防弾装備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:08 UTC 版)
一式戦は1939年の試作段階から陸軍の指示により、被弾時の燃料漏れによる火災を防ぐため、燃料タンクの外装を薄い積層ゴム(3層)・絹フェルト・絹布で包んだ7.7mm弾対応のセルフシーリング式防弾タンク(防漏タンク・防火タンク・自動防漏式タンクとも)を有しており、これは制式化されたのちの一型全機が装備している。改良型の二型では、燃料容量36l減と引き換えに耐弾防火性に優れ12.7mm弾に対応する、航技研第2部開発の13mm厚積層ゴム(外装式3層)の新型防弾タンクに換装。かつ、二型は1943年6月よりの量産型(中島製5580号機より)からは操縦者の頭部と上半身を保護するため、操縦席後部に13mm厚・合計3枚・合計重量48kgの防弾鋼板(防楯鋼板。12.7mm弾対応)を追加装備した。実戦配備の一例として、第64戦隊は1943年7月19日時点でこの防弾鋼板装備型を補充機として受領している。 帝国陸軍は欧米機情勢の研究、およびソ連軍を相手としたノモンハン事件の戦訓によって海軍と異なり防弾装備の重要性を痛感しており、一式戦や二式戦といった次期主力戦闘機のみならず、九七式重爆撃機(キ21、1939年中頃の初期量産型一型乙の時点で燃料および潤滑油タンクを積層ゴム等による防弾タンク化済。1943年中頃の二型乙からはさらに操縦席と後上方砲塔へ16mm厚防弾鋼板・70mm厚防弾ガラスを追加、防弾タンクは16mm厚積層ゴムに換装し自動消火装置も装備)や、九九式襲撃機(キ51、1939年の試作時点から防弾タンクおよび、エンジン下面・操縦席下面・操縦席背面・胴体下面・中央翼下面に6mm厚防弾鋼板を装備)といった主力重爆撃機・襲撃機(攻撃機)でも早々から相応の防弾装備を要求し採用している。後継主力戦闘機である四式戦では、新型防弾タンク・13mm厚防弾鋼板に加え風防前面に70mm厚防弾ガラスを追加し撃たれ強い機体となっている。 これら防弾装備が考慮されていた一式戦であっても、同世代欧米機の装備(防弾タンクは効果に最も優れる内装式、防弾鋼板は操縦席後部に限らず前部等にも取付、前後の防弾ガラス等)には劣っていたが、防弾タンク・防弾鋼板と合わせて一定の効果が発揮された。
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