試作型
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ホイシュレッケの設計は1942年に開始された。このときクルップ社は新式の自走砲を構想していた。1943年、クルップ社は3両の試作車輌を生産し、582501から582503の個別番号を充てた。またこれらはホイシュレッケ10もしくはホイシュレッケIVbの両方の名称で呼ばれていた。 本車はクルップ社によって設計されていたが、類似の設計の車輌がアルケット社とラインメタル・ボルジヒ社で製造されていた。名称は105 mm leFH 18/40/2 auf Geschützwagen III/IVである。この車輌は1944年4月に準備が整った。比較審査では、ラインメタル・ボルジヒ社製の車輌がクルップ社のものよりも全てにおいてわずかに良好な性能を示した。そこでIV号戦車を用いたラインメタル・ボルジヒ社の設計に則り、車体を交替して利用することが決定された。量産は1944年10月に開始するものとされたが、1944年12月には車体の選定がゲシュッツヴァーゲンIVに変更となった。マクデブルグでの量産開始は1945年2月に意図されたものの、1両も生産されることはなかった。
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試作型
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「B-36 (航空機)」の記事における「試作型」の解説
XB-36 試作機。R-4360-25 エンジン(3,000馬力)6基搭載、非武装。1機製造。 YB-36 増加試作機。S/N 42-13571, 機首形状が改良され、コックピットは上方に突き出した形状となった。1機製造。1947年12月4日初飛行。 YB-36A YB-36から改装。 YB-36のシングルタイヤ式の降着装置を4輪式に改装。後にRB-36Eに改装。 YB-36C B-36Bの機体にR-4360-51 エンジン(4,300馬力)6基搭載、プロペラを牽引式とした機体。計画のみ、製造されず。 B-36A 乗員訓練および試験用の機体であり、非武装。1947年8月28日初飛行。22機製造。後に地上試験用の初号機を除き、RB-36Eに改装された。 B-36C YB-36を量産したもの。制式番号はB-36Bと統合され、-C型という制式番号の付与された機体としては製造されなかった。
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試作型
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「チーフテン (戦車)」の記事における「試作型」の解説
チーフテン 800 チーフテンにチョバムアーマーを装着したテスト用車両。試作のみ。 チーフテン 900 チーフテンにチョバムアーマーを装着したテスト用車両。試作のみ。 チーフテン マインクリーナー 地雷処理車仕様。試作のみ。 チーフテン セイバー 2連装30㎜対空砲装備の砲塔を搭載した自走対空砲。試作のみ。 チーフテン ウェポンキャリア チーフテンの車体に155mm榴弾砲を搭載した型式。 チーフテン SID 視認性低下、ステルス性増強を目的としてチーフテンに刷毛状の泥除けを追加するなどしたデモンストレーション用車両。SIDはSignature Integration Demonstratorの略。 チーフテン SID チーフテン SID
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試作型
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「MiG-23 (航空機)」の記事における「試作型」の解説
23-01(MiG-23PD、МиГ-23ПД、Ye-230) STOL試作戦闘機。 MiG-21と同じ、尾翼付きデルタであるが、胴体側面に円形の空気取り入れ口を配置し、機首に大型のレドームを備えていた。武装は2連装23mm機関砲を搭載。主エンジンはMiG-21が装備していたR-11F2S-300を改設計したR-27-300(推力7,800kg)で、胴体内にリフトエンジンとして2基のコリェソフRD-36-35(推力2,350kg)を装備していた。 1967年4月3日に初飛行して以来、数回実験を行うが、リフトエンジンが飛行中に完全な死重となることに加え、リフトエンジンに機体内部空間を割り当てねばならぬため燃料や機材の搭載量が限定されるなどの不都合が多いことがすぐに判明。こうした欠点に加え将来の発展性も失望されたため、開発中止となった。 1967年7月のドモデドヴォ航空ショーに登場した際、西側はNATOコードネーム「フェイスレス(Faithless:不信心者)」と名付け、本機がソ連の次期戦闘機の有力候補と見ていた。 23-11(MiG-23、МиГ-23、Ye-231) 可変翼試作戦闘機。 技術的問題から開発の遅れていたレーダーを搭載しておらず、機体性能の試験機として用いられた。エンジンは23-01と同じR-27-300。1967年6月10日に初飛行。 上記の23-01が開発中止になったため、本機が採用された。 23-31(MiG-21PD) MiG-21を改造したVTOL研究機。
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