こう‐わ〔カウ‐|コウ‐〕【講和/×媾和】
平和条約
(講和 から転送)
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平和条約(へいわじょうやく、peace treaty)とは、戦争状態を終結させるための条約。講和条約(こうわじょうやく)、和約(わやく)ともいう。二つの敵対する勢力(通常は国家や政府)が、戦争や武力紛争の公式な終結を合意するものである。平和条約は、敵対状態の一時的な停止を合意する休戦協定(armistice)や、軍隊が武装を放棄することを合意する降伏(surrender)とは異なるものである。
- 1 平和条約とは
- 2 平和条約の概要
講和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:06 UTC 版)
11月末になり、包囲は2ヶ月に及んだが依然として比叡山に籠る浅井・朝倉軍は降伏する様子を見せなかった。しかし、信長は反織田の勢力が連なるのを問題視し、11月30日、朝廷と足利義昭を動かして講和を画策した。一方の義景も豪雪により比叡山と本国の越前の連絡が断たれるという問題があり、継戦に不安を持っていた。この為、12月13日になって朝廷と義昭の仲介を受け入れ、信長との講和に同意した。翌14日、織田軍は勢田まで撤退し、浅井・朝倉軍はほぼ3ヶ月ぶりに高島を通って帰国、ここに志賀の陣は終了した。 12月に信長が義景に送った起請文には「上意のため」という足利義昭の関与を示す文言はあるが、天皇を示す文言は見当たらない。これは勅命の対象が延暦寺だけに限定されていたといえる。また織田と朝倉の和睦にもかかわらず、延暦寺、浅井、本願寺についての条項が含まれており、元亀争乱での反信長陣営の領袖が義景であったことを示している。
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講和
「講和」の例文・使い方・用例・文例
- パリ講和条約
- 講和条約がその2国間で調印された
- 戦勝国は敗戦国に講和条件を指令した。
- このまえの講和会議で、完全に失敗してから、かれはざん新な権謀術策で、十分に武装すべきことを学んだ。
- 講和[雇用]条件.
- …に講和を申し入れる.
- パリ講和条約.
- 講和条約に調印する.
- 名誉ある講和.
- 講和条約.
- 講和を求める.
- 我々は彼らと講和状態に[交戦中で]ある.
- 日本はアメリカと講和条約を結んだ.
- 講和条約が両国間で調印された.
- 1952 年にアメリカとの講和条約の締結と抱き合わせに安保条約が発効した.
- 講和の提案をする
- 講和を申出る
- 講和を提議する
- 講和談判
- 講和会議
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