山県郡とは? わかりやすく解説

山県郡

読み方:ヤマガタグン(yamagatagun)

参照 消滅(岐阜県)


山県郡

読み方:ヤマガタグン(yamagatagun)

所在 広島県

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

山県郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 08:38 UTC 版)

広島県山県郡の位置

山県郡(やまがたぐん)は、広島県安芸国)の

人口21,859人、面積988.09km²、人口密度22.1人/km²。(2024年1月1日、推計人口

以下の2町を含む。

概要

中国山地の標高300 - 800mに位置し、西中国山地国定公園に指定された1,000m程度の山々に囲まれた山間地域。農林業・観光・レジャーが主な産業である。

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町から北広島町の一部(西八幡原の一部)をのぞいた区域にあたる。

歴史

江戸時代

  • 天保7年(1836年) - 天保の飢饉が深刻化し、前年からの死者数が3,700人を超えた。12月頃には困窮した多数の農民らが広島城下に流入。藩は翌年にかけて農民らを仏護寺に集め食事を施し、路銀を与えて帰村させた[1]

近世以降の沿革

本地村、石井谷村、木次村、南方村、丁保余原村、川井村、壬生村、古保利村、後有田村、有田村、川東村、惣森村、川西村、春木村、蔵迫村、舞綱村、下石村、寺原村、有間村、今田村、川戸村、大塚村、大朝村、宮迫村、新庄村、岩戸村、中山村、海応寺村、上石村、志路原村、田原村、筏津村、今吉田村、吉木村、阿坂村、西宗村、中原村、都志見村、戸谷村、長笹村、穴村、坪野村、津浪村、加計村、下筒賀村、下殿河内村、上殿河内村、中筒賀村、上筒賀村、戸河内村、橋山村、中祖村、政所村、荒神原村、雲耕村、宮地村[2]、東八幡原村、西八幡原村、土橋村、奥原村、草安村、苅屋形村、南門原村、大利原村、才乙村、奥中原村、川小田村、細見村、小原村、大暮村、米沢村、移原村、高野村、溝口村
  • 明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により広島県の管轄となる。
  • 明治11年(1878年11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、行政区画としての山県郡が発足。郡役所が加計村に設置。
  • 明治15年(1882年) - 上殿河内村が改称して上殿村となる。
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(20村)
    • 加計村 ← 加計村、津浪村(現・安芸太田町)
    • 殿賀村 ← 下殿河内村、下筒賀村(現・安芸太田町)
    • 上殿村(単独村制。現・安芸太田町)
    • 筒賀村 ← 中筒賀村、上筒賀村(現・安芸太田町)
    • 戸河内村(単独村制。現・安芸太田町)
    • 八幡村 ← 東八幡原村、西八幡原村(現・北広島町)
    • 雄鹿原村 ← 政所村、雲耕村、宮地村、中祖村、荒神原村、橋山村(現・北広島町)
    • 中野村 ← 大利原村、南門原村、草安村、苅屋形村、土橋村、奥原村、才乙村、奥中原村、川小田村、細見村(現・北広島町)
    • 山廻村 ← 溝口村、高野村、移原村、大暮村、米沢村、小原村(現・北広島町)
    • 大朝村 ← 大塚村、筏津村、大朝村、田原村(現・北広島町)
    • 新庄村 ← 新庄村、宮迫村、岩戸村(現・北広島町)
    • 川迫村 ← 川戸村、中山村、蔵迫村、舞綱村(現・北広島町)
    • 八重村 ← 石井谷村、有田村、古保利村、春木村、今田村、後有田村、寺原村、有間村(現・北広島町)
    • 壬生村 ← 壬生村、川西村、川東村、惣森村、川井村、丁保余原村(現・北広島町)
    • 南方村 ← 南方村、木次村(現・北広島町)
    • 本地村(単独村制。現・北広島町)
    • 吉坂村 ← 今吉田村、阿坂村、吉木村(現・北広島町)
    • 原村 ← 中原村、西宗村、志路原村、海応寺村、上石村、下石村(現・北広島町)
    • 都谷村 ← 都志見村、戸谷村、長笹村(現・北広島町)
    • 安野村 ← 穴村、坪野村(現・安芸太田町)
  • 明治31年(1898年2月10日 - 加計村が町制施行して加計町となる。(1町19村)
  • 明治32年(1899年7月1日 - 郡制を施行。
  • 明治37年(1904年5月1日 - 壬生村が町制施行して壬生町となる。(2町18村)
  • 大正11年(1922年1月1日 - 八重村が町制施行して八重町となる。(3町17村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年
    • 1月1日 - 大朝村が町制施行して大朝町となる。(4町16村)
    • 7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和3年(1928年)4月1日 - 山廻村が改称して美和村となる。
  • 昭和8年(1933年8月1日 - 戸河内村が町制施行して戸河内町となる。(5町15村)
  • 昭和28年(1953年12月1日 - 八幡村が島根県那賀郡波佐村の一部(波佐字滝平の一部)を編入(越境合併[3]
  • 昭和29年(1954年
    • 8月1日 - 加計町・殿賀村が合併し、改めて加計町が発足。(5町14村)
    • 11月3日 - 八重町・壬生町・南方村・本地村・川迫村が合併して千代田町が発足。(4町11村)
  • 昭和30年(1955年3月31日 - 大朝町・新庄村が合併し、改めて大朝町が発足。(4町10村)
  • 昭和31年(1956年
    • 3月31日 - 吉坂村・原村・都谷村が合併して豊平町が発足。(5町7村)
    • 9月1日 - 戸河内町・上殿村が合併し、改めて戸河内町が発足。(5町6村)
    • 9月30日(6町1村)
      • 加計町・安野村が合併し、改めて加計町が発足。
      • 八幡村・雄鹿原村・中野村・美和村が合併して芸北町が発足。
  • 平成16年(2004年10月1日 - 加計町・筒賀村・戸河内町が合併して安芸太田町が発足。(5町)
  • 平成17年(2005年2月1日 - 芸北町・大朝町・千代田町・豊平町が合併して北広島町が発足。(2町)

変遷表

自治体の変遷
明治以前 明治初年 - 明治22年 明治22年
4月1日
町村制施行
明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
加計村 加計村 加計村 明治31年2月10日
町制 加計町
昭和29年8月1日
加計町
昭和31年9月30日
加計町
平成16年10月1日
安芸太田町
安芸太田町
津浪村 津浪村
下殿河内村 下殿河内村 殿賀村 殿賀村
下筒賀村 下筒賀村
穴村 穴村 安野村 安野村 安野村
坪野村 坪野村
戸河内村 戸河内村 戸河内村 昭和8年8月1日
町制 戸河内町
戸河内町 昭和31年9月1日
戸河内町
上殿河内村 明治15年
改称 上殿村
上殿村 上殿村 上殿村
中筒賀村 中筒賀村 筒賀村 筒賀村 筒賀村 筒賀村
上筒賀村 上筒賀村
大塚村 大塚村 大朝村 大正15年1月1日
町制 大朝町
大朝町 昭和30年3月31日
大朝町
平成17年2月1日
北広島町
北広島町
筏津村 筏津村
大朝村 大朝村
田原村 田原村
新庄村 新庄村 新庄村 新庄村 新庄村
宮迫村 宮迫村
岩戸村 岩戸村
壬生村 壬生村 壬生村 明治37年5月1日
町制 壬生町
昭和29年11月3日
千代田町
千代田町
川西村 川西村
川東村 川東村
惣森村 惣森村
川井村 川井村
丁保余原村 丁保余原村
石井谷村 石井谷村 八重村 大正11年1月1日
町制 八重町
有田村 有田村
古保利村 古保利村
春木村 春木村
今田村 今田村
後有田村 後有田村
寺原村 寺原村
有間村 有間村
川戸村 川戸村 川迫村 川迫村
中山村 中山村
蔵迫村 蔵迫村
舞綱村 舞綱村
本地村 本地村 本地村 本地村
南方村 南方村 南方村 南方村
木次村 木次村
都志見村 都志見村 都谷村 都谷村 都谷村 昭和31年3月31日
豊平町
戸谷村 戸谷村
長笹村 長笹村
中原村 中原村 原村 原村 原村
西宗村 西宗村
志路原村 志路原村
海応寺村 海応寺村
上石村 上石村
下石村 下石村
今吉田村 今吉田村 吉坂村 吉坂村 吉坂村
阿坂村 阿坂村
吉木村 吉木村
政所村 政所村 雄鹿原村 雄鹿原村 雄鹿原村 昭和31年9月30日
芸北町
雲耕村 雲耕村
宮地村 宮地村
中祖村 中祖村
荒神原村 荒神原村
橋山村 橋山村
大利原村 大利原村 中野村 中野村 中野村
南門原村 南門原村
草安村 草安村
苅屋形村 苅屋形村
土橋村 土橋村
奥原村 奥原村
才乙村 才乙村
奥中原村 奥中原村
川小田村 川小田村
細見村 細見村
溝口村 溝口村 山廻村 昭和3年4月1日
改称 美和村
美和村
高野村 高野村
移原村 移原村
大暮村 大暮村
米沢村 米沢村
小原村 小原村
東八幡原村 東八幡原村 八幡村 八幡村 八幡村
西八幡原村 西八幡原村
島根県那賀郡
波佐村の一部[4]
島根県那賀郡
波佐村の一部
島根県
那賀郡
波佐村
島根県那賀郡
波佐村の一部
昭和28年12月1日
八幡村に編入

行政

歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治11年(1878年)11月1日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ 中山富広 著 中塚武 監修「第4章 天明~天保期の災害・飢饉と広島藩社会の対応」『気候変動から読み直す日本史6 近世の列島を俯瞰する』p134-135 2020年11月30日 臨川書店 全国書誌番号:23471480
  2. ^ 記載は宮司村。
  3. ^ 同日に比婆郡八鉾村の一部(油木字三井野の一部)が仁多郡八川村に編入されている。
  4. ^ 字滝平の一部

参考文献


山県郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 23:19 UTC 版)

広島県小学校の廃校一覧」の記事における「山県郡」の解説

北広島町立大小学校2010年休校北広島町立大小学校事実上統合2013年廃校北広島町芸北小学校〈旧〉(2013年統合により北広島町芸北小学校〈新〉へ) 北広島町立八幡小学校同上北広島町雄鹿原小学校同上北広島町小学校同上北広島町美和小学校同上北広島町南方小学校2013年北広島町壬生小学校統合北広島町豊平南小学校2013年統合により北広島町豊平小学校へ) 北広島町立豊平西小学校同上北広島町豊平東小学校同上千代田町立川西小学校1972年壬生小へ統合芸北町小学校1957年八幡小へ統合)☆「樽床ダム」の竣成に伴い廃校となった芸北町中野北小学校1965年土橋小と統合し月小へ) 芸北町土橋小学校1965年中野北小と統合し月小へ) 芸北町中野東小学校1966年月小へ統合芸北町雄鹿原小学校空城分校1970年芸北町雄鹿原小学校橋山分校1972年芸北町中野西小学校1989年中野南小統合し芸北小へ)☆翌年跡地芸北小学校校舎建設された。 芸北町中野南小学校1989年中野西小と統合し芸北小へ) 芸北町美和東小学校2000年統合により美和小へ) 芸北町美和中央小学校同上)☆旧校舎は、美和小の校舎として引き続き使用芸北町美和西小学校同上豊平町立琴小学校1964年統合により豊平西小へ) 豊平町立都谷小学校同上)☆旧校舎はその後1979年まで豊平西小校舎として使われた。 豊平町立長小学校同上豊平町都志見小学校同上豊平町吉木小学校1966年阿坂小と統合し豊平南小へ) 豊平町阿坂小学校1966年吉木小と統合し豊平南小へ) 豊平町吉坂小学校1967年豊平南小統合豊平町立原東小学校1969年統合により豊平東小へ) 豊平町立原西小学校同上豊平町立原東小学校下石分校同上豊平町立酒小学校1971年豊平西小統合千代田町蔵迫小学校1970年北広島町八重小学校当時千代田町立〉へ統合千代田町立川西小学校1972年壬生小へ統合千代田町畑小学校1984年南方小へ統合千代田町八重西小学校1987年八重小へ統合大朝町立田原小学校1992年大朝小へ統合大朝町筏津小学校1996年大朝小へ統合安芸太田町安野小学校2005年休校修道小へ事実上統合され2008年に正式廃校)※ 安芸太田町立松原小学校2008年安芸太田町立戸河内小学校統合安芸太田町寺領小学校同上安芸太田町泊小学校1998年休校安芸太田町加計小学校当時加計町立〉へ事実上統合され2009年に正式廃校)※ 安芸太田町猪山小学校2009年加計小へ統合安芸太田町平見谷小学校1992年休校2013年廃校安芸太田町井仁小学校1975年休校加計小と安芸太田町立筒賀小学校事実上分割統合され2014年廃校安芸太田町修道小学校2016年加計小へ統合安芸太田町津浪小学校同上安芸太田町立殿賀小学校同上加計町立川南小学校1959年加計小へ統合加計町立川小学校1966年加計小へ統合加計町立坪小学校1970年加計小へ統合加計町加計小学校温井分校1985年休校1998年廃校)※ 戸河内町立松原小学校小板分校1994年休校2008年本校廃校戸河内町立四合小学校1969年戸河内小へ統合戸河内町横川小学校1965年戸河内小横川分校となり、1970年廃校戸河内町打梨小学校1971年戸河内小へ統合戸河内町打梨小学校那須分校同上筒賀村坂原小学校1968年筒賀小へ統合筒賀村立田之尻小学校1970年加計小へ統合

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