講和とは? わかりやすく解説

こう‐わ〔カウ‐|コウ‐〕【講和/×媾和】

読み方:こうわ

[名](スル)交戦国が、互いに協定結んで戦争をやめ、平和を回復すること。「—を結ぶ」


平和条約

(講和 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/30 14:20 UTC 版)

平和条約(へいわじょうやく、peace treaty)とは、戦争状態を終結させるための条約講和条約(こうわじょうやく)、和約(わやく)ともいう。二つの敵対する勢力(通常は国家政府)が、戦争や武力紛争の公式な終結を合意するものである。平和条約は、敵対状態の一時的な停止を合意する休戦協定(armistice)や、軍隊が武装を放棄することを合意する降伏(surrender)とは異なるものである。




「平和条約」の続きの解説一覧

講和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:06 UTC 版)

志賀の陣」の記事における「講和」の解説

11月末になり、包囲は2ヶ月及んだ依然として比叡山籠る浅井・朝倉軍降伏する様子見せなかった。しかし、信長は反織田勢力連なるのを問題視し11月30日朝廷足利義昭動かして講和を画策した。一方の義景も豪雪により比叡山本国越前連絡断たれるという問題があり、継戦に不安を持っていた。この為12月13日になって朝廷義昭仲介受け入れ信長との講和に同意した。翌14日織田軍は勢田まで撤退し浅井・朝倉軍はほぼ3ヶ月ぶりに高島通って帰国、ここに志賀の陣終了した12月信長が義景に送った起請文には「上意のため」という足利義昭関与を示す文言はあるが、天皇を示す文言見当たらない。これは勅命対象延暦寺だけに限定されていたといえる。また織田朝倉和睦にもかかわらず延暦寺浅井本願寺についての条項含まれており、元亀争乱での反信長陣営領袖が義景であったことを示している。

※この「講和」の解説は、「志賀の陣」の解説の一部です。
「講和」を含む「志賀の陣」の記事については、「志賀の陣」の概要を参照ください。

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講和

出典:『Wiktionary』 (2021/08/14 23:56 UTC 版)

別表記

名詞

 こうわ 「媾」の「同音の漢字による書きかえ」)

  1. 交戦国互いに協定結び戦争止め平和状態戻すこと。

発音(?)

こ↗ーわ

動詞

活用

サ行変格活用
講話-する

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