スミソニアン博物館側は置き場所がないことを理由に辞退した。最終的には、手続き上はGSAからスミソニアン博物館に寄付し、スミソニアン博物館はヒューズの資産管理を行なう会社(サンマ社)にハーキュリーズを譲渡する代わりに、サンマ社からはH-1レーサーと70万ドルを受け取ることになり、ハーキュリーズはロングビーチに建設される保存施設で豪華客船「クイーン・メリー」とともに展示されることになった。ヒューズの死後である1982年に、ハーキュリーズは保存施設へ移送された。その後、2001年以降はオレゴン州マクミンヴィルのエバーグリーン航空博物館で展示されている。映画『タッカー』や『アビエイター』で紹介され、それらの宣伝効果もあり多くの見学者で賑わっている。
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