第一次編成とは? わかりやすく解説

第一次編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/01 19:29 UTC 版)

第17師団 (日本軍)」の記事における「第一次編成」の解説

第17師団1907年明治40年11月第18師団と共に創設された。同年12月15日師団司令部岡山市東田町蓮昌寺内で事務開始1908年明治41年3月4日、さらに司令部御津郡伊島村字上伊福移転した1915年大正4年3月18日師団司令部留守部を岡山設置し同年5月26日師団司令部遼陽移転して2年満州駐屯1917年大正6年5月10日師団司令部岡山帰着し11日から事務開始1918年7月10日兵器部が師団司令部内に移転し事務開始1920年大正9年)からの第一次世界大戦後不況や、シベリア出兵強行した事などから財政逼迫し日露戦争後拡大してきた軍備削減する事になり、1922年大正11年)から三次亘って軍縮され、1925年大正14年)に加藤高明内閣行われた所謂宇垣軍縮」によって4個師団廃止決まり第17師団も第13・第15第18師団と共に廃止された。

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第一次編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 01:51 UTC 版)

独立混成第1旅団」の記事における「第一次編成」の解説

第一次編成の独立混成第1旅団大日本帝国陸軍初の諸兵科連合機械化部隊であり、小型機甲師団ともいうべき部隊である。1934年昭和9年3月17日編成され関東軍属し公主嶺司令部置いた1936年昭和11年)に、渋谷秋大佐の指揮する渋谷支隊歩兵1個大隊戦車1個中基幹)を出動させ、タウラン事件戦った優勢な外蒙軍機械化部隊交戦して軽装甲車2両を撃破されたが、こちらも敵装甲車鹵獲した。 1937年昭和12年7月7日盧溝橋事件発生する旅団支那駐屯軍編入され華北出動戦車第3大隊満州残し7月13日公主嶺出発し7月17日北平到着通州事件後の通州警備にあたるなどした。しかし8月16日には関東軍復帰張家口方面転用され察哈爾派遣兵団俗に東條兵団と言われる)に編入チャハル作戦とそれに続く太原攻略戦山西作戦)に参戦した。だが上級司令部である東條兵団部隊をばらばらにして使ったためその特徴活かせず、兵団長である関東軍参謀長東條英機中将旅団長酒井鎬次中将兵術思想違いもあって、評判芳しくなかった。そして、1938年昭和13年8月12日旅団廃止追い込まれ戦車部隊第1戦車団改編、さらに1942年昭和17年6月には戦車第1師団改編された。

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第一次編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 02:20 UTC 版)

独立混成第11旅団」の記事における「第一次編成」の解説

1934年昭和9年3月17日編成下令同年10月15日編成完結し関東軍属した。なお、本旅団内地満州にあった近衛、第1、第2、第4、第11、第14の各師団および、独立守備隊から兵力抽出して編成された。 内地編成された部隊が、1935年昭和10年2月大連上陸司令部熱河省承徳に置き、帰還した第7師団任務引き継ぎ南満州警備治安維持従事した地方軍閥が熱河省南部侵入することもあり、同年5月には長城線を越え中国領内での治安粛正作戦を展開、冀東防共自治政府支援した1937年昭和12年7月盧溝橋事件勃発すると、独立混成第1旅団とともに支那駐屯軍編入された。支那駐屯軍隷下平津地区掃討終えチャハル侵攻し1937年昭和12年9月30日第26師団改編された。

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第一次編成

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第109師団 (日本軍)」の記事における「第一次編成」の解説

1937年昭和12年)、日中戦争支那事変)が勃発すると、日本本土から次々と師団中国大陸派遣され同時に従来常設師団から新たに特設師団編成された。第109師団は、1937年8月24日石川県金沢留守第9師団担当新設された。北支那方面軍隷下となり、同年10月華北における作戦動員太原作戦及び臨汾攻略戦参加その後山西省での治安作戦担当し1939年昭和14年)末に日本復員同年12月廃止された。

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第一次編成

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第13師団 (日本軍)」の記事における「第一次編成」の解説

日露戦争末期1905年明治38年4月従来師団総て動員した為、本土駐留師団がなくなる事態となった。そこで第13師団を含む4個師団創設された。 アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルト意見を受け、日露戦争講和有利に運ぶ為に樺太占領決定第13師団投入された。独立第13師団として編成され師団7月7日樺太大泊郡深海村女麗(めれい)に上陸する北上続け8月1日には駐樺太ロシア軍降伏した為、占領完了したその後講和条約であるポーツマス条約締結された。これにより、幕末から明治維新にかけての不平等条約喪失した樺太南部、即ち南樺太日本領に復帰した1906年明治39年)、第13師団常設師団として信越地方設置される方針明らかになると、高田市積極的な誘致運動行い衛戍地となった高田新発田松本歩兵連隊小千谷工兵大隊配置され高田には連隊区司令部憲兵分隊衛戍病院など師団基幹部隊配置された。また、高田市周辺中田原練兵場灰塚射撃場関山演習場設定された。1908年明治41年11月6日師団司令部高田新庁舎移転1913年大正2年4月12日師団司令部満州遼陽移転した1915年大正4年6月3日師団司令部高田市帰還した師団その後朝鮮駐剳経て1920年大正9年)のシベリア出兵動員された。1923年大正12年)の関東大震災には救援部隊として東京出動し警備任務従事した。しかし、大正年間には続く戦役によって政府財政難となっており、1925年大正14年)に加藤高明内閣行われた所謂宇垣軍縮」によって4個師団廃止決まり第13師団も第15・第17第18師団と共に廃止された。 余談として1910年より蔣介石野戦砲兵高田)として一時期在籍していたことがあるまた、長岡外史第13師団長だった1911年明治44年1月12日オーストリア=ハンガリー帝国軍人だったテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐から、師団スキー専修員にスキー技術伝授された。(これが日本におけるスキー発祥と言われている。)

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第一次編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 10:20 UTC 版)

第114師団 (日本軍)」の記事における「第一次編成」の解説

1937年昭和12年日中戦争勃発すると、日本本土から次々と師団中国大陸派遣され同時に従来常設師団から新たに特設師団編成された。第114師団は、1937年10月12日留守第14師団担当新設された。第10軍司令官柳川平助中将隷下となり、同年11月第6師団第18師団とともに杭州湾上陸し中国軍背後からの攻撃にあたり続いて南京攻略戦に参戦する1938年昭和13年2月華北転用され、第5師団第10師団とともに徐州会戦従軍したその後華北での治安作戦従事し1939年昭和14年7月復員

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第一次編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 08:36 UTC 版)

第18師団 (日本軍)」の記事における「第一次編成」の解説

日露戦争終結後戦力増強策の一環第17師団とともに1907年明治40年11月創設された。同年12月5日師団司令部久留米市開庁1914年大正3年)から始まった第一次世界大戦では第18師団基幹歩兵29旅団などを編合した独立第18師団編成され青島攻略戦参戦する同年11月14日独立第18師団青島占領完了した1918年大正7年10月3日兵器部が福岡県三井郡国分村師団司令部内に移転し事務開始その後第一次世界大戦シベリア出兵のために戦費が嵩(かさ)み、1922年大正11年)から3次にわたり行われた軍縮一環として1925年大正14年)に加藤高明内閣行われたいわゆる宇垣軍縮」によって4個師団廃止決まり第18師団も第13・第15第17師団とともに廃止された。

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第一次編成

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第108師団 (日本軍)」の記事における「第一次編成」の解説

1937年昭和12年日中戦争勃発すると、日本本土から次々と師団中国大陸派遣され同時に従来常設師団から新たに特設師団編成された。第108師団は、1937年8月24日留守第8師団担当新設された。第1軍司令官香月清司中将隷下となり、同年10月華北における作戦参加閻錫山軍の拠点であった臨汾占領したその後山西省での治安作戦担当し1940年昭和15年1月日本帰還同年2月廃止された。

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